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影を揺らす Ⅱ


「――ふふ、うふふふふふふふっ!」


 ……私を、見下ろす形となった女は闇に顔を隠して笑った。その声に私は顎を上げられた様に女を真っ直ぐと見る。


「その声――ヘレルね?」


「ふふふふふふ――……如何にも。そんなに怖がらなくてよろしいのにぃ、ねぇ」


 安心――は、出来ないけど、取り敢えず、


「幽霊……じゃないんだよね」


「……」


 なぜ沈黙!?

 ヘレルが不意に顔をあげた。私もすぐにその意図を汲み取ってベッドへ振り返る。

 私はごくりと喉を鳴らして立ち上がった。膝が震える気がするけれど、……一度確かめなければこの恐怖は消えないとわかったから。


 ゆっくり近づいた。手を伸ばして、天蓋ベッドの端へ触れた。その端を伝って、枕元まで移動する。ベッドの端には三本の蝋燭が僅かに見える。


「明かり……」


 そう呟いた瞬間、急に蝋燭全てに灯りが灯る。指を鳴らした音、私は肩を揺らして後ろを振り返った。

 黒衣の服に、目元まで隠した黒衣のマント。――まるで、この姿を隠しておきなさいと言われた私のような。

 確実に先程蝋燭を灯したのは彼女だ。その肩口まで上げられた手がゆっくりとベッドを指し示した。私はその軌道をなぞる様に目線を滑らせた。



 ベッドの横の蝋は、周りを照らすには純分な光を伴っていて。それでも大きなベッド全てを照らすことは出来ていなかった。――私は、こめかみを押さえて、次の瞬間、燭台を持ち上げてベッドにかざした。


「――嘘」


 そこには誰もいない。

 そこにはエリーシアがいない。

 この部屋には――、


 私は速足でベッドの反対側へ回った。私はそのままの速さで、部屋の隅を照らした。


「誰もいない……でもここは、確かにあの部屋だ……!」


「いいえ。それは違うというもの」


 私は足を止めて、ずっと私を見つめていたヘレルへ向き直った。ヘレルは唇を三日月のように歪めて笑った。


「陛下はいらっしゃいますわ。なぜなら、陛下がこのヘレルを呼んだのではありませんか」


「つまり……エリーシアは何処かに隠れているということ?」


「いいえ」


「……エリーシアはこの部屋には居ないけど、この城には居るということ?」


「いいえ」


「……此処は、エリーシアの私室だよね?エリーシアだけの部屋だよね?」


「ええ」


「……エリーシアは、本当にこの部屋にいるの?」


「――ええ。確かに」


「でも……ベッドには誰もいないよ……」


 視線をベッドに移した私を彼女は許さないかのように、その口を開いた。


「始まりは――混沌より。我らは、――全て陛下より生まれ落ちた者。陛下の呼び声なしで、我らはこの目を開けない。……欠落をお探しかしら?欠落を、お求めかしら?幾度となく呼びかけられましたわね。幾度となく求められましたわね。そのお腹に溜まった全てが、我らを呼び起こす一つ一つの鍵になることさえも、欠落しましたのね?」


 私は眉を顰めた。どうしようか、と悩む。

 もしかしてこの姿に惑わされている?


「ごめんなさい。先に言えばよかった。もしかして私の事をエリーシアって言ってたら本当にごめんなさい。この姿は私の姿じゃ――」


「姿など、気にすること?」


 ――違うか。


「は、はあ」


「……嗚呼、やるべきことを忘れる所だったわ。ねえ、――お人形さん」


「泉で、いいです……」


「そう。ねえ、泉。先程の騎士の言葉を思い出して御覧なさい。先程の騎士の感情を思い出して御覧なさい。ふふ――、ヘレルは命をしかと受けとりましたわ。其れが必要ならば、それを柄ではないけれど演じてあげますわ」


 私は眉を顰めることしか出来ない。


「破滅を求めるなら、怠惰ゼブルを御呼びなさい――それは忘却と喪失を誘う者。必ず泉を楽にしてさしあげる。もし、先を求めるなら、嫉妬レヴィを御呼びなさい――それは羨ましき者へ刃を向ける者。必ず泉の剣になってさしあげる。だけれどね、これだけは絶対諦めてくださいね。あいつらは――目覚めはしません」


  ゼブル、レヴィ?


「誰だかわからないし、何のことは全然わかんないけどこれだけは断言できる。私は、破滅は求めない。私は――先を求める」


「そう。なら――しかるべき時にレヴィと呼んであげてくださいな。彼女はずっと待っている」


「彼女?……やだな、まるで悪魔との契約みたい」


「ふふふふふふふふ!では、お忘れなきように。一に、騎士を、二に、レヴィをお忘れなきように。それではヘレルはこれにて下がりますわ。御機嫌よう――嗚呼、そうそう……お外に近衛兵などおりませんから、どうぞお好きにお出になったら?」


 そうして、彼女は私の影にその身を溶かした。ぎょっとしたけれど、何よりも居なくなったことに安堵した。次に訪れた静寂に、少しの寂しさが胸を満たす。私は燭台を元の位置に置いて、隙間なく閉められたカーテンを少し開けた。


