番外編 It is no use crying over spilt milk. ※挿絵追加しております
騎士ヨハネ、にて挿絵を追加しております!
巫女と巫は様々な方法を用いて、王の苦痛を和らげる。ある時は詩を、ある時は舞を――そしてある時は幸せな記憶を夢として王に見せている。
今夜の方法は――夢を巫女は選択した。……否、選択せざるを得ないと言うべきか。今やこの王の苦痛を和らげる手段は一つしか存在しない。
在りし日の彼女との幸せな夢を。まだ二人が純粋に恋に落ちていた夢を。
巫女は憂いに瞳を隠しながら、その夢の言霊を紡いでいく。声に音色を、祝詞に魂を、空に――夢を描きながらその瞳を隠していく。
王よ、あの方を弑しておきながら何故あの方でしか御身の苦痛は和らげることが出来ぬのか。
巫は怒りに唇を噛み締めながら、その両足を神楽より離していく。振う腕と浮いていく髪、鈴の音の共に夢を舞う。
簒奪者よ、忘れるな。ゆめゆめ、忘れるな。お前の罪を、お前の色を、――忘れるな。
夢に祝と呪を織り交ぜて、王は生温かい腕に溺れていく。
シリウスは、すでにこの方法で意外思い出せないのだ。――彼女との、幸福であったとされるあの日々を。
「シーリーウースー!?ちょっと、起きなさいよ!起きろー!職務中だぞーっ!王より先にねこける馬鹿が何処にいるんだ!此処か!此処なのか――!?」
「――――!いた、いたたたたた!」
シリウスは涙目で顔を上げた……というか、右耳を引っ張られる痛みに現実に引き戻された、というか。
未だ夢と現実を彷徨う瞳を見せるシリウスに、エリーシアはおもむろにその紅の瞳を覗かせた。シリウスは驚きに少し目を丸めたが、それが幸いにも覚醒を促す。――はっ、と自我の色を取り戻したシリウスに、エリーシアは目を細めた。
離された右耳をさわさわと撫でながらシリウスは――――エリーシアを見上げた。
「……僕、もしかしてもしかしなくても……寝てました……?」
「……もしかして、もしかしなくても、――ええ!」
「……何で?」
その言葉に眉を顰めたエリーシアは目に見える形で息を大きく吸った。その行為にシリウスは肩を跳ね上げた。予想し得たのだ、この後にどんな怒声が響くかを――。
「この………っ寝坊助が―――――っ!!」
「あいて―――――!?」
ぐーぱんが攻めりくる様子はシリウスにはスローモーションで捉えられた。しかし、しかし、だ!エリーシア様の制裁、己の過ち……ぐぐぐ、ぐぐぐぐこれは、受けるべき痛みッ!!
そのまま殴られたシリウスの身体は、椅子と共に豪快な音を立てながら後方へ吹き飛んだ。凄まじい音を屋敷中に響かせても使用人たちはくすくすと笑みを浮かべるばかり。
――――日常と呼ばれた過去。これこそが永久に続く日々。そう信じて疑わなかった、永遠を信じた物語の一節。
「……あらあらシリウス。頬がとても素敵じゃないの。御洒落」
「リアラ……それ本心で言っていたとしたら相当性格が悪いんですが……」
「何よシリウス。左頬も打ってあげてもいいのよ……!?」
「え、遠慮致しますエリーシア様……」
エリーシアを中心にして三人は回廊を歩く。三人に気づいた使用人たちは各々に頭を下げていく。シリウスは何故か脳裏に怯えながら頭を下げる使用人たちが浮かび上がって、一人でに首を傾げた。
些事な回想――……いや、有りもしない、来やしない未来のイメージだ。シリウスはそう一つ笑みを浮かべると、その風景を頭から消した。
「まあ、こんなシャイボーイは放って置いて。陛下!本日の業務は既に終了しました。お疲れさまです」
「え、そうなの?」
「はい。ですから、余った時間は是非気分転換に――」
「あー、だめだめ。目を通しておきたい案件があるの。必要とあらば下に降りようかなって考えているのよね」
「……え!?人間界へ行くんですかエリーシア様!?」
「え、何シリウス?そんなに驚くこと?……人間界には行かないわよ」
「……違う?……ま、まさか更に下ということですか笑うことも出来ませんわ!」
リアラはエリーシアの前に立ち塞がった。鮮血の赤髪の一房が肩より零れ落ちる。
「魔界の負素の多さは異常なのですっ、だめ!駄目ですからね!絶対に許しませんから!」
「でも……」
エリーシアの瞳は憂いに満ちていた。そんなことはわかっている、けれど行かなければならない。
