苦痛に歪む声 Ⅰ
――――憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
堕ちる、おとされる。ああ、ああ、ああ……何故……何故なの……。
堕ちたくない、護らせて、私に護らせて、私の役目を果たさせて。この世界を、あの世界を、私が護らないと。
「エリーシア様ぁ!!!」
やめて、堕とさないで。助けて……リアラ……スワード……。
――――私は、微かに残る視界でシリウスの目を見た。完全に真紅に染まった目を。――――
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
―――埋め尽くされる思考回路。壊され続ける魔力回路。私を堕とす為に開かれた法廷―――
憎い。
悪い。
「……………たたみ………」
薄暗い部屋、良い匂いの畳、何処か祖母の家を思い出させるような――……。
「まさか!!」
勢いよく身体を起こすと、ぐるりと気が回った。頭の中を強制的にかき乱される感覚、嫌悪感、込み上げてきた物を手で塞ぐと、冷や汗が頬を伝うのを堪えながら周りを見渡した。
驚きと共に嚥下した。嘔吐物特有の酸っぱさに顔をしかめながら、私は驚かずには居られなかった。
だって、だってここは……。
「座敷牢……」
「―――そうよ」
振り返った先。奥の壁際にエリスは居た。足を立てて座り、眉を不愉快を前回に醸し出して釣り上げて、声のトーンを低くして言った。
「……私……何で……」
「気絶させられて運ばれたの」
「誰……に……っ」
「――誰?はっ………湊よ」
――嘘だ。
瞬時に否定できた、でも瞬時に言葉に出せなかった。嗚呼……見える。その光景。きっとこの視点は、エリスのもの?
「……うっ、うううううううううう」
来た。なに、これ。
凄まじい吐き気。あれ、何だろう。喉が一気に熱くなる。何だろう、どうしようやばいやばいやばい!
「そして……お前の体内へと飲まされた一つの呪玉。それを排除したいがために今その状態なの」
「っ……うっ………」
「眠りから目覚めてよかったわ。……最悪の事態にならずに済んだ……さあ、行くわよ」
エリスは立ち上がって私を見下ろした。
「はやく、吐き出してしまえ」
口を押えていた右手が自立した。私の意志とは無関係に親指が人差し指と中指を差し置いて他の二本を押さえている。そして今度は口が開いた。込み上げるものを塞ぐ出口が、開いた。
「……あえ、……っひ、……ぐっ――――――!!おっええええええ」
立つ二本が咥内へ侵入するのを防げずに、喉の奥へ触れた。生理的に、反射的に。咳に似た嗚咽がトリガーになって――――――。
「……はあ……っはあ………」
嘔吐物の中に混じっていた緑色の玉。大きさは飴玉程度……。私は一度目を瞑るとこれをどうしようか目を細めた。
*
「喉がイガイガするよう……」
「文句言わない!ここから出る方法を探すのよ!」
はらはらと涙を流すフリをしてもエリスは此方を顧みる様子は無い。酷い奴だ。無理やり吐かせたのはそっちじゃないか!
「あのねえ―――」
うじうじ言う私に終に痺れを切らしたのか、エリスは不機嫌な面で振り返った。
「吐くこと何て日常茶飯事になるんだから一々ショック受けるのやめてもらえない?」
「飲み会ですか……」
エリスは存外自分の加減を知らぬようだ。
「パパが言ってたよ。社会人たるもの自分の限界位弁えとけ!って……酔いながら。っていうかエリスあなた一体全体何歳?」
「………?」
「いやいや、なに恍けてんの」
「………さあ、はやく出口をさが………」
「あっこの!…あそうか。私の姿をしてるくらいだから歳は私と一緒……?ってかそもそもエリスって何…なんで私の姿してんの………」
「―――エリス?」
座敷牢の鍵をぶち壊して外へ。外は大きな牢獄部屋。そこを出る為に薄暗い中を奥へ。奥へ行くと仄かな蝋の灯。その付近で足を組みながら座るお河童の少年。その少年は、宮司のような装束を揺らしながら私が口にした名を口にした。そして……じ、とエリスを見据えていた。
「……見えるんですか?」
「…見えますよ、僕達は特別なんだし……」
確か……巫と言う少年はエリスの目の前まで歩み出るとその膝を折った。右手の拳を床について、頭も垂れる。唖然とする私に、エリスはその光景をただ静観していた。
「…――おか」
「お止め」
エリスの声にすぐに反応する巫くん。エリスは巫くんに立つよう促すと私の元へ踵を返した。そしてエリスは顎で私を促す。
「あの……ここから出たいんです」
「……はい」
「出ても……良いですか?」
その問いに、巫くんはあからさまに眉を下げた。やんちゃな尖がった風の面立ちが、わかりやすく曇る。そのサインをエリスは見逃さない。
「巫、何が後ろめたいの?」
「……出せません」
「――――巫」
「泉様には、このまま日が落ちるまでお待ちいただき……地球へ……」
「それは出来ません!お願いします、私達ここから出たいんです!」
巫くんは堪える様に下唇を噛み締めた。すると私の身体が動き出す――…嗚呼、エリスか。
「…わかるわよ、この嫌な感じ……。この紅影殿を縛る無礼者は誰」
「……エリーシア、様……?」
「巫、答えなさい」
エリーシア……?
