異 ここに確かに居るのに
りゅう【竜】①想像上の動物。たつ。インド神話で、蛇を神格化した人面蛇身の半身。
「うーん……?」
ドラゴン【dragon】西洋の神話で、翼と爪とを持ち口から火を吐く想像上の動物。爬虫類の形で表され一般的に
「――――暴力・悪の象徴とされるが、泉・宝物・女性を守護するという伝説もある」
「うひっ!…………実花ぁぁああ……はぁー、ひびった……」
「何難しい顔で広辞苑読んでるんだろうぅーって思って覗いたら、……ふふっ、随分ファンタジーだね。ちゅうにびょう!」
「ち、ちげぇよ!」
湊は頬を少し赤めながら真後ろでにまにまと笑う実花を見た。実花の手には箒があり、図書室の椅子は湊が座っている所を除いて全て逆さまの状態で机の上に上げられていた。
「はーいはい。辞書でお勉強するのは偉いことなんだけど、なんだけど!今は掃除中!おさぼり禁止!」
実花の人差し指は、湊の鼻寸前に突き付けられる。まるで、しぃーと静寂を幼子に促すような手の合図だった。湊は広辞苑を閉じ、「へいへい」と言いながら席を机の上に同じように上げた。
掃除箱から後一本だけになった箒を取ると、少し遅れたが湊も掃除を開始した。少し離れた所にあるスピーカーからは掃除の時間の音楽が流れ、この部屋の管理を任されている学校司書は奥の資料室に居る。
「うーん……やっぱりそうだよね」
「んあ?」
実花が真っすぐと湊を見た。湊は欠伸を噛み締めながら、実花を見た。
実花はまるで、剣道の試合の時の様な決意を秘めた目を向け、湊に言った。
「やっぱりちゅうにびょうだよ!あたし、知ってるんだよ!右手が疼いたり、急に走り出したり、」
「だ、だからちげえって――――」
「――――っ」
「悪ィ。起こしたか」
血と、硝煙の臭い。煤と、死の香り。
湊はその香りがこびりついた指で鼻を擦った。酷い臭いだった。目も擦りたかったが、止めることにした。
そうか、俺は夢を……いつの間に眠ってたんだ。
「数分だ」
「は?」
「眠ってた時間」
「あぁ……ごめん」
アルピリは煙草を咥えて、湊の頭をガシガシと撫でた。血がこびり付いて糊の様な作用をつけられた髪。肌も……。
「戦況は?」
「ンなもん変わっちゃねェよ。騎士宮を抑えられたのはいいが、逆に此処に閉じ込められているみたいなもンだしなァ」
「遊撃魔術師か……。厄介だな」
「グリームニルとシリウスが手を組んでいる何ぞ俺は聞いてないねェ」
グリームニルの頭、スワードがシリウスと手を組む可能性は限りなくゼロに近い――そう思っていたのに、この事態とは。まさか、俺があんなことをしたから三つ巴を構築出来なくなった?
スワードはエリーシア――泉に執着していた。その割には、案外目を離すけれども。そのせいで意図も容易く俺に泉を奪われ、意図も容易く俺の手で地球へと返されたそれを……恨んだのか?
