トラウマ
誰かの寝息が聞こえる。浅い呼吸が二つ。
微かな風がひやりと肌を撫でた。私は温もりを求めて手を伸ばす。そして横にある熱源。
あったかい…。
それを包みたくて肌を寄せた。ざらり、とした感触が頬に触れ、……?
ざら、り……?
「……なにこれ」
目を開けると、生暖かい…うろ…鱗…?え、まじでこれ何?
「おーはよう、嬢ちゃん」
「え!?おはようございます!?」
ぼわんぼわんと声が反響する。何処から聞こえたのか?反響する空間の中では掴めない。鱗を支えにして上半身を起こそうとするも、ずるりと滑る流れに顔面を突っ込んだ私はそのリズムを掴んだ。
どくん、どくん…と波打つそれは脈と同じだった。
「ひっ!?」
上半身を跳ね起こし、尻餅をつき後ずさった。開けた視界の上空で大きな何かが開いて笑った。あ、嗚呼――何て大きな、口。なんて綺麗な……緑の、目。
「どら……」
「ん?」
「ドドドドドドドラララゴンンンンぎゃ―――――っ!?」
恐怖に逃げ出そうとした足はすとんとその場に留まった。
「逃げないのかい?」
「…腰が、抜けました」
「ぶっ、くくく…」
胸元で、何かが失笑した。
「腰が抜けたので、…逃げられません…」
次は、二人分の笑い声が響いた。
「くっはっはっ…はは…!いやア、愉快愉快…!アあ、嬢ちゃん、すまんが少々目を瞑っていておくれ」
「は、はあ…」
私が大人しく目を閉じると、いい子だという囁きが耳元で聞こえた。代わりに熱源が消え去り風を感じる。目を開けて、振り返ると……そこには……。
「――ア、まだ見ちゃだめでしょーが」
「ひ、」
裸の、
「ひゃああああああああああああ!?」
男の人が恥じらいのポーズを取って佇んでいた。
「どどどどどうして服を着てないんですか!?いつからそこに居るんですか!?ドラゴンはどこに行ったんですか!?なんで裸何ですか!?」
「アー、いやー、えー…」
「とととと取り敢えず隠してくれませんか!?――えっ、もしかしてこんなくらい所に私を連れ出して……あ、あああスワードおおお助けてえええええええッ!!!」
「アー、おっタオルタオル……巻き巻き」
「ごほっ、やばい急に大声出したから気管がごほっごほっ」
「はァー世話の焼ける赤ちゃんだなァ…」
裸の人が私の背中をさすると途端に咳が治まった。私が驚きの目を向けると、緑の目が柔らかく笑んで私の身体が浮き上がる。そう、持ち上げられたのだ――姫抱きで。
「え、ちょっ…!?」
「暴れなさんな、俺っちも色々疲れてんの」
恥じらいと――混乱。それが交じり合って、でも抵抗するには力が入らない。
「リアラ…じゃないか、えーと…嬢ちゃんの……お付き…の…」
「アスティンさんですか?」
「違う。否合ってるんだがよ…あと二人」
「…湊と実花?」
「アー、多分その二人だわ。待ってるから、そこに今連れて行ってるの。だから暴れなさんな」
「…タオル一枚の男の人にそう言われて信じる人がいますか」
「それくらい言い返せるのならもう元気だねー」
妙に快活に笑う人だな、このおじさんは。
むう…と頬を膨らましてみても、腰が抜けている私は一人で歩く術を持たない。だから、身を任せるしかないのだ。
**
「この部屋は?」
「二人がいる部屋」
二人、という単語に浮かび上がる顔が胸を高鳴らせた。何故かとてつもない時間離れていたような錯覚が身を襲う。扉の前に立っていた兵が一礼の後ドアノブを掴んで、開けた。
朝日が差し込まない部屋に、人口の灯の下に居た三人が一斉に振り返った。
「実花…湊…!アスティンさ」
「泉ぃぃいいいいっ!」
立ち上がった湊を余所に実花が我先にと飛び込んで来た。ぎょ、とする此方の心情も知らずに飛び込んでくる実花にこの男の人は抱いている私を更に胸元に引き寄せ軸を回した。
「アルピリ……さん!?」
「取ってつけたような敬称アリガトウ。それと、嬢ちゃんに無理させるのはだーめ」
「ぐ…泉ぃ……」
「あ、はは…元気そうでよかったよ実花」
「泉も――元気そうで、ほんとよかった……心配したんだぞ」
「湊……」
実花の頭をわしゃわしゃと撫でる湊が此方を見て微笑んだ。その笑みに此方もつられる…あ、この人もつられてる。
「ん?あなたはアルピリって言うんですか?」
「ン?そーだよ、アれ…俺っち言って無かった?」
「全く…」
「アルピリさんより!ねえ泉、歩ける?そろそろ降ろしてもらおうよ」
「お嬢ちゃん…」
「うん、私はたぶん大丈夫」
いいのか?という様な眼差しに頷いて静かに降ろしてもらった。
「泉さん……」
その声に顔を出すとアスティンさんが前に歩み出た。アスティンさんが急に跪いて顔を伏せた。
「今回のことは…本当に、ごめんね。沢山辛い思い、恐ろしい思いをさせてしまった。泉さんにとっては…二度と経験したくなかったことだろう?本当にごめん、わたしの思慮が足りないばかりに泉さんにばかり無理を強いてしまう」
「…それは、違います」
私は片膝をついてアスティンさんに身を寄せた。
「書斎の…地下へ行こうと言ったのは私なんです。元をたどれば…自業自得かなあ?あはは」
「違う――違うよ!あたしが金の鍵を使ったから」
「金の鍵?あの部屋の鍵は金だったの?実花」
「うん…散らばった鍵に、金色が無かったもん」
