才子からの贈り物
「泉ー、実花ちゃん来てるわよー」
「はーい」
朝になれば、霞や黒い靄が影を炙る出すように眼前に浮かび上がる。手で掴めば、僅かな痛みを走らせた。
「……これが、負素?」
首を捻らせど答えなんて出ない。だから、制服をびしりと伸ばして鏡を見て。歯を輝かせて鞄を取ると、玄関に手を掛ける。そして――、
「あ、おはよぉー、泉ー」
にへらと笑む幼馴染に、
「…相変わらず惚け顔だね!実花!」
音が出そうなくらい快活に笑って返すいつもの日常を、私は演じる。けれど、ここに一つのイレギュラーがあって。
「はよ、泉」
「……おはよ、み、なと!」
にこっ。笑顔で内面の感情を隠そうか。
何故、何で、今、此処に居るの?と。
二人が前を歩くように態と歩くペースを下げて。私は笑みを消して二人を凝視する。そして在った日常を思い出している。答え合わせとでも言うのかもしれない……。普通、湊は教室で初めて会うはずなのに。
「ねえ……湊」
「んあ?」
振り返った人に、足を速めて何気なく聞いてみようかしら。そう、意志が浮かんだ。
「どうして実花といっしょ、いたっ」
どんっ、と誰かと肩がぶつかる。思わずバランスを崩しかけた私の手を「あっ、ごめんなさいっ!」と男の人の声と、手が掴んで―――――、
「だ、…大丈夫……かな?」
深く被っている帽子の所為で見えない顔だけれど、声が私を労わっている。湊でも実花でもない誰か。誰か――――?
「泉、前見てあるけよな」
「大丈夫!?」
男の人は一礼すると、歩き出してしまった。私は呆気に取られながら立ち上がる。
「あっ……。い、…そこの、お嬢さん」
振り返った私に再び男の人は歩み寄った。すると、右手を差し出された。私は首を傾げてその手を見ると、男の人は僅かに苦笑した様に声を洩らして私の手を取った。
「え、」
「落とし物。……これは、大事な物じゃないのかな」
何かをつかまされて、握らされた。強く、強く。「じゃあ、気を付けていくんだよ」そう言った男性は踵を返して行ってしまう。
「…何落としたの?」
覗き込んだ視線から咄嗟に隠してしまった私は、誤魔化す様に実花の頬を摘まんだ。
「なんでもない!さ、早く行こう!」
「い、いひゃいよ泉ぃ!」
「くくくくくく」
再び行き路を急ぐ私達。ちらりと覗いた石が、紅く煌いたのを見て私は息を呑んだ。その音は幸いにも誰の耳にも響かなかった。
**
「っと、はよー」
「あっ、おせーぞ湊!」
「おはよー湊くん!」
「おはよおはよ」
湊は教室に入れば先を切って席に行った。私は其れを横目で見流しながら自分の席を実花に聞く。案内された席につけば、横には笑顔の、
「おはようございます。上山泉さん」
安倍鏡子が座って居た。
「…おはよう、鏡子ちゃん」
「え"っ、何々?泉と安倍さん知り合いなの?」
「えっ、と…なんていうか」
「ええ――そうなんです!小さい頃に一度、此方へ来たことがあって。その時に遊んでいただたのが上山さんでして…!昨日体調を崩していらしたでしょう?ですからお見舞いに参上いたしました所――上山さんも鏡子を覚えていてくれて…!」
その言葉に、一人の女生徒は目を輝かせた。
「っへー!すっご!よかったじゃん泉ぃーっ!」
「うっ。あ、はは、…ソウダネ……」
其の話術、真剣に見習いたいわ……。
始業式が昨日あったにも関わらず、学校はすぐに元通りの進行を取り戻す。普通に六限まであるタイムスケジュールに、昨日まで異世界に居た私としてはとても疲れた――というか。
あまりの日常に、非日常すら感じていた。
――放課後。六限が終わった、一日の安堵が黄昏と共に教室に垂れる時間。
私は一人で図書室に向かっていた。
小金の色彩が鮮やかに少し汚れた白い廊下に掛かる。そこに急に現れた、足。
「……あ、」
外出用のコートと、深く帽子を被った、
「今朝の……」
男は、また困った様に笑う。
「――わたしが、」
「今朝、君に返した……石は今、どこに?」
その言葉に自然とポケットに手が伸びた。石を掴んで、その男の元へ寄ると私は差し出して掌を開く。口から名前が出そうになって、出なくて、首を傾げた。
えっと、何だっけ。
その様子に男の人は膝を付けてその手を私の手に重ねた。
「……この石は、君を色んな事から守ってくれる」
その人はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「…悟らなくていい、諦めなくていい、―――無理も、しなくていいんだよ」
