わたしは貴女の望みを叶えたいだけだ
それは私が泣き疲れた日の深夜だった。少し寒い感覚に違和感を覚え隣にいた温もりに手を伸ばした。手に触れるのはひんやりとした温度だけ。目を開くとベッドには私だけで、広いベッドが余計に広く感じられた。
私は身体を起こした。髪をかき上げ、目を擦る。少し小腹が空いたので何か食べようとベッドから降りた。先程から目の周りに金色の何かがチラつく。目を何度も擦ってみるが、この症状は収まる事はなかった。
それに先程から、妙に頭が冴えている。いや、違う。眠くてぼーとしているのだが、思考だけがすんなりと行くのだ。
机に置かれていた容器に手を伸ばし、グラスに水を注ぐ。それを煽り一口で飲み干すと背後に声を掛けた。
「こんな夜中に、どうしたの?」
「嗚呼、やっぱり気づいてたんだ」
その声はアスティンさんだった。私を振り返りアスティンさんを見上げた。アスティンさんは吐息を漏らすと笑ったような気がした。
「聞きたいことがあってね」
そういうアスティンさんは私に座る様促した。私を座らせた後、櫛を手にもって私の髪を梳いた。
「それで、聞きたいことって?」
「あ、うん。……彼女を助けに行かないのかな、と思って」
「どうして?」
「泉さんの言動を見て思ったんだよ。見事にスワードに唆されていたから」
「唆されてなんかいないわ。スワードが自分に調べさせろって言ったんです」
私は少し喋りにくさを感じながら返答をする。自分の口調が砕けるのを何とかして直そうとした。しかし、どうにもこうにも何か靄が掛った様で。
「本当にスワードが調べに行くなんて思ったのかい」
「調べはするでしょう」
「流石よくわかっていらっしゃいます。そうだね、彼なら調べるんだろう。そして君の――泉さんに危害が加わる要素が少しでもあるのなら、それを排除するんだろうね」
「昔から……アレは一直線だったから仕方ないわ」
「嗚呼そうだった。厳密に言えば、彼らは皆一直線だったよ。唯君だけを見ていた。気持ち悪い程にねえ」
「そうでしょうね、それがあの子達の性質なんだもの」
「君って人は本当に変わらない……」
「お前も、ね。残念ながら他は変わってしまったみたいだけれど」
「時が立てば人は変わるものだよ。第一、原因は君ではないのかな」
「はいはい、それで?お前は何をしに態々私の部屋まで入り込んできたの」
私は混乱した。私は完全に身体から切り離され、意識の中で私がぷかぷかと浮いている様で。
「うん。実は、今のうちに泉さんが望むのなら王都に連れて行ってあげようと思ったんだけど……。まさか、君がもうそんなに目覚めていたなんて思ってもいなくて。もしかしなくても、それの所為、かな」
アスティンさんは私のペンダントを突いた。“私”は「正解」と答えるとくすりと笑う。
「けれど、完全ではないし、完全に行かせる気もないわ」
「彼らはそうは思って無いみたいだけど……」
「はあ、アスティン」
私は髪を右手の甲で掬い払った。まるで金の粉塵がきらきらと舞うようだった。
「お前は出来る限り……して」
「わたしが?」
「お前以外に誰がいるの」
「それが、……君がわたしに望むこと?」
「何が言いたいの?」
「ううん、……いや」
( こんなことを思う何て、わたしも所詮は…… )
ぐらりと、頭が傾いた気がした。しかし、それを感じているのは私だけのようで。徐々に沈みゆく意識の端で私は私を取り戻そうと手を伸ばした。ぐちゃぐちゃと粘土をかき混ぜる様に混濁していく。聞こえていた音も段々と籠っていく。私は目を閉じた。
「泉、おい…泉?」
肩を揺さぶられ、私は目を開けた。間近にあるその顔が一瞬誰だかわからなくて。固まる私にその人は苦笑を漏らした。
「おいおい勘弁してくれよな……この頭脳明晰の俺のことを忘れちゃった?」
額をコツン、と突かれた。
私は額を抑え、パクパクと口を開閉することしか出来なかった。あな、あなたは……!