巫くんは、エリスの問いに顔を歪めた。言おうと口を開いて、息を零して閉じる。戸惑い、言っていいのか悪いのか。
「……言うな、と言われているのね?湊に」
嗚呼、図星だろう。とても解り易く反応した。
「…っ、僕は……貴女様を降ろせない……姉さんを……助けるには……でも、僕はエリーシア様の―――おかしい、おかしいんです……世の理が狂っている……何故、紅影殿を捕えることが出来るのか……!」
「巫女に……何が……あったの……?」
巫くんは再び唇を強く噛んだ。けれど、瞳に浮かぶ涙はもう……。
エリスは膝を落とすと、巫くんの頭を胸元に抱き寄せた。張り詰めた糸が切れる。そんな感覚。
「言えません……言いたくありません……っごめ、ごめんなさい……!僕は、今、しちゃいけないことを……言っているのは…わかって、わかってるんです……!」
「ええ」
「でも、でも……っ僕はもう――姉さんを殺したくない!」
「巫……」
「折角、与えてもらったのに……っいやだ、いやだあ……!ごめんなさい、ごめんなさい……紅影殿が、こんな場所になったのも、ひとえに、僕があ……!」
エリスが抜けた。ずっしりと、私が巫くんを抱く感覚が戻る。私の身体が私に戻ったからと言って、この手を止めることも抱きしめる力を緩めることはしなかった。
「巫くん……」
「っ……いずみ、様……?」
「エリスが…大体わかった。って言ってたよ」
「……?」
見上げた幼い面立ちが、赤い鼻が、とても哀れで。そして、何かを理解して青ざめて――。
「そんな顔しないで、巫くんは何も言って無いよ。大丈夫……大丈夫だよ―――ねえ、そうでしょう」
目を閉じれば光が見える。きっと、巫くんと私達を見張る様に言われたもう一人の力の輝き。
そして、震えだす身体。恐怖に支配される感覚は、よくわかるよ。
「――!泉、様……」
「なに?」
「結界が……消えました」
「え…?」
巫が私の腕の中からすり抜けて、奥へと走る。木製の扉、そこに出口があったのか…と近づけば巫くんはその戸を思いっきり引いた。「開いた……!姉さまっ…!」駆け出そうとした巫くんは、私を振り返る。私も駆け出して後に続こうとしたけど。
視界に捉えたその男に、足を止めた。
「先に……行ってて。すぐに追いつくから」
「…わかりました!」
「……行かなくていいのかい、嬢ちゃん」
「…行っても良いんですか、アルピリさん」
扉の横に凭れかかる男は、気だるげに空を見上げた。薄暗い、紅の陽を。
「そうさなあ……どうしたら、いいのやら……」
「…私に、答えを求められても困ります。私は――」
「金色の髪は、綺麗だろう?」
言葉が詰まる。思わず目を細めた私に、アルピリさんは小さく笑った。紡がれる言葉の続きを聞きたくなかった。だから、背を向ける。だから駆け出す。これは逃亡、ではないと―――。
あと一節でこの章は終了です~この章の終わりには番外編を入れようと思います。シリウスとエリーシアの過去を少し覗いてみましょう。
あついな!!!!!!!!!(大声)