いや、その可能性は低いか?そもそもスワードは王都へ何らかの策を講じる為に出掛けたはずだ。その策が、シリウスと手を組むこと……?俄には信じ難い。
「一体、何がどうなって――――」
その時、竜たちの中に一筋の電流が走った。息を呑み、目を合わせる。
竜とは、王の親たる者。王の息吹を感じ、王の死を感じる。常に王と共にあり、常に王の傍らに居る。だから――いくら王が変わろうとも、身に染みたその気配に気づけないはずがなかった。
「おいおいおい冗談じゃねェぞエリーシア!」
アルピリと湊が見上げた遥かな空。その彼方に、彼らだけが捉えることの出来る星がある。その星は眩いほどに輝き――――落ちて、来た。
アルピリと湊は早かった。しかし、アルピリの方が反応速度が格段に速い。当たり前だ、アルピリは完全体の竜。湊はそのほとんどが人間だ。だから、湊はもう一人の女の子を受け止めようと走り出した。
突然の二人の疾走に兵士たちが騒つくが、説明する暇がない。流れ星は、瞬く間に落ちるものだ。
「空から――――女の子が」
「うっぐ―――――――――――――――――っっっっ!」
胸の中へと抱え込み、流れて来た衝撃に足が浮いた。そしてそのまま――、
彼ら二人は騎士宮の壁へと追突する。騎士宮に突如訪れた惨状に、兵士たちは揃えて口を噤んだ。
追突された二人はそのまま騎士宮の壁をぶち壊し、中へと放り出されてしまった。それでも二人とも落ちて来た者を離さずに、背で受け身を取る。散々たる結末に、呆気に取られる兵士達。
「い、いやあ…………た、助かった、よ」
口を閉じることが出来なかった兵士たちは、新たな声に首を動かした。土煙が漂う中、申し訳なさそうに頭に手をやりながら無傷然とした姿勢で大穴を潜りぬけてくる人影に――ようやく、声が出る兵士達。
「あ、アスティン様!!」
煤汚れた見慣れない衣装に、煤汚れた髪を撫でながらその男は顔を引き攣らせた。アスティン――グリームニルを二番目に代表する彼は、二人を目視で確認して息を吐いた。そして半壊した城を見上げ、その目に意志を再び宿らせた。
「……泉さん、大丈夫かい」
「…………ごほっ。……ええ、何とか……」
アスティンが声を掛けた煙の向こうで、女の声がする。湊は痛む背で意識を繋ぎながら、腹に横たわるモノを見下ろした。それは、黒髪の――愚者の女だった。
「安倍さんは……」
「――問題ありません。申し訳ありませんわ……見知らぬ方、ご迷惑を……っ」
女はすぐに身を離そうとしたが、ふらつき身体のバランスを崩す。湊は咄嗟に腕を掴んで、自分を支えにした。その時に女は湊の顔を見た。勿論、湊も女の顔を見た。――お互い、初対面だと思った……のに。
「佐倉湊っ!!」
逆に襟を掴まれ湊は引き寄せられた。急に自分の名前を呼ばれたことと、記憶の中にこの女がいないことで頭に混乱が生じている。そして何より、見知らぬ――少女、に反射的に突き放すことは出来ない。
「アリア・レパラジオネも巻き込まれたのですか!?」
「他者、修正機関を……何で知ってるんだ……?」
「――――違うわ鏡子!」
女の――鏡子の口は、その一声で閉じた。少し反抗的な目を、手の補助を借りて起き上がった女に向けている。「では何故この男が……ッ!」という鏡子を首を振って黙らせた――泉。
「…………帰って、きたんだな」
「その男は、友禅が模していた佐倉湊――本人よ。他者修正機関ではない。……受け止めてくれたこと感謝するわ。ありがとう、湊。アルピリも大丈夫?」
頬を撫でられたアルピリは、その顔を穏やかにして頷いた。
「此処は、騎士堂ね。恐らくシリウスにわたしの魔力は漏れている。囲まれる前に打開するわ。状況を教えなさい!」
「その前に情報を開示しろエリ……」
駄目だ、その名前で呼んではいけない。だが、この名前でも呼びたくはない。何て読んだら……――。そう、いえば。あの子は、泉は誰かの名前を言ってはなかったか。誰かの、何かの名前を……。
