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うつくしきもの

その在り方を美しいというのか、それともその様を美しいというのか。

「……申し訳ありません。なぜ、何故でしょう。貴女を前にすると余計な事を喋ってしまいますね。あはは、貴女の様な愚者ナールは初めて……」



 ――エリーシアに、生かされている。

 その言葉の不可解さに私はリアラさんの顔を唯じいと見つめていた。リアラさんは誤魔化す様に微笑むけれど、そんなもの通用しない。

 今だけと感じた。この時がついに来たのだとも感じる。

 きっと、私の脳裏に浮かぶあの少女バレンが私に教えてくれているのだ。


「知りたいんです。私、……――この世界の事、知りたいんです」


 カップを置いて、取っ手の部分を人差し指で撫でた。私のこの言葉にリアラさんは、吐息を少し漏らして口を開く。


「構いませんよ。貴女が選択をするまでの間、知らないことは周りに聞けばいいのです」


けれど、今の言葉は忘れてください。そう言いたげな間があった。


「選択、ですか?」


「はい。帰るか、ここに残るかを選択して頂きます」


 初耳だ。まだこの時代では、愚者は帰る選択があったのだと知る。しかし、今はそのことではない。


「なら教えてください。――エリーシア様の犠牲とは、何なんですか?」


 リアラさんの顔があからさまに曇る。その顔は先程の自分の失態を責めている様にも見えた。

 視線が私から逃れようと右に走る。お茶とお菓子を運んできた侍女ならばもういない。なぜなら、リアラさん自らが人払いをしたためだ。


「……お願いします。本当に、お願いします……教えてください……っ!」


 私は即座に椅子を引いて頭を下げた。どうしても知りたい。私は、知らないといけないのだ。

 知っていることを、忘れているのなら、それは知らないことと同じでしょ?

 なんて言葉が胸に満ちる。私は下げた頭の下で唇を静かに噛み締めていた。


「そんなに……大したことではないのですが」


 ばつの悪そうな控えめな声だった。私は「え、」というと顔をあげる。声にあった曖昧な笑顔の表情でリアラさんは私を見た。リアラさんは一呼吸置くと、どうぞ座りなおしてというように腕を伸ばす。


「いつの時代の為政者にも苦痛が絶えなかったように、ただ同じように、陛下にも其れがあるだけなのです」


 少し傾いた視線が、淡々と言葉を零す。


「ただ、――それだけの話なのです」


 そして、唇に弧を描いた。

 私は、……私は、つい立ち上がって、


「そ、そんなはずない!そんなもののはずがない!だって、だって――」


 エリスは、支配者の苦痛何て訴えてなかった!

 ただエリスが訴えていた物は、憎しみと……憎しみと?

 

 憎しみと……。


愚者ナール。貴女の世界をお創りになったのは陛下で、そのようであれと仰ったのも陛下。それ以上が、どうして……あるのですか?」


 いつのまにか立ち上がっていたリアラさんが、私の肩に手を置いた。私は置かれた手なんて気にも留めずにただ虚空を見ていた。

 ただ、私の中が、暴れまわるのを持て余しながら。

 何かを訴えているのに、その声が言葉として私に伝わらない。


「さぁ!陛下自慢のお城はまだまだ見どころが沢山あるのですよ!いきましょう?」


 緑の瞳が私の瞳を見つけて柔らかく微笑んだ。私、……私は――。

 噛んで居た唇を離して、頷くしかなかった。


「リアラさん。一つ、竜について聞かせてください。もし……もし、エリーシア様が此処にいると危険で、死んでしまうかもしれないとわかった時……竜であるリアラさんならどう、しますか?」


「……そう、ですね――。本当に陛下の御命が失われる様なことがあるのだとしたら……。そう、ですね……」


 緑色の瞳は、穏やかな温度を湛えたまま私を見ている。


「たとえ、どんな手を使ってでも、わたしたちは陛下をお守りします」


「……どの様に?」


「ふふっ。どんな手段でも、と申しましたよ。――この地が陛下の毒になると……陛下の命を永遠に失わせるのなら……どこか違う所へ、お運びするのでしょうね。陛下が望んでいなくても――はい。そこに私という存在の有無は関係ないのです」






**

 


 竜というものの、存在の在り方はこうだ。


 王の隣に立つこと。――いいや、寄り添うこと、と言った方がいいか。それを自ら肯定している。それを語る目が何処が見覚えがあって……ああ、そう、そうだ。あれは、母の目に似ていた。エリーシアという存在を庇護する目だ。

 

 そして、時にその庇護欲は一線を越えるのだ。……守りたいが為に、生かしたいが為に、時に己という存在の価値が一気に低下する。その一方的な想いは、当事者の意志を鑑みない。あの目が語ったのは、それなのだ。

 離れる事が怖いといいながら、私と離れることが何よりも怖いとその目で語りながら私を元の世界に返した彼も、同じ目をしていた。



 竜という者の在り方は、佐倉湊の在り方と酷似していた。


「今更……今更気づくなんて……馬鹿だなぁ私……」


 案内される道すがら思うことに、笑みを浮かべた。その自虐の笑みで、私は過去の私を蔑んでいる。

 何も知らない事を許された過去の私へ。そのことに満足げに浸った過去の私へ。

 


「着きましたよ」


 す、と顔をあげた。何処に着いたのだろう?リアラさんは私に振り返るけれど、私はわからずに顔を見た。身体をずらされて、リアラさんがドアノブに手を掛ける。――するとどうだろう、何ていう仕掛けなんだろうか?無機質な、向う側を遮断していた豪奢な壁と扉がいきなりガラス細工に変化していく。変化していくにつれ、外の木漏れ日が廊下に満ちていった。


