夢の逢瀬
私がアンスに喜びの頬すりすりをしている時、巫女装束の女性が私の肩を数回叩いた。自然と行為を止めて振り返ると、その女性はやや疲れた顔をして小さく頭を下げた。また私が頭を下げると、女性はふわりと微笑んでくれた。気の強そうな澄ました綺麗な顔だったから、私は失礼ながら勝手に嫌なやつイメージを持っていたけど、それで全てが帳消しになった。……いい人っぽい。
「……泉様?」
さらさらとした黒髪を揺らして首を傾げる女性。……まじかで美人の顔を見るのは辛い、色んな意味で。
「は、はい…如何にも私が泉ですね……」
「巫共々、御還りを心よりお待ち申し上げておりました」
女性は汚れることも厭わずに、地面に正座をした。そして手を付くと深く叩頭する。髪の毛が砂に付こうとも、構わない姿勢。
「嗚呼……本当に、本当に長かった……!」
感極まったその声に、私は戸惑いを覚えることしか出来ない。顔を上げて下さい、と言おうとした私の肩を今度は湊が触れる。
「したい様にさせてやってくれよ」
女性を見下ろす湊の目は読み取れない程無機質で。「どうせ、俺達はすぐに帰るんだからさ」と小さく言って、いつも通り私に笑い掛けた。
***
全員色々な事があって疲れているだろう、と言うことで巫女さんが屋敷へ案内してくれた。あ、どうやらさっきの女性は巫女さんで合っているみたいです。
小さな部屋に通され、今いるのは私と眠ってる実花だけ。残りの五人は話があるみたいで、何処かへ消えた。……蚊帳の外って言われたみたいで少し不満。……少しね。
ううん、にしてもよく眠ってるなあ……実花。私が居ない間、どんなことしてたんだろう?嫌な奴にいじめられたりしてないかな…。私にはスワードが居たけど、この子には……。あ、そうか、あの男が守ってたかなんか言ってたなあ。
私は、あの男性に良いイメージが抱けない。……だって出会い頭に槍を突き付けられたんだよ、無理でしょ。……あの日の光景を思い出すだけで身震いがする。そんな時はアンスを握ればいい。……はあ、なんかアンスって……小動物的な安心感があるよね……。
「泉」
「はいいいっ、……な、何ですかアンスさん」
「我は剣である」
「はい……」
……何でわかった?この剣、やる……。
私がアンスを摘み上げてまじまじと鑑定している最中、外でドタドタと騒がしい音が響く。何だろう、と顔を扉の方へ向けると勢いよく開かれた。そして、舞い込む誰か。
「――――ねえさああああんっ!で!何だったんですかさっきの騒ぎ……は……」
それは少年……?というには少し大人びている。けど少年。くりくりとした大きな瞳はみるみる内に更に大きくなり震える唇が小さな声を紡いだ。
「……すみません、巫女様は……?」
「ええと、皆と一緒に何処かへ……行きましたよ……?」
「そう……ですか……」
そう言って、少年は静かに扉を閉めた……と思ったけど、直ぐにドタドタと駆けて行く音が聞こえる。何だったんだろう……?と首を傾げていると、少し離れた所で悲鳴が響いた。
「……巫女と巫は相変わらず」
「アンスの知り合い?」
「んん…まあ、如何にも…?」
「何で疑問形なの……」
私とアンスの間に、変な空気が流れた。
「…ふわあ……眠い……」
「少し寝てはどうか」
「うーん……」
ちらりと実花を見る。すやすやと気持ちよさげに寝息を立てる姿を見てるとますます誘われそう。
「じゃあ……30分経ったら起こして。それか、スワード達が帰ってきたら……」
「御意に。良い夢を」
「うん……」
実花に寄り添うように横になる。久しぶりに見る横顔は、以前より少し大人びて見えた。
:::
水音が、響く。一滴の雫の音。
その音に合わせた様に私は静かに瞼を上げた。目の奥を弄る様に風景が入り込んでくる。
「ここは……」
思ったよりも声が響く事に驚いた。咄嗟に口に手を当てたけど、発した声は戻らない。長い長い、堂の様な所。空気は冷たく薄暗くて、身震いを催す。
「寒い……」
息は白くないのに、体が震える。でも、目の前から暖かい風が流れてくる。そうだ、この先に進めばこの空間から逃れることが出来るんじゃないかな?
ひたひたと私の足音が続く中、水音も続く。見渡しても、水源なんて…ない。
奥には祭壇……だろうか。石で出来た長方形の……。
人、だ。人が、祭壇の上に寝かされている。仄かに明るくなったそこは、きらきらと金の光が見えた。
近づいてみると、眠っていたのは金の長髪を持った女の人だった。固く閉ざされた眼と冷たい頬。……もしかして……、
「死んでる……?まさか、」
「そこで何をしている」
肩が跳ね上がった。嫌な、声。思い出したくもない顔。絞められた首。詰まる呼吸。まるで剣先を喉に突き付けられた様に動くことが許されない。
背後で足音が嫌に響いた。こつこつ…と規則正しい足音は、僅かな段差の前で止まる。
「あんたは……へえ、まだ生きていたのか」
背後で、男が笑う。か弱い笑い方だとしてもその声の中には、はっきりとした蔑みの音が混じる。
震えだした足が、今にも崩れてしまいそう。襲い来るのは恐怖、恐怖はあの男自身。
かつん――その音は、男が再び進行を始めた合図。恐ろしく近い音源、崩れた膝を犠牲にして私は祭壇にしがみ付いた。
来ないで…来ないで‼振り向けない背後に向けて、無い音声で訴える。目の前で安らかに眠る女の人は、この恐怖を感じ得ない。
急に右手を掴みとられ、強制的に振り向かされた。腕が外れそうな勢いで上に持ち上げられた私の身体は少し浮いているが、痛覚さえ朧げになる。それほどまでに私の脳は恐怖に侵されていた。
恐ろしすぎて顔を見ることが出来ない、ただ、「痛い痛い!」と反射的に喚くだけしか。
しかし、男は何もしてこない。私はきつく閉ざした瞼を恐る恐る開けてみた。見えた男の足。それが一瞬で――――朱にそまった。
絶句する。まるで絵の具を飛び散らせた様な模様。そして、男の上半身から下半身へと垂れる……赤が、溜まりを作っている。
再び震えだす身体、笑いだした声。
「苦しいんだ……」
絞り出された声が、私の顔をゆっくりと持ち上げる。瞳と同じ色を散らせた焦燥した顔は、まるで――狂人。
「あんたのッ……せいで―――!!」
祭壇に打ち付けられ、私は痛みに声を上げた。すらりと抜かれた金属音。私はとっさに胸元を弄る。
「ない…無い……アンスッ…何で……ッ!?」
「その力さえ……少しは…」
周囲を見渡しても無い!どうして!さっきまで、ここに……さっきまで……って……いつ……。
影が、腕を振り上げた。
「――――‼‼!」
勢いよく起き上がったせいで、腰が痛い。でも、もうあの男の姿は何処にも無かった。……いや、それどころか此処はあの冷たい場所じゃない。
「いずみ……」
温かいものが、手に触れた。横を見ると、まだ眠っている実花が私の手を握っているようだった。あれ、あれー…えっとこれは……。
「ゆ、ゆめ……?は、はあ……もう悪夢すぎ笑える……」
寝ていたはずなのにどっと疲れた。それに冷や汗も掻いて暑いような寒いような。
私は、いつもより長く溜息を吐いた。
相変わらずシリウスくんは物騒ですね!