「――――エリス。俺達も時間がない!だが、その前にどうしても聞かにゃいかんことがある。……何故此方へ来た!」
泉の姿をしたエリーシアは、訝し気に此方を睨んだ。時間はない、それはこちらとて同じ条件下だ。その頭につのる感情は十分に理解しているつもりだ。
「愚かな湊」
エリーシアは宮殿に繋がるドアに触れた。そこは開かない。魔導士の術が掛けられているから。
固唾を飲んで兵士達が事のいきさつを見守る中、エリーシアは手を真上に掲げた。
「理由など他にはあるはずもない!わたしは、――シリウスを座から降ろすそのために来た!吹き飛ばすわ!自衛しなさい!――アンスっ!」
「っ、伏せろ!」
激しい衝撃波が流れ込んだ。髪も、服も、瓦礫をも巻き込んで空へと気流を作る。それでもなお、扉は開いていない。
「アンス!」
エリーシアは歪んだ声で、剣の名を呼んでいた。その意図がわかった、わかった数人は身を前に進めようとする。咄嗟に止めようとした、それ以上はいけないと。
「わかってるわ……でも、わたしは!」
掲げた右手が何かを掴んだ。それは炎、水、風、地――四大属性を孕んで、一つの形へと変わる。凄まじい力の反応だった。愚者が持つにはあまる力、それをエリーシアは、愚者の右手が掴み取った。
「わたしを――いつまでも、なめるなッ!!」
僅かな静寂に、エリーシアは切り込んだ。扉を守る様にして張られていた障壁と、剣がぶつかり反する魔力が悲鳴を上げている。湊は焦っていた。これは、だめだ。彼女は、エリーシアは自分の力を持たない神だ。何の力も持たない神なのに、グリームニルの魔術を打ち破るなんて自分の魂を魔力に変える方法しかない。やめろ、使うな。その魂は、その命は――泉のものだ。
足が動かない。気流に乗って溢れたエリーシアの魔力が足元を掬う。それは風にも似て、風なのに自分の言うことに耳を貸さないで、ただ暴力的な怨嗟の念が心を掴む。
「う、あ、ああ、やめ、ろ!」
それは鏡子も同じだった。辛うじて間に合って札を使ったのに、腕さえも動かせない。何て強い穢れ、――鏡子は泉の在処を未だ探していた。
湊の瞳が移り変わった。ああ、なんて軽さだ。先程までの自分の身体の重みが全く消える。そのまま前に足を動かして、エリーシアの腕を取った。そして扉は主に気付いたかのようにその手をくるりと引っくり返した。
もつれあうように床を転がる二人に呆然と眺める大勢と駆け寄る少数の対比は明らかに見て取れた。
「はぁはぁ……ど、きなさい!早く、早くシリウスの、所に……っ!」
「エリス、――エリス!その身体を無下に使うなッ!はぁ、泉、泉――おい、聞こえるか、いず……」
扉の向こうの魔導士の死体と、手に触れた身体に宿る存在に湊の言葉は落ちて消えた。
嗚呼、嗚呼。なんてことだ。
この、床に組み敷いた体の中に、泉が……いない。
「――申し訳ありません。上山さんの魂と、はぐれてしまいましたの。此処へ落ちる直前まで、探していたのですが、見つけられなくて……ごめんなさい、鏡子は、あの子を……!」
長く艶やかな黒髪の娘が、泉の身体を抱き起しながら、湊から引き離し自分の身体に抱きながら、そう、泣くように謝罪した。湊の紫に光る瞳は、揺れながら彼女たちを映している。よく見れば、この娘もひどく傷だらけだった。
「離れたのか、エリス。……泉と、魂を離したのか」
湊は、静かな声で尋ねた。少し虚ろに鏡子の身体に身を委ねていたエリスが顔をあげて、頷いた。
「――――離れる、つもりなんてなかった……。けれど、あのまま、わたしが私と一緒だったら泉は殺されていたわ。シリウス、あれがこの肉体の死を決定づけようとしたからそうするしかなかった......。お陰で、何割かは持っていかれてしまったわ」
ああ、なんてありさまだ。湊は無意識に手を握り締め、悔しさで顔を下げた。泉が――エリスが身に纏う服に着く赤黒い染みは、既に乾き切っていることに今更になって気が付くなんて。
