毒の花
……此処に居たんだ。
「いつでもそばでみてるわ」
え?
「あと少し…あと少し…」
ちょ――。
「成功を、いのってる」
**
「…あ、エリーシア様。よく眠れましたか?」
「……――シリ……ウス…?」
薄く開いた目に飛び込んで来たのは、微笑んだシリウスだった。晴天の青に、蒼天の青が重なる。
「ここは……」
「スワードが、貴女に作ったあの丘です」
「丘……」
ちらりと横を見ると薄紫の小さな花達が太陽を仰いで咲いていた。淡く凪いだ風が花弁を靡かせて、仄かに鼻腔を擽っている。
……嗚呼、なんていい気持だろう。身体を動かす気力さえ起きない。それほどまでに、今の私の気持ちは満たされていた。
「やっと…此処に来れましたね。前回のあの後から…エリーシア様の体調がずっと優れなくて。気がつけば…嗚呼、これが最後なんて」
前回…って、いつ、だっけ……。
「…ああ、もうお眠りになりますか?ふふ、仕方ないなあ……。今回も…約束は果たせました…ね、エリーシア様――」
「シリウス…」
「はい」
「私の…最期の約束、覚えてる?」
「……」
「お願い…お願いね。お前しかいないの…リアラも…スワードにも頼めない…お前しか…」
「エリーシア、」
「何も言わないで。嗚呼、お前の作る世界にはどんな花が咲くのかしら――」
そしてどうか、私の欠落に…嘆くことがないように……。
「――か、陛下っ!聞いておられたか!」
「っ、あ、!?」
誰かに鈍器で頭を殴られたかのように意識が混濁する。ついでに吐き気も這いあがってきた、何が、なにが起こって。
「この異常をどう説明致すおつもりか!穢れが我らの世界だけに留まらず、下界にも流れ出る始末!このままでは我らはおろか人類まで死に至りますぞ!」
「そうです!陛下の御世に於いてこのような――嗚呼もう陛下はお休み成られては如何ですかな」
「くくく…何を仰いますの?陛下はこの世に於いて至高のお方。我らの様に還る必要が無き存在――故に、強大なのですよ…」
「――ええい黙れ貴様等!わしは陛下にお伺いを立てている!腸が黒い貴様らに等聞いておらんわ!さあ、陛下!いつまで口を閉ざしているおつもりか!お答え願おう!」
ほんと、何が…起こってるの?
気づけば私は、目の前が薄いカーテンに閉じられた一つだけの椅子に座っていた。視界から見える下には、豪奢な衣装を身に纏った数人の男女が見える。彼らは怒鳴り合い、嘲笑い合い――そして、此方を睨みつけていた。
かた、と震えた私の腕が水の入ったグラスを倒した。グラスはその場に倒れ水だけが床の絨毯を濃く染めた。
「エリーシア様…」
そっと私の肩を支えたのはシリウスだった。私は動揺のあまり、あと少しの安堵を以て――シリウスの腕に身を寄せた。
「ね、ねえ、これ」
「陛下――っ!!」
肩が跳ねた。反射的にカーテンの向こうを見ると、鋭く光る緑眼の男が私を睨みつけている。怖い、怖い――心からそう思った。
「何故、何故お答えにならないのです――我らに…我らに陛下の御心をお伝えください…あの頃の様に!」
うる、さい。
「ふふっふふふ…世を治める術を失った王に…我らが頭を垂れる必要性は…あるのかしら…」
「貴女――陛下の御前で!先程から黙って聞いていれば……!少々口が過ぎます!無礼を詫びなさいッ!」
「あらいやねぇ…あはは。黙るのはお前の方よクルヴェ…。うふふ、ああ――ねえ、クルヴェのお得意のその淫夢で陛下の御心を御慰めしてさしあげたらぁ?ねぇ、あなたの得意分野でしょう――黄金?」
「きっさま――!」
「うるさっ…ごほっごほごほ――ッ!……っひっ…」
突発的に連呼した咳は彼らに届くことは無かった。立ち上がり口論を止めようとした行為を止めた席に膝を折られ、私は床に蹲った。喉が、焼けつく。肺が痛い、苦しい――。口の中につん、とした不快な味を感じて手を離した。そして、そこには。
血にまみれた手があった。
動揺した。動揺して腰を打った。それさえも気づかないほどに。
口の端から垂れた血が胸元を濡らしても気にも止められなかった。唯、終わりを感じた。理性の奥が受け入れた終わり。それは生の終わりではない。確信していた、何かが終わって、また繰り返すと。
なんだ、これは…いつものことじゃないか。
私は口元を拭って立ち上がった。そして真っ直ぐカーテンへ近づき手を掛けた。発言するために少し咳ばらいをして。もう少しだけ背を伸ばして、そして後はカーテンを――。
あ、ける だけ だっ た。
の に 。
「……シリ、う、す…っ…?」
ずるりと胸元を貫いた赤に照り輝いた煌きが抜かれた。肺を溢れさせて喉から込み上げたものが生理的に吐き出された。ふらついた足元の代わりに支えを得ようとして伸ばしたものは薄いカーテンで、私の体重に耐えきれることもなくそれは私を落下の舞台に導いた。
「陛下!やっとお出に……」
受け身を取る余裕もないまま、私は全身の痛みを受けた。誰かの足元に、私の中から出たインクが広がっていく。
赤い、赤い赤い赤い絵の具が、白亜の床を伝って広がる。きれいだな、なんてすこし思ったり。
「い、いやああああ――――っ!!陛下、陛下あああ――――っ!?」
ごぷり、なんて音が聞こえる。耳鳴りが激しく鳴り響く。警告…警告…警告をするように…。
しかし私はその場を動かなかった。動けたのに、動けなかった。何故か心を満たす感情が溢れ出て涙が視界を歪めていた。
また、また、見てしまった。もう見たくないのに、忘れたいのに。悲しい、思い出。シリウス、嗚呼シリウス――何故、何故?
耳に届く兵士の声。劈く悲鳴。代わる代わる交わる朱の飛び色。昔テレビで見た事がある。バケツに赤色の絵の具を並々とついだ画家が、そこに筆をどぷっとつけて…真っ白なキャンパスに筆を力一杯振り下ろした、あの芸術。
つけて、力一杯振り下ろす。力を付けて振りかぶれば振りかぶる程…赤の軌道は美しい。
急に、身体が反転した。目に映った、絵の具を被った男。彼がテレビでみたあの画家なのだろうか?
頬に振ってくる生暖かい雫と、振り下ろされる刃だけを感じる。揺れる、身が揺れる。また、だ。シリウスに何も届かない――。
静かに失せていく視界の隅で、少女が……満足げに笑った。
嗚呼――夕日が…落ちて――。
先日、声優のアプリの方で泉の声を募集してみました。
……みんなうますぎだろ……(戦慄)