真っすぐに、橙の瞳は向けられた。向けられたということは顔をあげたということ。風が帽子を攫う。
「あっ……、あ、……」
「泉さん」
どくん、と胸が鳴る。
「…辛くない?」
「…うん」
「きつくは、ない?」
「うん」
そっか、と言って彼は私の手を彼の額までもっていくと、まるで祈るように手に縋りついた。
「……良かった、良かった……!」
橙の瞳が揺らいでいる。
「…貴方は…いつも、私を心配しますね…」
浮かんでは泡のように消えていく記憶達。酷く朧げな記憶は形作る端から崩れてしまう。
「…当たり前だよ、わたしは君の――」
「――上山さん」
私は彼を背にゆっくりと振り返った。夕暮れの廊下、距離が開けた向うに立つのは、安倍鏡子。
「…その方は、誰ですの?」
彼をちらりと見ると、彼は再び帽子を深く被りなおしている。
「お答えにならない。…ふふっふふふふ、まあ、まあいいです。いいですよ?鏡子は大方予想がついてますので」
腕を組んで艶やかな黒髪を流した彼女は、その凛々しい瞳で私を射抜き続ける。
「不可解なことが――あるのです」
「…この学校の造り?迷子にでもなったの?」
「いいえ。その点については御心配には及びません。鏡子、一度案内されれば全てを掌握致します!」
「そりゃすごい」
「えへへ」
ぱちぱちと彼と共に手を叩けば彼女は照れたように頬を掻いた、が、それも束の間咳払いをしたと思ったら再び鋭い目を投げて来た。
「ええい違います!ちーがーう!鏡子は、貴様の気の違いについて言及しているのです!」
「…はあ。あのー、すみません。こいつが何言ってるかわかりますか?」
「えっ。あ、あー…うん。わかる、ね…」
「ほう。そちらサイドにも賢いものはいるようで――しかし無礼千万!対峙する人間がいる時、顔を晒すのが礼儀でしょうに!」
鏡子から何か飛んできた。それは凄まじい速さで、目で追うことが叶わない。ただ左の髪の毛が揺れたのと、耳をヒュンという音が掠めたことがそれの証拠で……。
「っあ!」
彼の短い悲鳴と、窓ガラスに左手をかける大きな音に目を向けた。
「――――アスティンさん!」
顔面を押さえて彼は鏡子を見た。帽子は黒く煤けて、触れば消えてしまいそう。そして橙の瞳に、息を呑む……のは鏡子も?
「急に、はひどいよ…?愚者……」
「――ごめん!追えなかった!」
私は石を強く握り鏡子に対峙した。この状況に於いて、命の保証はされていないと判断する。暖かみを含んだ石が、私の手の中で脈打つのを感じた。
「上山さん。その、その方は……」
「…は?」
彼を背に庇い、私は手で石を転がす。いつでも――いつでも、できるように。
「神霊――――!まさか、現代において未契約の神霊が…しかもその姿、変化できるなんてよほどの力を持っていると判断致します…」
「…神霊?」
私は転びそうになりながら否定する様に手を振った。
「まてまてまてまって鏡子ちゃん。この人がその有難い神霊?に見えるの?大丈夫?頭可笑しい?」
「黙るがいい鬼。素敵……何故、今になって下界へ?こんな陰が蔓延った世に…今再び陰陽師にお力をお貸しいただけますの……?」
うぐ、と口を瞑んで彼を見た。…するとどうだ、彼は驚きに目を開いていた。
「――君、陰陽師なの?」
「はい!」
「…名は?」
「――安倍鏡子と申します」
「安倍晴明の子孫か!」
「はい!!」
……帰りたい。
「うわあ…!晴明さんは此方側へ来なかったからなあ…案外君が晴明さんの生まれ変わりだったりするのかもしれないね」
「そうだとしたなら鏡子の式神に成って下さいますの?」
「――それは遠慮するね」
にこにこ、と笑顔できゃぴきゃぴ語り合う傍ら、私は腕時計を見た。
「…あのう、そこのお二人ー……。お熱い仲に失礼するんだけど、そろそろ完全下校の時間……なんですけど…」
「…?あわわわごめんね!ほら、生徒たちは早く門を出ないと怒られるよ!」
「本当ですね!?!?ちょっと上山さん!はやく行きますよ!?」
「うえっ!?ちょ、引っ張るな!って…先生なんですか!?」
「わたし?うん、ここに新しく赴任した―――英語教師だよ」
ぎょっとした私達二人の顔を見て、彼は完全に破顔した。
……鏡子ちゃん、なんで頬染めてんの……。
「それじゃあ、気を付けて!特に泉さん、――が濃い場所には近づかないように!」
「――――え?あ、ちょっと引っ張らないで鏡子ちゃん!」
皆さん、夢って覚えてますか?
私、起きる直前の夢は覚えてるのですが、その前にさかのぼるとかなりとびとびなんですよね……。難しいわあ




