日の巫女/巫 Ⅱ
明けましておめでとうございます。今年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
それは、風がそよぐ夕暮れでありました。
それは、卑弥呼の国が他国の軍勢に圧された日の黄昏でもありました。
彼女の完全なる統治の陰り――それは、巫女としての役目の終わりを民に疑われたことでもありました。あの頃の卑弥呼の国は、陛下の御力を卑弥呼が間接的に用いて治めていた国。つまりは、巫女は確実に陛下の声を代弁する者であり、その声に従えば確実に国は栄えるのです。なぜなら、陛下は国を衰えさせることはしないものね、ええ、だって陛下は大神様でありますものね。
ですから、有り得てはならなかったのです。
例えば、凶作。
例えば、的外れな政策。
例えば、――敗戦。
嗚呼、民は憂いました。彼の王は、既に日から見放されたと。或いは、彼の王にはもう巫女たる資格が無くなったのだと。噂は瞬く間に国中に広がり――その根も葉もない負の要素を詰め込んだ噂は、宮殿の中にさえ入り込んで入ったのです。
大地を作りし神の寵愛を失ってはいけない。国を造りし神の好意に背いては行けない。私達を産み、見守って下さりし神に逆らってはいけない――――。
人々は、段々と疑心に囚われて行きました。誰も彼もが、女王の背に指を突き立てたのです。後の女王――伊予を除いて。
卑弥呼には、最愛の弟がおりましたわ。最愛にして、唯一寝所に入る事を許した男――その名を、難升米といいます。巫女としての純潔を守る為、そして、他者と接触したことで陛下との繋がりを阻害されることを防ぐために、宮殿の奥にひっそりと住む彼女がどんなにこの男に心を許していたか……ねえ、もうおわかりでしょう?
しかし……嗚呼、しかし。その弟でさえ、彼女に後ろ指を差したのです。
女王は哀しみに沈みました。涙をとめどなく頬に流しました。そして、彼女の王権に決定的な傷をつけたのは――そう、陛下でございますわ。
「……」
それは、戯れでございましたね。
それは、ほんの少しの匙加減でございましたねぇ?
別に必要不可欠であったわけではないのに、陛下はそれを欲しがってしまった。陛下がそれを欲しがってしまったがために、この女王は不幸の奥底に投げ込まれてしまった――陛下ぁ、陛下がそれを望んだとも今も知らずに!
卑弥呼は幾度となく大神様に問いかけました。卑弥呼は幾度となく大神様は赦しを乞いました。しかし、そのどれも聞き届けられることはありませんでした。
だって……それは、
「……返事を、しなかったから」
――はい。そのとおりですわ。
そして、とある日の夕暮れ。
それは、草原を傾いた陽が金色に染め上げる美しい時間帯でありました。
――時間帯であった、はずなのに。陛下は、……日は、何の知らせも告げず隠れたのです。
有り得てはいけない、そう、最も有り得てはいけないことが起こってしまいましたわ。日の陰り、太陽の喪失、それは、王権の喪失を意味しました。
卑弥呼は、徐々に失われていく太陽を呆然と見上げることしか出来ませんでした。その心は、どのような感情に支配されていたか測り得ませんが……――その後のことを考えると、とても愉快で、素敵。
胸を突いた軽い衝撃と、胸に走る確かな痛み。込み上げてくる鮮血は、この身から離してはいけないもの。
予告の無い日食に、女王は民から、弟から、全てから――全てを取り上げられることになったのです。
して、女王は死にました。
去り行く弟の背を見ながら、死んでいきました。
宮殿へと踵を返す弟王を祝福するように――――日は、輝きを取り戻していきました、とさ。
「弟は、一度も姉を顧みることなく――玉座に腰を降ろしたそうよ?」
「私にそんなことを話して、一体何なの」
……私は、柱に手を置いてぽつりと言った。イメージが、映像が、まるで見てきたことのように蘇る頭を押さえつけながら、しぼり出す様に強がる。
手が震えているのがわかる。私は、自分がなんだかすごく恐ろしい事をやってしまった――という罪悪感に心を支配されかけていた。
「深い意味などありはしないわ。ただ口から零れてしまっただけの話」
「そう……そう、わかった……わかったよ」
私はゆっくりと踵を返した。気のせいなのは確定なのだが――頭が重いような気がするのだ。足が重い様な気がするのだ。それも全部気のせいだと、わかっているけど……。
私は足を進める。後ろから、声がする。
