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開幕

 石畳の階段をずれた足音が降りていく。徐々に無機質なモノに変わっていく壁の装飾は、静かに"引き返せ"と告げているようだった。


 しかし、目の前に佇む金の縁の扉に幼い好奇心が手を引かれていた。そのままひやりとしたドアノブに触れて、ゆっくり回す。二人でそろりと部屋の中を覗いてみた。


「…泉、何か見える?」

「いや、よく見えないんだけど…」

「電気つける?」

「うん――ていやいや。ここに来てからスイッチなんて見た事ないね」

「そっかあー……」


 戻ろうか。

 そんな台詞をどちらが言うか空気を読んでいる内に、急な光に目が眩んだ。「うわっ、」と細めた目と、光を瞬時に遮った手の内で光る目が、中に食い入る。更に奥へと続く廊下を照らす光に、電球の在処を望めない。私と実花は互いに頷いて、身体を滑り込ませた。




 扉は、大きな音を立てて閉まった。そう、突然に。


「へっ!?」


 すぐに近寄ってきた実花と身体を合わせて私達は警戒の色を出した。そっと近づいてノブを回しても、何かが引っかかっている様に回らない。


「むだよ」

「きゃっ」


 実花の声に反応して、私はゆっくりと後ろを見た。そして私の喉も詰まってしまう。なぜなら、再び見えた正体に私の頭は鈍い痛みを感じていたからだ。


「どうして……あなたが」


 金の髪に、仄かに赤い瞳。幼子特有の可愛らしい目をくりくりとさせて、その女の子は私達を見上げていた。私の問い掛けにほろ甘く笑みを零すと小さく首を傾げてみせた。


「泉離れてっ!!」


 我に返った実花が私の前に立ち塞がり女の子と距離を取らせる。それに驚いて「ちょっと実花!」と諌めるも、普段と打って変わった態度の実花に此方が我を忘れそうだった。


「シリウスには会えたの?」


 鈴のような声が耳に入り込む。あの時のことを言っていると安易に予想できた。


「ああ…こっちのシリウスがいるから、あっちのシリウスはもう要らない?」


 どういうこと?

 私は眉を顰めた。その様子に少女は「ちがうの?」と問いかけ続ける。

 

「あくまでだーんまりなのね。そ、ならそれはそれでいいわよ」


 少女はくるりと私達に背を向けると、長い廊下を進みだした。困惑した私達はすべき事がわからずにその場に留まるしかなかった。すると、自分ひとりの足音しか響かないことを疑問に思ったのか少し膨れた面持ちで少女を此方を振り返った。


「はやく来なさいよ。お父様も、そのためにあなた達を此処によんだんでしょう?」


 お父様?それってつまり、


「スワード」

「お父様」


 鋭い声が私の声を遮った。仄かに赤い瞳が別人の如く吊り上ると、そのまま私を射抜く。


愚者(ナール)をすててないあなたが、まだあの子じゃないあなたが、ゆるされるとおもってるの?」

「泉…もういい、戻ろう」

「これだから、わたし、妹達(あなたたち)がきらいなのよ――」

「泉!!」


 掴まれた腕と、背景が入れ替わるのは同時だった。先程までの無機質な廊下の壁は、一瞬にして彩色鮮やかな物に変わり軽く視界を刺激した。扉を求めて後ろを振り返るとそこに続くのは床の延長。右手にあるのは、外を見通す大きなガラス窓。カーテンは赤と青で美しい。外では艶やかな緑が風に揺れていた。


「……おい、どうしたんだ?」

「え?」


 問いかけられた男の人の声に振り向けば、そこに立っていたのは、


「……スワード……?」


 と同じ顔をした少し若い男性。同じ色の髪は少し短く、表情は普段は見た事もない困惑顔。数歩私の周りを歩いて私の顔を覗き込んだスワードに、私は気おくれして下がってしまう。


「…んだよ腹立つ。オドオドするな気になることがあるならはっきり――」

「だめよスワード。そんなに怒らないで」


 鈴の様な声が横から割って入ってきた。食い入るように見ると、面白くて仕方がないと言った様な表情で少女がスワードを言葉で制止していた。


「エリーシア様。…しかしシリウスは俺と肩を並べる騎士団長です。そんな一柱が……」


 え?いま何て言った?エリーシア様?……この子が?