「下界にも泉の安全何てありはしなかった!シリウスは、穢れを操って私を何度も殺そうとした!わたしが、魂を二つに裂くハメになる位、逃げようがなかった……!」
エリスは立ち上がろうとしている。それを支える鏡子の身体にしがみついて、彼女は立ち上がった。アンスによって魂を削ったせいで、息の乱れは収まっていない。その姿はまるで在りし日のエリーシアを、複数人の頭の中に沸騰させた。
「シリウスはシリウスが生きている限り、わたしを見つけ出し殺すつもりだ!――だから、わたしは再び此処へ来たわ。目的は唯一つ、シリウスを殺すために。……湊、お前の言う安全は何処にもなかった。現に泉は、人の世で何度も死にかけた。人ならざる世の手によって」
湊は心が潰れるかのような狂気に耐えていた。自らの行いの結果が、こうもむごたらしいものだったなんて知っていたら実行なんてしなかった。
その様を見つめるアスティンは、アルピリへと足を伸ばした。
「泉は必ず探す。この身体も必ず泉に返す。けれど、……けれど、この手を伸ばした先にシリウスが居るの。もうすぐこの手が届く距離に、シリウスは居る!――だからわたしは行くわ。シリウスの所、へ……っ……?」
鏡子の身体を少し押しのけて扉へ向かおうとした身体が、まるで手を離された人形の様に崩れた。咄嗟に反応した湊がその身体を抱き留める。じわじわと衣服を濡らす液体――血が、避けた皮膚、傷付いた内臓から新たに溢れ出している。
「シリウスッ……おまえ、お前――っ!」
エリーシアは理解した。呪いだ、あの時の呪いなのだ。かみ砕き飲み干したそれと、世界を渡る時に渡された血染めの片道切符はこの身体を殺したくてしょうがない。無理に抑え込めたと思っても、少し力の均衡が崩れたらすぐにこの身体を侵して行く。
悔しさが恨めしさに変わって、それはとてつもない殺意へと変わる。
あまりの歯がゆさにエリーシアは歯を強く噛み締めて、諦められなくて何度も立とうとした。よく知っている感覚だった。――だからこそ、支配下におきたかった。
「やめておけ、エリーシア」
その行いを制したのは、現王の竜だった。
「エリーシアの治療は俺が行う。湊、先に行ってな」
「えっ、でも――――」
「いらない!わたしも行くわ!」
「……無理だろうよ。大人しくここで俺っちに治療されな」
湊はエリーシアをアルピリに引き渡した。エリーシアはアルピリから離れようと抵抗をするも、震える足は血を流している。
「そんな時間待てるわけないでしょ!すぐそこにシリウスが居るのに!シリウスはわたしの存在に気付いてる!なら、一歩でも早く前に進まないと――――また、また繰り返してしまう!嫌よ、いやいや!そんなの嫌ッ!そんなのもう耐えられな」
ぱしん、と乾いた音がした。それを伴って、――エリーシアの癇癪は止んだ。
そう、アルピリは片手でエリーシアの頬を叩いたのだ。
エリーシアは一瞬目を丸め、すぐに彼の意図に気付いて唇を噛み締めた。咳と共に漏れた血が、結んだ口から零れてアルピリのその片手に流れようとも彼女は耐える様に口を閉じていた。
その様子にアルピリは一つ瞬きをして、エリーシアの頭を己の肩へと抱き寄せた。それは赤子をあやす様な仕草だった。
「さァ、行け。――お前らも女王陛下の御旗を掲げながら、積年の恨みを晴らしてこいッ!!」
「――――鏡子もお供致しますわ。これでも戦えますの、鏡子は何でも出来るので」
「え?あ、ああ……。アルピリ、頼んだ。――いくぞ!」
鏡子と湊は泉の姿をしたエリーシアを一瞥し、共に駆け出した。鏡子は十二神将の気を確認し、湊は拳を握りしめた。――目指すは彼の血塗られた舞台。
「次こそ、間に合わせる……!」
謁見の間、そこにシリウスは居る。
次回泉ちゃん視点に戻ります。寒さで指が凍ってます。そう、そういうことです。




