呼び声
門を開けた力より強く自室のドアを開け放つと流れる動作で私はベッドへダイブした。私は柔らかいベッドが好き。けど、そんな我が儘を言ってママを困らすのは駄目なので文句は言わない。……実はとうの昔に困らせた事はあるのだ。駄々を捏ねる私に制裁を下したママはまるで鬼だ。流石うちのママ。もう怒らせまい。
気怠く疲れた身体を横にしていると、先程までの睡魔が再び顔をもたげる。心地よい其れは抗わせる気を奪うから、私は静かに眠りに落ちた。
俺は、黄昏に染まる空を背景に、丘の花畑に立つ君が好きだった。
どんな肖像画よりも美しい。本物の君に勝るものなどこの世界にはない。
唯一の俺の良心だった、君は。君が笑ってくれるから、俺は面白い事を頑張って考えた。君が喜んでくれるから、美しいだろう花畑を造った。
唯一の俺の生き甲斐だった。失うわけにはいかなかった。
( これは、 )
--一人の男性が、黄昏れ花が枯れたその花畑で空を見ていた。そして、私に聞こえている声は彼が発しているものかは私からは確認出来ない。ただ一つ、握りしめた手が微かに震えてたから、私は涙を堪えてるのだと直感でそう思った。--
……失うわけには、いかなかったんだ。
見てみろ、………シア。君という主人を喪った花達は全て枯れてしまった。この丘は、君を乞う様に、黄昏を離さない。
………シア。君に、あいたい。
--彼が顔を伏せ、右腕を顔に擦り付けていた。私は、感じ取るその切ない思いに胸が締め付けられ、彼の元へと一歩足を踏み出す。
かさ、と花が音を立てた。--
「……嗚呼、やっとか」
--振り向いた彼の顔を、黄昏が邪魔して見させない。微笑んだ様な彼の頬を雫が流れるのは、辛うじて感じ取れた。--
( ……え? )
--私は二つの意味で驚いた。一つは、彼の言葉の意味がわからなかったこと。もう一つは--
( 声が出ない…… )
--喉に手を当ててから、一つの結論へと至る。そうだ、これは夢だ。夢だから声が出なくたって問題ないのだ。--
「待ちくたびれた、」
--声にはっとした。彼が近づいてるのに気づかなかった。相変わらず、彼の顔は見えない。
私の頬を濡れた右手で撫でる彼の手を、不思議と驚きもせず受け入れる事が出来た。
違う。
拒絶を、私が拒んだのだ。繰り返し繰り返し誰かを求めた彼が、私を初めて見つめた事に歓喜した。
それだけ――
「おかえり、エリーシア」
ジリリリリリリリリリリリリリ!!
「あっ!?……――くっそ目覚まし!!今いいとこだったのに!!」
悪魔の目覚ましの所為で私は、少女漫画の様な夢から強制退却させられた。あの夢、久しぶりだったのに。私の好きな夢。甘い切なさに満たされる夢。私は好きなのに!
「目覚ましぃぃいいいいいい!!」
「目覚ましぃぃいいいのくせにぃいいい!」
電池抜いてベッドに叩きつけてやろうかこの雌豚ァ!!
「うるさいわよ泉!」
うちの大魔王から殺気が飛んできた。
目覚ましめ、また命拾いしたな。
それにしても、あの夢だけは何度見ようと必ず忘れてしまう。どんな夢だったけ?覚えているのは、胸を支配する甘い感覚だけ。こんな感覚、普通覚えないのに。考えるだけ無駄か。そう判断して、私は立ち上がった。下からママの声が聞こえたので、私は下へ下りる事にした。きっと夕食の呼びかけだから。
夕食の最中も、私は無意識に夢のことを考えていた。ママは私を寝ぼけ顔めとつつき、父は夕食が終わったら早く寝る様にと言った。妹は特に何も言わない。いつもの光景だった。でも私はあれが気になる。何故だろう……。
夕食を終え、私は再びベッドに倒れた。窓越しに月が見える。今日は満月だ。風に運ばれたのか、桜が幻想的な雰囲気を醸し出す様に舞っている。
「綺麗……」
そう呟きながら私の意識は微睡みに落ちていく。
「エリーシア」
声が響いた。急いでベッドから身体を起こして辺りを見る。そうだ、エリーシアだ。彼が呼んだ名前。誰の名前かは知らない。でも、そんなことは関係ない。ずっと、ずっとあの丘で泣いていた彼が呼んでいた名前だ。推測するに、その人はもう亡くなっている。
「思い出した」
夢の内容を。時刻は既に二時を回っていた。外を見ると、空が真っ赤に染まっていた。その中、月が異常なほどの輝きを放っている。美しいと思った。窓ガラスを開けると下からの気流のせいか、桜の花びらが私の方へと舞い込んで来て声をあげてしまう。
「エリーシア」
切なさを孕んだ声がはっきりと聞こえた。きゅう、と胸が締め付けられる。行かなきゃ、彼の元に。これ以上黙って見ていられない。私が慰めてあげよう、その人の代わりにはなれないけど、私にも彼に出来ることはあるはず。
どこに行くの?私が私に質問する。わからない、でも気持ちが急き立てるから行くよ。
私はまだ夢を見ているのよ。--違う、これは夢じゃない。
何故?--何故って、
「声が、出るもん」
玄関のドアを開け、外に飛び出る。空は時間のドレスを失い、赤に狂う。それなのに、私以外この街はこの異常を無視する様に静まり返っている。
家に戻りましょう。--何故?
何故って……。
この質問には答えない。
私は走った。当てなどない、ただ直感で走る。不思議と息は切れなかった。空と月が輝くこの街は狂おしくも綺麗だ。
「こっち、」
確信はない、でもこっち。私は桜の森へと入る。獣道は桜の花びらで覆われ、まるでピンクのカーペットの上を走っているよう。規則的な私の息遣いだけか木霊する世界で走り続ける。
ふと、視界が開けた。
強烈な光に視力を一時的に奪われ、私は腕で光を遮る。多少慣れたところで、私は腕を下ろした。
其処は、花が咲き乱れる丘の園だった。現実の丘の花は、枯れていない。
夢で彼が立っていた場所に、一人の女性が立っている。茜色の光を髪に反射させ、長い髪は風に揺れていた。
「何故って」
地面が崩れた。がくんっと急に感じる重力にバランスを崩せば私の視界から彼女が消える。
外はいつでも、怖いから。
上を見上げる私に、見えるのは彼女の後ろ姿。 宙に伸ばした右手は、光を透かした。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリ。
「はっ。……はあ、は…あ……!」
視界は黒一色。聞こえるのは隣でけたたましく鳴り止まない時計と、わたしの荒い息遣い。ばんっ、と目覚ましを止めれば右手に付いている花弁に目が止まった。
桜……。
何で、こんな所に?
一人首をかしげる私のうなじを冷たい風が横切る。さむっ……!春の夜風は、まだ寒い。
小さく息を吐いて、私は明日の為に寝てしまおうと窓を閉めるのだった。
途中で切らず、一ページに収めてみました。