「あれ、もしかして本当に忘れちゃったわけ?可笑しいな、俺きちんとお前に……」
その人は私の前に跪くと私の頬を包み込み、額をこつんと合わせた。私は少し息を飲んで身体を強張らせただけで、半分持ち上げた身体を動かすことは出来なかった。その人の瞳が私と交わる。私は息を小さく吸い、その名を呼んだ。
「――――湊」
湊は少し呆れた様に目尻を下げたが次の瞬間には「おう」と言って笑った。
「みな、と……湊っ!!」
私は衝動的に湊の首元に抱き着いていた。湊は私を受け止めると、頭を撫でてくれた。
肌に温もりを感じた。そのことが私の涙腺を刺激して――でも泣きたくなくて。私は目頭をぐりぐりと湊の肩に擦りつけた。
「ちょっ、おいやめろって……っ!――って、泣いてんのか」
「……違う。ちょっと、悪い夢を見て不安になってただけだもん」
返事が来ない。私は胸に不安が過ぎるのが不快で顔を上げた。
「何……?」
湊は複雑そうな表情を浮かべ私の頭を押さえつけた。
「夢じゃない」
「え、」
「夢じゃねぇよ」
ぎゅう、と強く抱きしめられた。湊はそのまま、頭を下げたので耳元に湊の口が寄る。
「……ごめん」
「…何が?」
「また、傍に居てやれなかった」
「…なに?」
湊は答えない。
「ねえ、湊。早く家へ帰ろう?心配かけてごめんね、もう大丈夫だから。あ、ところで実花は?どこに?」
「実花はまだ見つけれてないな」
「えっと…どういうこと?」
「…だから、夢じゃないって言ってんじゃん。スワードも、フライアもアスティンも実在するし、泉の妄想の産物じゃねぇよ」
今度は私が黙る番だった。湊の言ってる意味がすとん、と不思議な位入ってきた。なぜなら、私は初めからきづいていたのだ。けれど何故か彼処にいた以上、少しの疑いは持てたが、夢であることを信じきっていた。しかし今はただ恐ろしく不安が私を襲う。胸に、ブレスレットはない。
「やっぱり、やっぱりね」
私は笑みを浮かべれただろうか?湊から顔を見られなくてよかったと思う。
「ほんとはね、ちゃんとわかってた。スワードが私を安心させようと嘘を吐いてくれたことも…。わかってた、けど…!」
「うん」
「意味がわからない!急に此処に連れてこられて、急に殺されそうになって!愚者とか主人とかわけわかんない事ばかり言われて!」
あそこに居た時には抑えきれていた感情が、身体の奥から溢れだしてくる。
「本当はずっと怖かった!!心細かった!!実花も湊も居ない世界で、私一人で――……」
声に成らずに湊に縋った。何時だろう、昔にもこうやって慰めてもらったような気がした。幼い時から湊は、湊だった。遠足で来た公園の森に入ってしまった私を直ぐに見つけてくれてこうやって抱きしめてくれた幼い湊と今の湊はずっと変わらない。
変わらないことに、安心する。変わってしまうことは怖い。
「俺も実花もずっと泉の傍にいる」
湊はそう言うと私を剥がし肩を掴んだ。澄んだ目に映る私は、きちんと私だった。ただ顔は涙で濡れていたけれども。
「でも……これは夢だ」
「夢?」
だけど、と湊は続けた。
「だけど、夢でもこれは夢じゃない。……難しいよな、ごめん。さっきから邪魔が入ってるからもう切らねぇと」
真っ白だった背景に鮮やかな夕焼けの色が映った。それは何かを警告するような、深い赤で。
「いやだ」
「……泉」
「これは夢じゃない。湊の体温だって感じるし、ほら……頬を抓ると痛い」
「夢だって五感くらいあるぜ。……いいか、夢から醒めたら実花を探せ」
「……。え?実花を?あっ、なら安心して!スワードが探してくれるって」
湊の目がわずかながらに細められた。その癖は不快を示す物で、私の心がどきりと鳴る。
「泉、実花は泉の大切な人間じゃなかったのかよ」
「大切な人だよ!」
「なら、なんで実花をそんな奴に捜索させる?」
「それは……。お、王都は危険だし、………と、土地に!土地に不慣れだから!」
スワードに諌められた、とは言いたくなかった。人の口からスワードを非難する言葉は出来るだけ聞きたくなかった。
「…確かに。泉にしては随分と考えたんじゃね」
腑に落ちない表情を浮かべた湊は私を置いて立ち上がる。赤い光の膜に目を細めた。
「……やっぱり、実花は私が探す」
「スワードが探してくれるんじゃなかったのかよ」
「それは、やっぱり違うと思うの」
泣いてる私を迎えに来るのが湊であるように、実花を迎えに行くのは私だった。
そうだ、いつだって私達はそうだった。互いが互いの役目を忘れることなんて、ない。
「それでこそ、俺の好きな泉だ」
「えっ」
してやったり、と笑う湊は私の頭を撫でた。私は頬の温度を感じながら「馬鹿!」と言う。
「馬鹿で結構、俺はぶっちゃけお馬鹿ちゃんだしー?……はは、よしならもう切るぞ」
「うん」
「意味わかってねぇよな?」
私達は笑い合う。うん、意味はわからない。
「実花のこと頼んだぞ――必ず、迎えに行く」
「約束だからね」
「名に懸けて」
一層眩い光に包まれて、私は自室のベッドの上で目を醒ました。
隣に置いてあるブレスレットを首にかけ、鏡を見る。慣れないな、と苦笑を漏らしつつまだ早い朝日を拝むためカーテンを開けた。薄暗い空に僅かな光。その微弱な光はまるで私に実花の所在を教えてくれているようだった。私はカーテンを閉めると、寝室を出る。するとそこには
「……アスティンさん?」
「やあ、おはよう泉さん」
「よく眠れたかな」と私を見下ろすアスティンさんが居た。きっと、全てを知っているんだろう。私は彼の前まで歩くと真っ直ぐに目を見つめた。
「アスティンさん」
「うん」
「私を……王都に連れて行ってください」
アスティンさんは嬉しそうに頬を綻ばすと私の手を取りそこに口付けた。
「――喜んで」