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会いたい

 誰かが私に跨っている。視界の端は黒く煤けよく見えない。手足は動かせないし、声も出せなかった。

 

 私に跨る誰かが口を開いた。微かな声は些か聞き取りづらい。――突然、その人は鈍色に光る赤い物を両手に握りしめ頭上に掲げた。鋭角で鋸の様な先はまるで剣の様で。く、と喉が鳴る。湧き出す恐怖に見開かれる目はその誰かの顔を鮮明に捉えてしまった。


 やだ、やめて――実花!


 


 どくん、と心臓が跳ねた。

 それはあまりにも鋭い痛みを伴うから、私は小さく呻き声を洩らして身体を丸める。息をしたくない、またあの痛みが襲ったら……。ストレス性の胸痛の様な感覚に息を止めて、固く目を瞑った。流石に辛くなり、僅かに恐怖を抱きながらもそろそろと息を吐き出す。痛みがなかった安堵に身体の力を抜くとベッドが僅かに沈んだ。もう一度、僅かに恐れを抱きながら呼吸をする。

 大丈夫、大丈夫。

 気がつく間もなく、私は再び眠りに落ちていた。





 スワードの屋敷は別名、`薔薇宮(ばらのみや)'と呼ばれている。それもそうだろう、実際この屋敷の薔薇庭園は素晴らしいのだから。まあ、赤薔薇しかないんだけどね。


 私はすっかり変わった外見に未だ慣れぬまま、庭園を散策していた。そう……今朝、顔を洗いに鏡を見ていたら私の髪色と瞳の色がチェンジしていた。チェンジ!

 ――は?と呆然とする私は走って――とりあえず歯磨きと顔とブラッシングはした――スワードの部屋を不躾に叩いた。何度も。突然の私の訪問に別段慌てた様子も無いスワードに少々イラッと来た私はそのまま、「これどういうこと!?」と自分の髪の毛を掴んだまま詰め寄った。スワードの穏やかな静止すら私のイライラを促進させる薬物だったので、…って何で私あそこまでイライラしていたんだろう。ま、いっか。

 とりあえず、私の黒髪黒目は――茶髪橙目にチェンジ!


「わけわかんないっての……」


 はあ。

 しゃがみこんで顔を伏せた。すると突然、ふわりと風が凪いだ気がしたから私は顔を上げて左を見た。足だ、人の足。そろそろと視線を上げると――嗚呼、アスティンさん。


「おはようございます、泉さん」

「……おはようございます」


 私の態度に苦笑したアスティンさんは、やわやわと私の頭を撫でた。それには目を瞑って無抵抗。


「違和感を感じるのは少しの間だけだから、そんなに落ち込むことないよ。わたしは、結構いいと思うなあ」

「別に落ち込んでなんかいませんよ…何ていうか、ちょっと吃驚したっていうか」

「うん、そうだろうね。わたしだって吃驚する。――でも、それで泉さんは安全だ」

「分かってます……」

「物分かりが良いね、素晴らしい」

「でも、これじゃ……」


 二人に、わかってもらえないかもしれない――口に出そうとして、止めた。アスティンさんには関係ないことだろうから。きっと言われたってアスティンさんが困るだけだ。

 けれど、アスティンさんは私が思いもよらないことを口にした。


「例え姿形が変わったとしても、それが誰であるのかはわかるよ……執着する程に。嗚呼!それとね、興味深い話を仕入れたんだけれど、泉さんでよければ聞くかい?」

「何ですか?」

「どうやら王都に黒髪の少女が保護されたみたいなんだ――そう、愚者(ナール)だよ。ある騎士(シュヴァリエ)が捕まえたらしくって、――嗚呼、そう名前は何て言ったかな。……み」

「実花――――」

「そう、それだね」




私は駆けた。これまでに無いほど、無心で駆けた。スワードの部屋へと続く曲がり角、そこを曲がることにスピードを落とすことさえ惜しい。壁に手をつきその反動で曲がれば目の前が白い何かに覆われた。反作用の反動がくる。「危ない」そう聞こえ抱きすくめられた。声の主はスワードだ。