その思いはリアラもわかっているだろうに。シリウスから見えるリアラの表情を見ても、十分読み取れた。――これだから、竜は。王の安全を優先し、その内側を汲むことをすぐに忘れてしまう。
こ、こ、は!僕がスマートに助けて差し上げるのが筋というものだろう。
「……何か気になることでも?必要であるならば……陛下ではなく僕が参ります」
「お前が?ううん……先の戦で魔界軍と衝突した時……珍しく、わたし達の軍が圧されたじゃない」
その言葉にシリウスは言葉を詰まらせた。王の近辺で盾を役割をする軍と、剣となり敵を屠る軍があり、後者の指揮権はシリウスが握っている。だからこそ、この言葉はシリウス自身が押し負けた事実を再確認させられたことに相違ない。
がっくりと肩を降ろしたシリウスは、先程とは打って変わった声色で言葉を紡いだ。
「……はい。その件につきましては、我が軍が情けないばかりで――」
「お止め。その点についてはスワードも言っていたでしょう。決してお前ひとりの責任ではない、と」
「……はい」
「確実に力を付けていることがわかった。……わたしは昔から、庇護を与える者に約束を与えてそれから外れる者を例外なく処断してきたわ。魔界へ堕としてやった奴等に慈悲は無い、それで良いはずなのに……」
「私はそれで良いと判断します。王たる者に反旗を翻した――これ即ち大罪と言わずして何と呼びましょう?」
「ええ。でも、元来魔界は牢獄の意があるはずのに、今やあの有様だし……!?」
するりと視界を覆われたエリーシアは、驚きのあまり固まった。シリウスはまたか、と小さく溜息をついて彼女の背後を見た。にやりと口元を歪めエリーシアを見下ろしていたのは――毎度のことながらスワードであった。
「エェェリ――――――シアァアア―――……?」
「……やめてよその言い方」
「……それもそうだな」
スワードは少し恥ずかしいのか早々に手を離すと、ズカズカとエリーシアの前を塞いだ。腕を組んで厳つい目を不躾にも王に注いだ。
エリーシアは何を言われるのか、と唾を呑む。
「エリーシア」
「……な、何よ……」
「こら!様をつけろと何度言えばわかるのかこの」
「まあまあリアラ……」
「エリーシア」
エリーシアは目を見開いた。
「だから何よ!?」
「遊んで来い」
「は」
「元気なうちに遊んで来い!連れてけ!」
「畏まりまして」
エリーシアとシリウスはメイドと騎士に腕やら肩やらを掴まれた。シリウスは「僕もですか!?」と声を上げたが騎士が笑うだけ。エリーシアは「ふざけんじゃないわよ!何が遊べだそんな歳でもないわよこのぼけ‼‼‼!」と喚くがその声は「十分餓鬼じゃねぇのか自分の姿よく見てみろ!」「肉体年齢は卑怯でしょうがああああああ」と自らの民を蹴飛ばすことも叶わず、あれよあれよと運ばれていく。
それはシリウスにも言えたことだが――スワードが、シリウスの目を見て頷くものだから。リアラも眉を顰めながらも手を出さないものだから……二人の目を合わせて頷いた。
少し、頬の痒さを覚えながら。少し、感謝を胸に湧かせながら。
エリーシア同等に、少し上擦った困惑の声をあえて挙げていた。
ぽつりと残されたリアラは冷たい目をスワードに差し向けた。その視線をスワードは気まずそうに受け止め、右往左往させた後に口を開く。
「……何だ」
「……いえ、乱暴だな、と」
「――知っている。だが、そうでもしなければ……エリーシアを城の外に連れ出すなど出来はしないだろう」
「そうね……」
リアラは僅かに頬を緩めた。その表情の変化にスワードは心地よい居心地の悪さを感じ咳ばらいをする。鼻の下を擦り、胸を張って、
「まあ……エリーシアに一番効く薬はどうしたって彼奴―――」
「様をつけなさいッ!」
ぶっ飛ばされました、とさ。
**
「シリウス……」
「はい」
「シリウス……」
「はい……」
城用の簡易なドレスから街の娘が来ている装いに強制的に着せ替えられたエリーシアは、深く被せられた真白いつば広の帽子から紅い目を覗かせた。ちらりと周りを見渡して行きかう人々を見る。金色の髪を風に美しく靡かせるその姿に視線を向ける民を見るとエリーシアは帽子のつばを掴み、瞳を隠した。
一方、騎士服から紳士服へと強制的に着替えさせられたシリウスは長い髪を下段で結う紐を弄りながらその目を伺いふにゃりと弱い笑みを浮かべた。
