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命の加護

 アスティンさんの容態は良いものとは言えなかった。だらりと垂れ下がった左腕、頭からの出血。白を基調とした服装は斑目に染まったアスティンさんの血で赤かった。アスティンさんは気丈夫に笑っていたが、私にはどうやっても大丈夫そうに見えなかった。それはアスティンさんの愛馬も同じことを感じたのだろうか、自分も怪我をしていると言うのにアスティンさんを労わるように側にくっついている。


「アスティンさんも馬も…どうしよう……」


馬が鳴いた。馬の方を見ると、私と目があった後道を示した。そのみちは本来、私達が走り抜けるはずだった方向。


「この方向に何かあるの?」


馬が鳴いた。是なのか否なのか、どちらに取ろうとも取ることが出来ず私が眉を顰めていると、何処かしらから唐突に声が笑った。


「泉よ、そちらを行けば間も無く小さな街に至ろうよ」

「街?」


如何にも、と頷いた声に振り返ると...振り返ると?


誰もいない。…えっとぉ……。

 私は怪訝に眉を顰めると頬に手を持って行った。ぬるり、とした感触が肌を滑り毛が逆立つ。恐る恐る手を見ると……あ、血だ、さっきの。服を見てみる。……スワードに誂えて貰った服は見事に赤が散っていて、殺人現場よろしく名探偵おいでなさいませ状態だ。歩く死体だ。


「早く……街に、行こうか……。泉さんっも、早く着替えないと…」


 私を見たアスティンさんが渇いた笑みを浮かべる。頬は僅かに痙攣しているのが見て取れた。こんな時でも、そう意地でも笑うアスティンさんを見てると何かが込み上げて来て、私はアスティンさんの横にしゃがみ込んで服の袖を掴んだ。


「どうしたの……?あ、ああ…やっぱり怖かったっ…うっ…よね、ごめんね。わたしは、ほんと、う、戦いが……苦手、で」

「大丈夫です。……アスティンさん、私がアスティンさんを守ります」


 手を握る。驚いた様に飲み込まれた吐息が詰まる。アスティンさんの瞳を見つめ返すと、私が見えた。頬を赤く染めた歩く死体の様な私が、大きく頷き、笑う。


「この剣があれば、きっと守れないものは――」

「そうだとも、我が泉の元に在れば斬れぬモノは無いと知れ」

「そうそ……そう!?」


 下から、お腹…股?くらいから声が響いて私とアスティンさんは私のお腹なのか股なのかに注目してしまう。…其れは、実に高らかに笑っていた?声は笑ってたからそういう事にしておきます。石のチェーンの部分を恐る恐る持ち上げ顔の位置に掲げると私はその石に息を吹きかけ揺らした。


「何だ、どうせ触れるなら口付けでもしたらよかろうに」

「あ!?石!?石が喋ってる‼さっきから石が喋ってたの!?何で!?!?うえ!?!?」

「………アンス、アンスだね…?」

「知ってるんですか?」

「――おお、実に哀れな姿になったものだ。我が眠りし間に汝は随分と恰好がだらしなくなってしまったものよ」

「アンス……君が居れば、だいじょう……」

「ええっちょ、アスティンさん!!待って!何で死ぬの!やだ!アスティンさん―――!」


 急に脱力した身体を両腕で支えつつ私は血の気が引いてしまった顔で叫んだ。身体を揺らし問いかけても蒼白のアスティンさんはピクりともしない。


「アースティーンさ―――」

「死んでおらぬ。街へ行け…と先刻から言っているだろう人の話を聞け!」

「石のくせに黙れ!」

「我は石でなく汝が剣である!そもそもこの様な器に収まっているのは――」


 ヒヒィィィィインンンッと怒りのオーラを纏わせた馬が鳴いた。つぶらなお目目には明らかに殺意…的なのが宿っており、傍で辛そうに横たわっているアスティンさんと私達をそのお目目が交互に見つめた。


「……ごめんなさい」

「失礼、」


 私達は声を合わせて謝罪した。馬に。




 アスティンさんを馬に乗せ(馬が協力して乗せてくれた。凄くアスティンさんに懐いてるし、頭が良いんだと思う)私は石が示す方向に歩いていた。相変わらず空は太陽が昇り切れていないらしく、周りは僅かに暗い。かなり歩いたと思うけれど、時間の経過を見るにそんなに歩いてはいないのだろう。


「アスティンさん……大丈夫かな」

「如何にも。アスティンはあれでもスワードが眷属である、あの程度では還らんよ」

「帰る?」

「――還る。何、スワードから何も聞いてはいないと見えるが」

「ううん、そんなこと無いよ。ざっとこの世界の仕組み……は教えてもらったけど、あ」


 陰る雲の手前に門が見えた。「門だ!あれだよね!アンス!」「如何にも」「アスティンさん、もうすぐです頑張って下さい…!」「ヒヒィンッ」「わかったわかったちょっと怖いから!」なんてはしゃいで私達は門へ急いだ。

 

「お待ちを」

「――わっ!?」


 門を潜ろうとした――その時、にゅっ、と一人の青年が前を塞いだ。フードを深く被っており、顔を窺い知る事は出来ない。馬が低く唸る、私は石を握る。


「……あ、すみません、俺スワード様の眷属です」


 そう言ってフードを浅く脱いだ青年の瞳は橙色だった。「ね?」と笑う青年に私は心を許し「はい」と笑みを返す。青年は頷くと直ぐに真面目な顔に切り替わり馬におぶられるアスティンさんを見上げた。そして近づくと馬の腹を撫で敵意は無いと知らせる。馬が落ち着きアスティンさんを降ろしやすいようにしゃがんだ。


「……酷い怪我だ、一体何が……」

「あの、お医者さんとかこの街には……」

「います、が今丁度王都へ行っていて……此処にはいません」

「そんなっ!アスティンさんこのままじゃ!」

「大丈夫です、アスティン殿を王都へ送り届けます。ですが、今日は陛下のご体調が優れないご様子……、幸い癒しの術を僅か乍ら使える者がおります。その者に今日はアスティン殿を任せることにします」

「そっ、そんな悠長な事してて大丈夫なんですか…!?」

「え?はい、アスティン殿はスワード様の直接の配下ですからこのまま命が還る事はありませんし、大丈夫ですよ」


 青年はまるで可笑しいものを見たかのように柔らかく微笑んだ。そしてアスティンさんを背中に乗せると「宿にご案内します」と言って歩き出した。


「――あ、」


 その時、私は始めて気づいた。空から降った雫が、頬に落ちるまで気づかなかったことを。王都に近づくにつれ空は鉛を濁していたわけを。時間は経っていた、アスティンさんが生身の唯の人なら危なかったであろう時間が。心底安心した。何だか、スワードが守ってくれたような気がして。

 歩き出した私を、遠くに佇む影が見つめていた。私と同じように空を見上げると影はぐにゃりとその姿を空に溶かした。


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