「スワード!」


 私はスワードの服にすがる様に掴み込み、見上げた。スワードは訝しげに瞳を細める。


「お願い、王都に連れて行って!」

「何故急に」

「友達がいるの!お願いスワード!お願い‼」


 スワードは考え込んでいるのか、瞳を逸らすことさえしなかった。しばし無言が続く。スワードが息を吸う音が聞こえた。


「駄目です」

「な、何で!?」

「泉にはまだ早いですから」

「何が?友達がいるの!早いとか遅いとか関係ない!」

「関係あります。王都は愚者(ナール)にとって監獄も同じなんですよ」

「それなら早く実花を助けなきゃ!」

「実花……?」

「私の友達なの!きっと一人で泣いてる、あの子泣き虫だから!お願いスワード、お願い――!!」

「少し、考えさせて下さい」

「そんな時間な」

「それまで泉は自室に居なさい。フライア」

「畏まりました。さあお嬢様、此方へ」

「スワード‼――――スワード‼」


フライアさんを押しのけてスワードに手を伸ばしても背を向けた彼に手は、届かなかった。





自室に連れて行かれた後、フライアさんに気持ちをわかってもらおうと必死に実花について説明した。あの子がどんなに泣き虫で、怖がりなのかを。

心に違和感はあった。夢の世界というスワードの言葉を信じたいが、夢にしてはリアル過ぎるこの世界の感覚。あの時は私を安心させるものだったのかな、と。いや、やはりこれは夢で実花の存在は私が作り出した偶像に過ぎないのでは……?私の真相心理が実花を生み出したのでは?

 二つの疑惑がせめぎ合いながらも私はフライアさんだけでも説き伏せたかった。

 私は会いたかったのだ。どこか寂しいこの世界で、私を安心させるあの温もりに。


 結局、フライアさんは申し訳なさそうに首を振る事しかしなかったけど。


 私が今でも飛び出そうとしていたからか、昼食は私の部屋に運ばれてきた。軟禁じゃないか。そんな思いが渦巻く。此処の料理は美味しいので、全部食べてしまったけど!

 昼食後、スワードが扉を叩いた。遠慮がちに顔だけ出して私を見やれば困った様に笑う。


「入って…いいですか?」

「……どうぞ」


 苦笑いを浮かべたスワードと入れ替わる様にフライアさんが退出した。スワードは真っ直ぐに私の向かいのソファに腰を掛けると私をじっと見つめた。その視線が何故か諌める様な気配を纏っていたので私は目を逸らしてしまう。僅かながら沈黙が訪れるが其れを破ったのはスワードだった。


「泉のご友人が王都に居る、という情報はアスティンから聞きましたね」

「…そうです」

「感心しませんね。他人の言った事をすぐ信じるなんて、貴女らしくもない」

「アスティンさんは他人じゃないです…それに、私はアスティンさんを信じてます」

「そうですか。まあ、信じる信じないは泉の勝手ですから僕がどうのこうの言う問題ではありませんでした」


 スワードの声色に少し重いものが混じり始める。きっと怒ってるんだ。私は視線を上げることが出来なかった。まるでママに叱られた時のように。


「しかし、王都に行かせて等…。愚者(ナール)は発見次第皇帝の元へ送られる。この言葉の意味に救いや保護が含まれてるとでも思ったんですか?それならばとんだ勘違いをしたものです」

「…王都に送られると、どうなるんですか」

「まあ、良い待遇でないのは確かですね」

「詳しく教えて下さい」

「……、聞いて泉はどうするんですか。まさかご友人を救いに行くとでも?」

「それは、」

「なら話すこと等出来る訳がない。本当に王都は危険なんです、泉にとってあそこは本当に危険なんですよ。……泉は僕の庇護下にいるんです、(わざわざ)々自分の命を捨てに行くなんて裏切り行為にも程があるのでは」

「だからって実花を見捨てろっていうんですか!」

「まだその娘が王都に居るという確証を得たわけではないでしょう」

「王都に黒髪の少女がいるって言われたんじゃない、名指しで言われた!これが確証と言わずして何ていうの!?」

「アスティンに盗まれましたね」

「え?」

「…彼奴に此処を覗かれましたね?」


 とんとん、とスワードが頭を叩いた。私は訳が分からずに眉を顰めてしまう。


「アスティンは知恵そのものです。世界のあらゆることに精通し、彼奴が知らない情報はないんです。…そう、泉がアスティンに会った日から泉の生まれてから此処までの情報は既にアスティンの知識の一つになってしまっているんです」


 言葉が出ない、そしてよくわからない。


「だから、その娘の名前をアスティンが知らないはずがない」


 どくん、と鼓動が鳴った。何を言われたか無意識にわかった気がして…下唇を噛んでしまう。

 

「……そんな顔をしないで下さい、大丈夫ですよ」


 いつの間にか、スワードは私に跪き私の片手に手を添えていた。


「僕の部下に捜索させます…もしその娘が王都に居たのならその部下が此処に連れてきてくれる」

「ほんとう?」

「はい、名に誓って」


 スワードは優しく私の頬に触れてきた。じわじわと感情が込み上げてくる。ぼやける視界にスワードの表情が隠れた。涙が零れ落ちると同時に、スワードは私をその胸に抱いた。私は本当に幼子のように抱かれ、その心地よさに私は瞼を押し付け堪えるのを止めた。



 スワードは私が疲れ果て眠りに落ちるまで、私をあやしていた。




泉よ、湊の存在を忘れるなかれ

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