誰かを糾弾する声。声、声―――私に向けられていないはずなのに。
耐え切れずに振り返れば、すでに誰の姿も無く。ただ奪われていく日の明かりが残り僅かなのを知るだけ。私は背を向けた。いつかの日のように、その声に答えることもなく。
「お、泉。もうすぐ始まるぞー!」
「うん!」
夕闇が強制的に落とされた時間に、人々は集う。舞殿に佇む影は二つ。その色は黒。――忌避され、忌み嫌われるその色を黒々と残り火に反射させていた。
月蝕であり日食――それには目もくれず、人々は各々に囁きあう。控えて話すその群衆は意図もせず雑踏と化していた。
巫女が面を上げた。巫がそれに続いて面を上げた。
「さあ、始まるよ」
リベカは私に囁く。それを合図に――高らかな笛の音が鳴り響いた。水面に石を投げ込んだ波紋の如く、静まり返る観客席。私は高鳴る胸と、先程の名残を抱えたまま特等席から舞台を見上げた。
「この世で唯一無二の神楽。エリーシア陛下を癒すことが出来る唯一のもの」
へえ、と相槌を打つ。揺れる鈴と、揺れる裾。叩かれる太古の音と、床を叩き踏む足の音。これが、これこそが――、
「素敵……。なんて綺麗で、どうしてこんなに心を打つんだろう」
私は目を閉じた。眠ることを忘れた脳に直接安らぎを注ぎ込む音色と、閉じ休むことを忘れた瞳に残像を残して癒しをしみこませる舞。少しの間の後、私は再び目を開いた。すると、そこに差し込んで来たのは舞う二人の姿と、その後ろに――
「おお……!」
それぞれの感嘆の息は、一つの大きな塊となって中庭に落ちた。巫女と巫の背に顔を出す赤い光。本当に沈みゆく前に、眠りにつく前に顔をあげた光が、目を開いていく。徐々に、徐々に……舞が終局に近づくにつれて、その瞳は大きく開かれる。その赤は、その色は、全ての者の目を奪った。
一斉に、円卓の騎士と呼ばれる少し衣装の違う騎士たちが膝を付く。加えて、三柱、ユースティティア、リベカが膝を付いた。私が膝をつくと、その後ろに並んで舞を見ていた人々全てが頭を垂れていた。侍女は胸の前に手を組んで、騎士は剣に触れ頭を下げて。その中でも二人は舞う。息を規則正しく刻んで、汗が垂れることも厭わないで舞う。
巫が顔を上げた。そして辺りを一瞥すると、吠えるように顎を上げ、口を開けた。
「――――王よ!闇は祓われ、今再び世界を主の光で満たし給え!」
"まだ……まだ、無垢だったあの頃に……"
王の座を降ろされた男は、そう嘆願して泣いていた。――嗚呼、鈴の音と共に蘇ってくる。
「――――太陽こそ主であらせられる!故に、我等巫は何時如何なる時でも覆うモノ全てを退けよう!」
"姉さんに――――"
夜が明かりを口に運ぶように、彼らの舞を見ている私の前に並べられた記憶達。それを一つ一つ食べながら、私は泣いているのだろう。
"叶うのなら、心からの、謝罪を……ッ!"
彼らは舞う途中途中に、瞳を合わせている。よく似た瞳と、それぞれの笑顔が見える。
よかったね。
そんな思いが胸に溢れて、私は目尻を下げた。
舞が、太陽に被せられたベールを剥いでいく。もうすぐ夜が来ると言うのに、たった僅かな光を浴びる為に彼らは何度も太陽の手を引くのだ。
「もうすぐ陽が沈み切る……」
地平線に、陽が沈む。しかしその様を、この城からは見ることが出来ない。代わりにその光線を城の一部が屈折させ、刹那的に眩い光を舞殿に降り注がせた。
その一瞬に、巫女の姿が変わる。
それがはっきりと見えたのは、硝子玉の瞳を持つ私だけ――?
黒を金に、黒を赤に瞬くその内に混じらせて、その巫女は私を見た。舞は続く、それでも私を見ている。同じ色をした、私を見ている。
「泉――」
離れているのに声が聞こえた。
「紅影殿へ――」
やけにゆっくりとした動きに見える。
「紅影殿に――急いで―――」
その言葉を終わりに、世界は再び元の動きを取り戻した。その僅かな介入は、誰にも気づかれてはいない。思わず閉じた目を開けると、黒髪に黒目の彼女は、深々と頭を下げた。
溢れんばかりの喝采の中で。
その喝采の中を、背を向けた私は、走り去っていく。
連れ戻す手は群衆の中に。去る背も、群衆の中に。
行く先は見えた。さあ、行こう!
本当は年末に投稿したかった一節でしたー;; 出来なかった……なので、新年のあいさつ共々更新させて頂きました。次回は異となります。巫女と巫はこれで大体種明かし完了……、まあ明かさずとも気づいていたかな? それでは、今年も薄明の丘をよろしくお願いします!