 驚愕の視線を投げると、それを受け取った少女が深く口角を歪めた。ぴり、と背筋に電流が走る。スワード…の話に頷きながら決して私から視界を外そうとしない。そしてもう一つ、シリウスって…。


「ちょっと待って」


 私の一声に、スワードが黙って鋭い目を投げて来た。…ぐ、きつい。始めて投げられた恐ろしさに私の胸は軋む。


「い、意味がわからない。ねえ、あなた、スワード」

「もう…まただれかに何か言われたの?シリウス」


 被せられた強い声に私はぐう、と押し負けた。黙り込んだ私に少女は穏やかに笑み、スワードらしき人物は溜息を吐いた。


「話にならない。行きましょう、エリーシア様」

「ええ…でも…」

「弱い奴は要らない。それだけです」


 ぐさり、ぐさり。声色と視線が冷たすぎる。今の私が対峙しているスワードらしき人物が誰であれ、そっくりな目が、声が容赦なく私を抉った。……唐突に、涙が込み上げてきた。今まで優しかった瞳が声が、私に寄り添ってくれない。


 ちらりと視線を上げると、笑った目が交差した。……スワードに連れられこの場を離れようとした少女が、最後に私に()んだ。そしてそのままスワードの方へ顔を向けると…嬉しそうに、心から本当に嬉しそうに桜色の頬を綻ばせて笑った。


「なにあれ……むかつく」


 じり、と疼く胸を抑えると固い物も同時に握っていた。つと視線を落とすと、じわりと握った掌が暖かくなった。


「アンス……」


 弱く点滅する光に、アンスも戸惑っているのがよくわかる。そうだよね、と呟くとアンスが申し訳なさそうにしている様子が見て取れた。


**


 私はしばらく、忽然と姿を消した実花を求めて広い屋敷を彷徨った。そのお陰かわかったことがある。そう、ここは――王都の最高機関。即ち、宮殿。

 色合いが以前訪れた時と全く異なっていたから、気づくのに時間が要った。あの男が君臨する城の空気がどんよりとしていて居心地がとても悪かった。酔いは酷さを増したし、息も詰まったのに……かといって此処が安心するというわけでもない。

 この城は、どこか朧げ。儚い、とでも言うのだろうか……端の方がピントが合わなくてぼけた写真の様な…。白く差し込む太陽が白昼夢を連想させる所為でもあるだろう。


 さて、この城の考察はここまでにして実花を探してここを出よう。どうやってスワードの屋敷に戻れるのかはわからないけど…スワード、スワードかあ…。


「ねえ、アンス。やっぱり…さっきのあの人さ…スワードに似てたよね?」


 ぽつりと零れた勢いで、私の口は心のわだかまりを流していく。


「そりゃ別人だろうね。だって、私は本当のスワードを知ってるもん。それにスワードが私にあんな目を向ける訳ないもん。……魔法でもない限り、急に若返ったり――」


 脳の奥で、ピースが音を立てて空白にハマった。


 いやいやいやいや、おかしい。おかしい!違う違う私は何を、馬鹿じゃないの、ほんとに!だって、おかしいよ。おかしい!

 スワードはまだ屋敷に帰ってきてない。万が一あの女の子が魔法を使えたとしても、若返りの魔法とか使えたりしても!居ない人間に魔法をかけて、連れ戻すことなんて出来ない、はずだ。


 …いやまって。確か…スワードは今どこにいるの?


 まさか、


「連れ出されたのは私……?」


 私を囲む城も、すれ違い行く人も全てが本物だった。もし…あの瞬間にこの城に飛ばされて、全てに細工をされたら?でも、スワードがそう簡単に他人の術にハマるのだろうか?


「ああ…わからない!」


 だんっ、と強く床を踏んで私は勢いよく振り返った。その時に誰かにぶつかってしまう。短い悲鳴を上げてよろめいたその人の身体がスローモーションで落ちていくのが見えた。やばい、そう感じて私はその人の細い手首を取る。しかし、取られたのは何故か私だった。


「……へ?」


 凄まじい力で引っ張られて私は身体を投げ出した。そのままその誰かを軸にしてぐるりと円を描くように回される。「ちょちょちょ!」私はこけないように必死でその動きについていった。「あぐっ」止まるなら普通に止まって欲しい。私は壁先輩の熱い抱擁のお陰で、慣性の法則から無事帰還した。


「はあ…どんくさい。…そんな体たらくで、本当によろしいのですか?シリウス」


 ぐるぐる回る頭を押さえながら私が見上げたその先にあったのは――赤い髪と、緑の瞳だった。



寝ても寝ても寝たりません。ああ!寝たい!惰眠を!貪りたい!

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