 月は爛々と輝いて、私の顔を照らす。そして無意識に抑えていた腹部を、ぐるりと何かが蠢いた。腹部を見下ろして、私はお腹を撫でる。

 あの時食べた瘴気は、この身体には無いはずなのに――その存在を確かに感じたのは……。


**



「はァ?陛下に会いたい?」


「うん……」


 リベカはサンドイッチを半分噛みつきながら私の言葉を返した。私は朝食を取れないので、リベカと向かい合わせに座りその食事を眺めている。

 あー、美味しそう……。


「ごめんね!後々改善していくから!」


 いやそこまで居座る気はないんだけど。

 とは言えず、私は笑った。


「にしてもなー……陛下に会いたいとは、こりゃ直球というか怖いもの知らずというか」


「わかってるよ!王様に愚者ナールが会いたいとか、駄目な事くらいさ……」


 もじもじ、と唇を尖らせてみる。く、こんな演技いつぶりだ。いや、無意識下に結構してたら大分恥ずかしいけど……!ここは大女優上山泉。人肌脱ぎます!――脱ぐ肌はどうやら失ったけれど。


「んー……」


 リベカは眉間に皺を寄せて深く考え込んでいた。その隙にも口に物を放り込むその……食への執着は、いや、真面目に考えてるふりをしているだけで本当は何も考えてないかもしれない。


「何で?」


「えっ?」


 ぐい、とリベカが身体を乗り出した。ずり、と私は椅子から身を落とした。


「だから、何で陛下に会いたいわけさ」


 きょとんとまるで純粋な疑問です、と言いたげな瞳に私は言葉を詰まらせてしまう。まさか、エリーシアの部屋を覗いたら誰もいなかったんですー、何ていくらリベカにでも言えない……。

 でもいくら何でもだまりっぱなしはいけないことだ。怒られているわけでもないのだし。


 ――理由!理由を早く言わなくちゃ!

 偏屈に状況を述べるだけじゃ馬鹿だ!理由!理由ー!なんか、ましな、理由ー!


「だ、だって、会ったことないし?」


 会 っ た こ と な い し - !?


 我ながら理由を作る下手さに吃驚した。吃驚した。

 相手は王様!王様に会ったことないから会いたいなー、とか馬鹿か私は!


「あー……気持ちは」


「いやいやいやいや!違うの!こ、これには理由があって!昨日、昨日ね、アレウスさんに会って――」


「アレウス?」


「そう!えっと……円卓の騎士?の、アレウスさん!で、その人がシリウス……様!と陛下は蜜月……だから、中々会えないって言ってたんだよね!でもでも、一目くらいは見て見たいなー……と、思い……まして……?」


 え、えと。何だろうこの形容しがたい彼女の顔は。

 紅茶を啜って膨らました頬に、それでもと朝食を詰めようとする指。固く閉ざした唇に拒まれてそのサンドイッチは右にスライドした。


「陛下は出てこない。――蜜月ってそういうことだしね、そういうこと!それにあたしはアレウスあんまり好きじゃないし!」


 リベカはこの話題を終わらせたがっている様に言葉を畳み込んだ。小さく溜息を吐けば、サンドイッチを口に放り投げていく。


「け、けど……アレウスさん……」


「アレウスから何か言われたの?」


 その言葉に毒があるように思えるのは何ででしょうかぁ……!

 

「いやぁ……」


 な、なぜ私がこんなにどぎまぎしなくてはいけない……!?

 というか、自分にじとりと睨みつけられるのは何やら変な感じがします……。


「さっきのことくらい……?」


 へ、へへ――と恐らく不細工な顔を晒す。リベカはというと不服そうなその目の色を向うに投げやって朝食全てを平らげた。「何を言ったもんかな」と零した言葉と共に頬杖を付く。

 その漆黒の瞳が歪んでいる。


「ちくしょうアレウス。……適当なことばっかり言いやがって」


「り、リベカ―――」


「んもう――むかつく!むかつくー!」


 頬がひくりと不格好な笑みを引き攣らせた。リベカは頭を掻きむしった後、私の静止の声も届かずこの部屋を出て行ってしまう。がっくりと肩を落とした私は、どうしたものかと天井を見上げた。


 聞く自由と、耳を塞ぐ自由。


 あまり関わらない様にと、私は耳を塞ぐとリベカに言った手前、今やその手を離したいと暗に告げていることにリベカはどう思っているだろう。


 不在の女王。それなのに、女王の存在を証明するかのような城の振る舞い。

 そして――女王の為の尊い犠牲である、私。


「私一人で……、乗り越えられるの……?」


 その問いに混ざる黒い女の笑みに私は飛び上った。喉を何者かから撫でられたかのような寒気――という思い込みが私の身を震わせる。


 嗚呼、知りたくない。嗚呼、嫌だ。内情を知れば知るほど、私は逃げられなくなる。


 馬鹿な私だ。愚かな私だ。既にこの足には蔦が絡み過ぎているのに、まだこの目にそれは映らない。いつでも、何度でも私はあの蒼穹に羽ばたけるはずだ。そう思い続けなければ私は立てそうに、ない。


「大丈夫……大丈夫……湊……実花……!」


 たまらずに私も部屋を出た。


 この部屋には、これ以上長居したくはなかったのだ。

せ、せーーーーーーーーーーーふ!

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