異
涙が、止まらない。
あたしは、気づけば何時も泣いていた。始めてこの気味の悪い世界に連れてこられてから、泣いてばかりだ。泉が居ない……泉がどこにもいないの。胸を燻る焦燥感。
あの日、泉が落ちてしまったあの日。湊とあたしは泉を引き上げる為自分の心配なんかせずに飛び降りた。湊が泉を抱きかかえて、あたしは安堵して……瞳の端に映った男に驚いて顔を上げた。
地面に飲み込まれる前に、みたあの表情。とても恍惚としていたあの瞳に、泉は怯えていたんだ。
涙が、止まらない。
起きて泉を思い出して泣いてしまう。この世界で一人ぼっち。此処は何処なの。もしかして…あたしは死んでしまったのかもしれない。此処が天国だと言うのならお願い神様…泉に会わせて。でも……泉がもし生きているならそれでいい。あたしの死体を見て泣いてくれてるならそれでいい。きっと湊が泉を守ってくれるから。叶うのなら……あたしが守りたいけれど。
「御目覚めか、実花様」
「アレウスさん…?」
「そんなに泣いていては、目が腫れてしまいますので。冷やして」
低い声が胸を打つ。またどっ、と涙が溢れた。
「泉は……泉は生きているの……?」
「実花様」
「うっ……ふっ、うううううう」
涙が、止まらない。
スワード様のご息女と対峙した後、俺はもう一つ愚者が落ちたと反応する場所まで出向いた。反応地点は南の神殿近く。何とまあ、陛下の神殿近くに落ちてくれたものだなとため息を吐いた。
神殿は、転生の場である。陛下やリアラ様、スワード様の様な三柱と呼ばれる方々のみが神殿でお還りになられる。嗚呼、後一人いたな、確か。勿論俺とて命が尽きれば転生を繰り返している。だが、俺の様な一般は精々各主人の名を掲げる教会だろう。
嗚呼…何故彼だけかと言うと彼らは特別だからだ。誰一人この差別に否と唱える者などない。
陛下の神殿は地面下に設けられている。……神殿内から気配がするが、これはあまり良いものじゃないな。
神殿内は無許可で立ち入ることを許されていない。それを破れば例え迷子の愚者であろうとも罰せられる。それがルールだからだ。
「アレウスだ。青白の聖堂から愚者の反応がある」
"え"っ。何で陛下の神殿から"
「知らない。確認する故素早く許可を下してくれ」
"はい"
……よし。俺は心臓の当たりに手を置いて主人に膝を折った。
洞窟が丸々神殿になっている。天井は水の翠玉色を吸った様にコントラストを描きながら淡い光を反射している。祭壇までの道のりに設けられた橋の下は水だ。美しい、美しい翠玉を溶かした青。昔のあの方の髪色を映した様だ。
奥に進むごとに愚者の気配が強くなる。…しかし、これはなんだ?何故この気配が混じっている?否、当たり前と言えば当たり前だが、まるでその人がその場にいる様な存在感。可笑しい、本人は此処には居ないはずだ。
最深の扉を開け中に入ると、黒髪の少女…女?とも言えぬ者が身体を濡らして上を見上げていた。俺も同じ方を追ったが唯単にこの模様が珍しいだけであろう。
「泉?」
少女が声を発して此方を振り返る。その顔は直ぐに警戒心の強い物に変わったが此方とてそれは変わらない。
「すまないね、お嬢さんが求める存在でなくて」
その返答に少女が立ち上がる。同時に俺も歩みを再開した。
「だあれ…っ」
淡々な質問。すっかり戻った自分の髪を掻いて、俺は肩を竦めた。
「お嬢さんが聞きたい事はそれなのか」
「泉を知っているの?」
「さあ、如何だろうか?知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
少女が僅かに目を細めた。其れに連動するかの様に場が張り詰めた。
泉……か。思い当たるにはあのご息女だが、さて如何したものか。
「お嬢さん、君は何故ここへ?」
俺が少女へ近づくごとに空気が冷たくなっていく。少女は知らないと零すと近づかないでと警戒の色を露わにした。しかし歩みを止めることなどしない。
「来ないっ――――うっ!?」
そうだ、この瞬間を待っていた。空気が歪む、この場を満たす魔力の元素そのものが歪むこの感覚。俺の予想では少女が俺が望んだ者であるならば感情が激昂した時来ると踏んでいた。
少女の目の前に凄まじい気流が発生する。それがこの場を神聖たらしめる水を纏いながら浮かんでいた。少女はあまりの風に目を閉じ身を屈めていたが、何かに弾かれた様にその顔を上げた。少女の双黒の瞳は今や美しい金色に変貌していた。嗚呼――その瞳は、その瞳は‼
少女がその瞳を俺へと向け、気流へと動かした。何を悟ったのか少女はその気流――否水球だろうか。其れに手を突っ込み何かを引きずり抜いた。赤く染め上げられた殺戮の剣。唯一人しか持つことが許されぬ聖剣。証だ、それが証。この少女が何者かたらしめる唯一の。
「鮮血の報復……」
弾けた。切り裂かれた水球は形を鋭利なモノへと変え下に落ちること無くその場で静止した。少女はもはや己の意志で動いていないんだろう。唯在るのは自らに顰めていた本質そのものか。
少女が空間を裂いたと同時に鋭利なモノが俺へと向かってきた。俺は素早く槍を右手に持ちそれらすべてを叩き落とす。――そのたった数秒の間にこの少女は俺の真下に入り込んだと言うのか。低い体勢の少女と俺の視線が交差する。少女は腰に剣身を付ける様に――居合の構えか!抜刀された剣先が俺の腹から胸を裂いた。体制を立て直し少女の横に入り込もうとするが少女は少女の脚力とは思えぬ力で此方を振り返り突っ込んでくる。
何人も侵せぬ聖なる空間に散る赤と響く金属音。
俺は少女を傷つけれない、そういう盟約だから。
俺は嬉しかった。やっと、あの方が戻ってこられる。この少女の存在が俺の希望だったから。
「――お帰りなさいませ、シリウス様!」
そして俺は、少女を傷つけぬ様立ち回りながら少女の首筋を狙った。
一週間に一度の更新をもう少しで破るところでした!あぶない!