彼らは――城下町の中心である噴水の前に立っていた。賑やかで活気のある繁華街の雰囲気は、城でのものとは違う香りを運んでいたが彼らを特別浮き上がらせることはしなかった。所では娘が踊り、所では団が技を見せ、所では各々が飲み比べている様をエリーシアは微笑みを浮かべながら見ては居たのだが。
混じり溶け合おうとはしない。
「行かないんですか?楽しそうですよ」
「ええと……わたしには、もったいな」
「おおおおおおいそこのアベック―――――!」
「アベック!?」
野太い声が彼らを呼ぶ。アベック、という単語に反応した二人はそちらへ思い切り振り返った。二人を呼んだのは中年の男――と言えど、腕はがっしりと筋肉がある。横で控えめに手を振る女性は、大きな声を出した男を叩いていた。
「嫁さんが、あんたの奥さんに似合う飾りがあるって言ってよ――!!!見てっちゃくれねェか――!?」
「だ、そうですが……エリーシア様!」
「お、お、奥さん……!?」
愚かな話だと笑うだろうが、二人して頬を紅潮させながら固まっている。
エリーシアは頬に両手を添え混乱していた。言葉の響きが胸を高鳴らせた、熱を帯びていく頬が恥ずかしかった。それがシリウスに伝染した様に、彼も自覚するにつれ頬を紅潮させて俯いてしまった。しかし、シリウスは顔を勢いよく上げるとエリーシアに手を差し伸べた。
思いの高鳴りは、時に身体の制御を奪ってしまう。――嗚呼、この日々のように。
「い、行きませんか――エリーシア様」
エリーシアはぱくぱくと何か言いたげに口を開いた後、小さくその手を払う。
シリウスはちくりと刺した胸の痛みに瞳を霞ませた。しかし、エリーシアは違うと言う。その様が余りにも可愛らしくシリウスの目に映るので先程までの痛みなんて……もはや。
感じていなかった、きっと。
「馬鹿!お、奥さんに……様付けとか、やめなさいよ」
「……行こうか、エリーシア」
「―――――ええ!」
再び差し出した手に、エリーシアは満面の笑みを零して答えた。駆け寄った店の夫婦は二人の仲をもてはやし、祝福した。「陛下の御加護がありますように」その言葉に二人は微笑みながら、お揃いの指輪をはめ合って――笑う。見せ合って、笑う。
この二人を包む柔らかい空気に、華やいだ街全体が手を添えていく。栄光の都の真ん中で、幸福な二人よ、永遠なる一人の加護の下、其れを永遠とせよ。
嗚呼、幸せだった。誰よりも愛していた、誰よりも愛されていた。
ねえ、エリーシア。
もし、僕たちが二人きりになったら……あの丘に小さな家を建てましょう。城は王のための居城だ、君が君であるべき場所に家を建てましょう。
僕が水を引いて、羊を連れて、緑を芽吹かせましょう。
あのね、僕――そこでずっと二人で暮らしたいなあ。エリーシア様が……あ、えと、すみません。エリーシアは花を育てて、僕は力仕事。それだけの暮らしで、陽を落とすんです。そしてね、二人で眠って……陽を僕らの腕の中で迎えたいんです。
ねえ、痛みなんて苦しみなんて、……ねえ、無い場所へ行きましょうよ。
花を見て暮らしましょう。でも本当は――……エリーシアが傍に居てくれるなら、僕は………。
他にはなにも、
**
まだ薄暗い早朝。シリウスは静かに目を開けた。痛む身体を判断もつかぬ頭が起き上がらせる。起き上がった理由すら浮かばない。ただ、気づけば己は身を起こし――この頬に雫を走らせていた。
ただそれだけのこと。事実として転がり、消える。
「……いらない」
意識が覚醒した。己の口から転がり落ちた言葉が、耳へと反芻する。シーツが、染みて、歪んでいく。
背を丸めた。喉を締めた。――弱き自分を、あの日殺したはずの自分が、墓から手を伸ばす前に再び、もう一度、もう二度と!
――――嗚呼、駄目だ。誰だ、あれは誰だ。違う、違う!!あれは俺じゃない、俺はもう違う、俺は俺は、本当に手に入れたかったものを手に入れた!!この力を……望んだ!!
瞼を押さえつければ、まだ君が浮かぶ。――幸せそうに笑う、あの日の君が。
本当に二人はラブラブだったんですよ…今はこんなんですが。うっ!!!!!!!!!
そして次から新章突入です。色々練り直しています~うおおおおおお。
2019/02/07 なんとこっそりリメイクしました。タイトルも「シリウスの夢」から変更しております。
過ぎた日々を嘆いても無駄。