異 水底に沈んだモノ
「――実花?」
目を開けると、見たこともないドレスを着た泉があたしを覗き込んでいた。
「あ、あれ?泉?」
あたしは素っ頓狂な声を上げてしまったようで、泉がくすくすと笑っている。あたしも何だかおかしくって、笑ってしまった。
端に涙が浮かんでいた様で、泉が掬ってくれる。「……どんな夢を見てたの?」と穏やかに泉が笑ってくれていた。
その行為に、その笑顔に。あたしの中で押さえつけていた小さな衝動が解放された。
弾かれた様にあたしは泉に抱き着いた。泉は特別驚きもせず、あたしを受け止めて、返してくれた。小さく「何よ、もう」と笑いながら。
あたしは暫く、泉に……鼻水は付けてなかったと思うけど色々泉の服に擦りつけて声を上げて泣いた。
あたしが落ち着て来た頃、泉はあたしを覗き込んで「……で、何の夢見てた?そんなになるほど怖かったんだ?」と意地悪そうに笑う。
「んーん!別に何でもないよ!それにそれに、なあにそのドレス!かわいい!泉とっーても可愛いよ!」
「何でもないわけないでしょ。実花、」
「えっ…と!大丈夫大丈夫!あたしの目より今は泉がどんなに可愛いかについてあたしが論証しまーす!」
可愛い、と褒めちぎっていた途端あたしは自分が花畑に居ることに気付いた。
「所で……ここ何処?花畑とか近くにあったかなあ……?」
「何言ってんの、ずっとあったよ」
「ええ?」
「でもね、もうずっと、咲いてないわ。花なんて」
「……え?」
泉が、花の中で呟いた。
あたしは急に不安になって、泉の手を掴んでしまう。そのせいで、泉が編んでいた花冠が落ちてしまった。そしてその花冠は、……枯れ朽ちた。
「ほらね、もう咲かないのこの丘には。……お前だって、本当は見えているくせに。ねえ?」
「……誰……泉じゃない……」
「お前にこれを見せているのは、湊ね?」
泉は、花を一輪千切るとそう問いかけた。あたしは、「…そうだと思う……」としか言えない。
その声も、顔も、全てが泉なのに。
泉じゃない。
「そう……こうなるならやっぱり、頼むんじゃなかった」
泉は私の頬を両手で包み、微笑んだ。あたしはそれが恐ろしく見えた。
「……?」
「見せてあげるわ、お前自身を」
そう云って、手が離れた。つい名残惜しさにあたしが目で追っていると、泉は「ほら、」とあたしの背後を指した。
「エリーシア様……」
その青年は、あたしの背後で佇んで、泉を見ていた。
と思っていたんだけど、
「あの頼りなさそうなのがお前よ。お前の魂の、元いた場所。そしてあれが..」
青年が見下げた先にいたのは、泉じゃなかった。
泉の後ろで座り空を見上げている金髪の女性だった。
「エリーシア。泉の持つ魂が前にいた場所」
呼びかけに応じるように顔を上げた女性の面立ちは、泉に少しだけ似ていた。ほんの、少しだけ。
その人はふわりと花の様に笑うと、立ち上がった。そのドレスは、今泉が着ているものと一緒……?
「エリーシアの身体はね、世界の毒を浄化する作用を持つの。正確には身体はそのものに浄化能力があるわけじゃないのだけれど、……反動が身体に来ちゃうのよね」
泉は二人が手を取り合って微笑み合う姿を見上げながら淡々と呟いていた。
「……お前は私の側近の一人だった」
「側近?」
「そうよ。……嗚呼、エリーシアはね、王様だったの」
「……王様、随分偉い人だね」
「……そうね、誰も彼も優しかったわ」
突然、女性が胸を押さえて苦しみだした。青年は慌てて彼女の身体を支える。
「エリーシアは転生を繰り返し過ぎて、核となる魂の活力がすり減っていっていた。当たり前よね、実花の世界にあるDVDとかも、使いすぎると乱れちゃうでしょう?それと一緒」
「……DVDを知ってるの……?」
「ふふ、勿論よ。だって地球は――……いいえ、これは別の機会に話しましょう」
泉はちらりと女性を見て、苦笑を浮かべた。
「私達の一生は長い。長すぎる生に比例して身体も丈夫なの。……でも、魂が健全でなければ身も健全なわけがない。エリーシアは、王様としての務めの果たせば果たす程、その周期が短くなっていった」
次に、女性が幼子になった。可愛らしいふっくらとした頬を丸くさせて、青年をしかりつけている。
「そして、その様子を間近で見ていたお前は何とかエリーシアを支えようと奮闘してくれたわ。……どう、少しは思い出せた?」
廻り廻る二人の映像が、あたしの中に眠る記憶だったと気づいた時、あたしは頬を濡らしていた。
あたしは、エリーシアに関する事柄で、あたしを思い出すしかなかったということも知った。
「うん……思い出した」
「そう」
「……あたし、が泉を守らなくちゃいけないのにっ……!あたし、諦めて、勝手に一人でっ……!」
「同じ魂と言えど、違う人だもの。気負わなくていいのよ」
泉があたしの涙を掬い取り、そっと微笑んでくれた。あたしも、ぐちゃぐちゃの顔のまま笑い返した。
「ねえ、実花」
「……なあに?」
「泉を助けてくれる?」
「何から?」
「……お前なら、わかるはず」
あたしは少し首を傾げた後、過去の二人を眺め見た。……そして、胸に手を当て目を閉じる。思い当たる節は、一つだけ。
あたしが、彼だった頃。
あたしが今、彼なら。愛しい魂を持つ別人が目の前に居て。
この世界には、魔法があって。失ってしまった命を、再び元の人間に戻せるのなら?
――わかる、今なら何もかもわかる。世界の構造が頭に流れ込んでくる。彼の記憶が、あたしに戻ってくる。
「……エリーシアが何者かに殺された後、シリウス達はあなたを転生させようとした」
「そうね」
「でも、……邪魔が入って……?それが出来なかったから、咄嗟にあなたの魂を下界に落とした」
「……」
「もし、エリーシアが再びこの世界に還ってきたなら……必ず……」
エリーシアを復活させる。
あたしは言葉を失った。その結論が示す真実に言葉を失った。
「駄目……駄目だよ……そんなことさせない……っ!」
エリーシアがあたしの肩に手を置いて、まっすぐ見つめてきた。
「そうよ。そんなことさせないで。……泉を守りなさい、それがお前の根底にあるもの」
「――うん。絶対に守るよ。もう絶対に、泉の手を離したりしない」
「ありがとう」
エリーシアがそう微笑んだ時、丘に突風が吹き荒れた。舞い散る褪せた花弁が、あたしたちの間に割り込む。つい声を上げて身を庇うと、エリーシアがぼやけて見えた。何度も目を擦ったけれど、一向にクリアにならない。
「あの!エリーシア!一つだけ、一つだけ教えて!」
「何?」
「何故あんなにも……あなたは、死んじゃったの――!?きゃあっ!」
枯れ逝き、散るのを待っていた花吹雪。その濁流が、あたしを飲んだ。
「何故、死んじゃったの……ですって?」
一面が、赤がくすんで紫の様な色に染まった花に覆われた丘にエリーシアは存在していた。いや、存在というより残留か。
突然の来客は突然連れ戻された。懐かしい面影を携えて来た、エリーシアにとって特別な感情を抱く存在は去り際に何と尋ねたか。
「――あははははは!」
その声が、どんな感情を孕んでいたのか……エリーシア自身、気づいていたのだろうか?
眠たいです。