屋敷は広いですから、きっと楽しいと思いますよ。でも、一つお願いがあります
この……金の鍵の部屋には、決して入らぬように。…散らかってますので
「金の鍵をスワードが渡したの?泉さんに?」
「あ、はい。鍵の束を渡されて、その中にありました」
顔を上げたアスティンさんの眉間に皺が寄った。そのまま立ち上がると私に手を伸ばす。その手を取り私は立ちあがった。
そしてアスティンさんは何かを深く考えるように喋るのを止めた。
「…でも、本当に傷が塞がってよかった…一時はどうなる、かと」
「あー私途中から記憶が無いんだよね。ちょっと若いシリウスに刺されてから全く覚えてないんだけど、どうなってたの?」
湊は僅かに躊躇うように唾を呑んだ。しかし、すぐに私を見据えるとそのまま私に手を伸ばした。「え」とだけ言い私は椅子へと僅かに飛ばされた。ぽすん、と御尻が着地した椅子は存外ふかふかだった。
「あれはシリウスじゃないよ。シリウスはあんなことしないもん!」
「実花」
「それは…どうかな。何度かあの男…シリウスに会ったことあるけど、あいつならしそう」
「そ、それは――」
「実花!…簡潔に説明するだけで、いいよな?」
「もう、どうしたのよ実花?…お願い湊」
「気にすんな」
この部屋に居る全員が腰を降ろした。誰もが湊との語りを待っているようだ、いや待っていたのだ。
「あれは――あの幻は、全てバレンっていう少女の仕業だ。泉も何度か会ってるんじゃねぇの?」
「バレン…?」
「金髪に紅い目の女の子だよ泉さん。スワードの事をお父様、とか言ってたなかったかな」
「ああ…!」
あの子はバレンと言うのか。
「で、泉が気を失った後俺と実花でバレンの空間に捻じ入った。…そこはアスティンに感謝してる、ありがとう」
「これくらいしかできないからね、お礼なんていらないよ」
「…。泉を取り返した後バレンとの直接勝負……になった。そして、俺の権限を使って彼奴らを元の世界に返した。バレンとミズナ…だっけか?あいつらは身体こそ違えど元人間だったんだ」
「愚者だったってこと!?あの子が!?…そんな風に見えなかったけど…ってか権限って何?」
「…泉を刺したシリウス――あれは球体人形だったんだぜ。魔術で外見を変えていた人形に意志があったかは…知らねぇが」
「球体人形…!?で、でも、そんなはずは」
触れられた感触をはっきりと覚えている。温もりを思い出すことが出来る。
「…×××××の追体験をした時のことか?」
「えっ」
「…見てたし」
「みて、た…?どうやって……」
「わたしの魔術で、ちょいちょい…と」
「どこから……」
「泉がシリウスのふりをしていた時から」
「初めからじゃん!!なんですぐに助けに来てくれなかったの!?」
あ、あああ恥ずかしい……!
「出来なかったんだよ!出来てたらすぐに助けに行くにきまってんだろーが」
「……!あ、ありが…さんくす…」
突然実花が私の横に座りなおした。不思議に思って顔を向けると実花は俯いていて顔が見えない。
「話を戻すぞ。んで、泉の傷をそこのアルピリって奴に治させた。感謝しておけ、そいつがもし居なかったから泉はし、し……」
「…なに?」
「……危なかったんだよ、泉本当に危なかったんだよ!」
実花に手を取られた。驚いて顔を見ると先程の影は姿を消していた。
「危なかった?」
「死んじゃうかもしれなかったんだよ、ほんとに……!」
実花の目から雫が零れる。ぎょっとしていると、「う"~」と上擦り絶える声がしてソファを濡らしていく。
「もう…そっか。心配してくれて、ありがと」
左手で実花の肩を抱き寄せるとそのまま声を埋めて泣いていた。ちらりと湊を見るとアルピリさんに肩を叩かれながら口元を抑える湊が居た。
「…湊?」
はっ、と私を見る。
「わり、ちょっとトイレ」
「は!?」
「俺っちもでかいほう~」
「言わなくていいです!」
「あはは…じゃあ続きはわたしが言おうかな」
「お願いしますアスティンさん…もう!」
「あはは…」
席を離れた二人の代わりに私達はアスティンさんの方へ向いた。
「ここに来るまでは大体わかりました。…バレンは…地球、…私が元いた世界に帰ったってつまり…?」
「解放してあげたんだよ、魂を…あの身体から」
「まさか」
「うん。殺す――と形容はしたくないんだけどね」
「湊が…バレンとミズナを殺したんですか……あの湊が…?」
「そうだよ、湊くんは権限を持っていたから。それに、あのまま違う誰かがバレンの首を落としていたら彼女はこちらに還れず、彼方に帰れず…要らない魂として人間界よりはるか下に落ちていたよ」
「遥か下?」
「地獄、魔界――何と言ったらわかりやすい?」
「泉…湊くんは正しいことをしたの。それだけ、わかってあげて?」
「う、うん……。あ、ねえアスティンさん。湊が持ってるその権限って…何ですか?」
「嗚呼、それは――」
間を置いて、彼は笑った。
「何だろう、ね?」
**
「リアラ……」
「湊」
「……」
「この俺の名は湊、だ。間違えんじゃねぇ」
「…そうかい」
アルピリは湊の表情を見て、頬を掻いた。湊は頭をくしゃりと掴むと溜息を吐きながら笑う。
「……はは、情けねぇ」
その声は酷く寂しく響いてしまった。
腹が減ったら かりんとうをたべるよ ホトトギス




