たとえ、どんな手を使ってでも
「嗚呼、月に想いを届けず……また君の想いを聞かず……」
――それはとても奇妙な音で。
いや、戦慄としてはとても美しいのに、一つだけの違和感。けれど朝の呆けた頭にそれを理解する術はなく、その綺麗な旋律と違和感を伴った声はともに美しさへと昇華した。
「昏く寂れた水底に……ただ眠り逝くように沈む……」
よく知った歌だった。友人たちもよくカラオケで歌っていたように思う……勿論私も。だけれど、私の声で歌われるその旋律は…その歌声は…とても私が出されるものでは無い。
けれど、出される声色は私のもの以外ではなかった。
「…おはよう泉さん」
数回のノックの後に顔を覗かせたその人は私が目を擦りながら上半身を起こすとはにかんだ。エリスは歌うのをやめて、ベッドの端で足をぷらぷらとぶらつかせながら横目でアスティンさんを見ていた。
「嗚呼、窓を開けて寝たんだね。…駄目だよ?此処が城と言えど危ないじゃないか……」
「うん……」
「…それにしても綺麗な歌声だったよ。地球の歌かな」
ちらりとエリスを見たが、歌っていた当の本人は既に居なかった。
「……うん」
そう言って笑えば、アスティンさんは微笑み返す。
**
朝食も済んだ昼前。私はいま、湊への扉を叩こうか叩くまいか迷っていた。
「泉、今夜だからな」
そう言って早々に食卓を去った湊に私はかける言葉を失ったのだ。
「…別に、態々言わなくたっていいじゃない。目に見えてるわ、諍いが」
「逃げるように去るのはもう嫌なの!」
小声で隣のエリスに言葉を返した、が――嗚呼、どうしよう。怖気ついちゃう。
う、うわあああ…なんて声を掛けよう?なんて切り出そう?
とんとん。やっほー湊ー元気?実はさ、私実花のこと助けに行きたいから今日はパス!ごめんね?
ちはー泉でーす。……ごめん湊。私やっぱり実花のこと助けに行くよ。だから今日の話は…。
やあ、湊。ご機嫌如何?実は話したいことがあるのだが、少し君の時間を私にくれないだろうか?
「くっさ」
「……あああどうすればいいの!?」
「何がだよ……」
「ひゃあああああッ!?」
背後から掛けられた声に慄いた私は咄嗟に振り返って背中を扉にぶつけた。
「湊さん!?」
「……一人芝居?泉ってそんな趣味あったっけ……」
「み、見てたの……」
「ばっちり」
湊はにい、と笑ってピースを私に突き付けた。あまりの羞恥に頬を染め上げた私をからかうように湊が覗き込むので―――一発お見舞いしてしまった。嗚呼、馬鹿!
「――んで?何だよ、用があるんだろ?」
「せやけど……」
「……なんだよ」
笑いながら私に先を促した。ちらりとエリスを見ると、エリスは頷いた。
ごくり、と生唾を飲む。
「あ、あのね……今日の夜、巫女さん達の所に行くんだよね?」
「そうだけど?」
「……今夜じゃなきゃ、駄目なの?」
「――――は?」
「いや、あのっ。常識的に!人として!お世話になった人たちにお礼が言いたいの!か、帰る前に!だって何も言わずにいなくなったら感じ悪いでしょ?湊もそう思うよね?だ、だから帰るのは次でも良いかなって――」
「くだらねえ。礼ならアスティンに言わせろ。泉が構うことじゃねえ」
「で、でも」
「……言ったろうが!今夜だって俺ちゃんと言ったよな!?」
机を激しく叩いた音に、私は肩を竦めた。でも、ここで引いてなんていられない!
「わた、私は今夜帰らない!巫女さん達とも会わない!――――私は実花を助けに行く!今夜にでも!一人でも助けに行くから!」
湊は瞳を大きく開いた。罪悪感が胸を刺すけれど、私を見守るエリスの存在が私の背を押す。
「……じゃあ、そういうことだから。……ごめんね」
そう言って背を向けた。湊は何も言わなかった。だから私はドアノブを握って――。
「何でだよ……」
あまりにも切なげな声と、肩を抱いた腕の感触に動きを止めた。
「何で……護らせてくれないんだよ……俺は…竜にとって…主人から離れることが……どんなに怖いか知ってるくせに……何で俺達から離れていくんだ……泉は…いつも、いつも……!」
「……みな」
「――――泉ッ!」
世界が、黒くなった。
あ、れ………?
*
まさか……泉の動きを封じるなんて……。
泉は、竜の名前を呼べずに竜の腕の中へ崩れ落ちた。そのまま膝が崩れて二人は床に座ったまま……湊は泉を抱きしめ続けていた。
「仕方ないんだ……泉がシリウスに囚われるのは……でも、大丈夫だから…もう大丈夫だから……」
油断してた。私は、意識が無い泉の身体を操れないのに、まさかこんな――。
竜が、私に手を上げるなんてどうやって想像したらよかった……!?
起こり得ないイレギュラーが起こった世界。この世界の理は、どれくらいずれてるっていうの……。
「リアラ……」
アルピリか。
アルピリはシリウスの竜だから、シリウスの気配を辿ることは出来ても泉の気配は辿れない。だとしたら、このタイミングの良さは湊の気配を辿ったのだろう。
「……泉を連れて行く。紅影殿へ、繋いでくれ」
「良いのかい。それで」
「――ああ」
湊は泉を抱えて立ち上がった。完全に意識を失った泉は、四肢を脱力させて抱かれたままだ。……嗚呼まずい!このまま地球へ帰るわけにはいかないのに!
私は空間へ潜った。……霊体、と言うのだろうかこの状態は。…まあ霊体でいいかしら。
霊体になって初めて潜る空間の路。いつもはリアラと共に潜っていたこの路も既に我が庭の様。
私は駆けて、一つの光の所で幕から転がり出た。
「――アスティン!」
廊下を歩いているアスティンの目前に出た。
「アスティン!ねえ、聞いて!私達、実花を助けに行きたいのだけれど湊が泉を無理やり――……」
通り抜けられた刹那、風は吹かず。
アスティンに私の声が届くはずがないのに。夜ならば少しは可能かもしれない、けれどこんな昼間は……あの子を除いて誰も私に気付かない。
世界が私に優しい?世界が私に忠実?世界が私を護る?
「………どう、しようかしら……。一人で……」
死者に何が出来よう。死者に誰が手を差し伸ばそう。死した王に、生きている世界は何を施す――……?
背後を見送る視線にアスティンは気づかない。開け放たれた窓から流れる風がアスティンの髪を揺らしても……私の髪は揺れないな。
「アスティン殿!」
急に兵士から呼び止められるアスティン。
「……はい?」
私は情報を聞き逃さない為に駆け寄った。
「申し訳ありませんが、すぐに出発の準備を。もう――出るそうです」
「え、え!?早くないか……うん。わかった。何処に行けばいいの?」
「紅影殿へと直に繋がるあの庵へお出で下さい」
「………わかった」
「失礼致します」
アスティンの顔を覗き込むと、珍しく渋った顔をしていた。
「泉さんに何かあったな…!」
と零すと駆け出していく。
私は、己が手を握り締めると泉の肉体へ還る為に姿を溶かした。
あついっす。