「わぁ……!温室ですか!?」


 開かれた扉、香る木々と鼻の匂い。奥へと続く道を背の低い木々が示していて、天を覆う様に緑が茂っている。左右均一に、そして完全に考えられた花の配色は、私の憂いを一時的に奥へと追いやった。


 ――私だって、花が好きだった。実花のように可愛げがある反応を示すことが出来なくて、あまり公言はしていなかったけれど、緑が、自然が好きだった。


 中に入ると、育てられている植物もなのだけど、何よりもこの温室の造りに圧倒される。全て……ガラス……が使用されているように思う。キラキラと陽に煌いて、


「まるで宝石箱みたい……」


 なんて恥ずかしい台詞を言ってから気づくほど。何処からか水がまかれると、それは自ずと緑にかかるわけだ。でも……初めて思った。なんて綺麗な水なんだろう?しゃがみ込んで自動的にまかれている水を観察した。

 水が空中を漂えば、そこに僅かな隙間が生まれる。けれども水たちはアーチを描きながら落ちていく。そして落ちいく最中に陽が反射して、キラキラ……キラキラと美しい雫に成って花や木々、葉にかかっていく。まるで朝露の様な輝きだ。


「……お気に召しましたか?」


「はい!とても、と――っても、綺麗な場所……。空気が澄んでいる様に感じます。息がしやすい。私――ここが好きです!」


 そう柄にもなくはしゃぐ私の顔を見てリアラさんはとても満足げに首を傾げながら笑った。

 スワードの薔薇園も中々のものだけど、ここの温室もすごいなぁ……。まあ、スワードの庭は見事に赤薔薇しかなかったし、目に新しい――。いや、そういえばスワードの屋敷にも空中庭園があった気がする。見事に花ばかりだったけど、……ここも、皆と見れたらいいなぁ。


「奥に参りましょう。エリーシア陛下が最も愛している花達が待っています」


「陛下が一番好きな花ですか?」


「ええ、その通りですわ。――赤いゼラニウム。陛下が民に向けて送り、後に下界に届けた陛下の愛そのもの。……『君ありて幸福』そう口付けられて、私達にも下賜されました。きっと貴女も気に入るでしょう。だって……」


 少しの階段を昇って、降りて、また昇り。案内されたガラスの温室の奥。そこに、赤い花は咲き誇っていた。

 ――それは、栄華を象徴する、というのだろう。


「――すごい、すごい……!」


「貴女は、エリーシア様によく似ている……」


 その声は私の耳に入ることは無かった。

 私は目の前を優雅に豪勢に咲き誇る花達に心を奪われて、一人小走りで花達に飛び込んでいく。――おお、どうやら赤だけではないようだ。ピンク、白、オレンジ、斑模様、紫――……なんて膨大な種類なんだろう。見渡す限りの色とりどりのゼラニウムが、寄せ植えされている空間は流石女王の愛した花、というのだろうか。


 大小のゼラニウムが植えられて、其処に混じる緑と陽がとても芸術的。もし画家の一人でも連れて来たのなら、どんな風にどんな角度からこの温室を描くのだろう。私はその様子を傍の椅子で見ていたい。



 ほう、と花の香りに溶かされてふらふら歩いていると、人の背中が向う側に見えた。誰か先客がいたみたいだ。その人は膝を付いて、このゼラニウムの花園を見つめている様だ。私は人が居る、それだけの理由でテクテク歩いていく。ふふ、歩くたびに花達が私を楽しませてくれる。それが、心を軽くしていた。


――嗚呼、こんな所なんてあったら……私だったら暇なときにいつでも寄るかも。一人で物思いに耽るのもいいな。誰かと一緒に穏やかな午後を過ごしてみたい気もする。きっと、きっと、それは素敵な時間になる。だってこんなにも綺麗な空間なんだから!


「……」


 近づくにつれて、明らかになっていくその背中の人物。しかし、私の視界が常にその人を捉えているとは限らない。絶えず移り変わり、次にその人を捉えた時には既に――、その人物は立ち上がり、欝々とした昏い光をその眼に隠そうとせずに私を半ば睨みつけていた。


「あ、」


 としか声が出ない。一気に心が緊張する。一気に後悔が波のように押し寄せる。

 ――馬鹿だ、ここに、こいつがいることを知っていたのに。

 しかし既に時は遅い。空を吸い込んだような髪色のこの男は、もうそこに立っている。


「シリウス……!此処に居たのですね」


 後ろから小走りで追いかけて来たリアラさんが――男の名前を呼んだ。シリウスは一瞬だけ私から視線を外したけれど、すぐに細めた視線で私を捕える。

 まるで蛇に睨まれた蛙ね、私は。……そんな自嘲の笑みを浮かべようとも、竦んだ心はあまりにも弱すぎた。


「……完成したんですね、人形」


 ――これが、あのシリウスの声?

 にわかには信じがたいけれど、間違いなく目の前の男から発せられた声で間違いはない。でも、でも、どこか、違う。明らかに違う。そう、何処か、何処か――。


「いいえ、完全ではないのから完成とまでは言い切れません……ですが、ようやく希望が見えましたよ。……シリウス、シリウスも気にかけてくれていたのですね」


 シリウスの目が、忌々しいものを見るように苛立ちとさえ取れる程に歪んだ。それを、私の肩に手を置いて穏やかに笑むリアラさんは気づかない。


「僕が……、は、……納得してるとでも、思ってるんですか」


 自信だ。威厳だ。わかった、私は――このシリウスに感じる圧倒的な違和感は、それがないことだとわかった。端に震える声は、声が内包した不安が、私の中にあるシリウス像を霞めていく。あのスワードにでさえ、私の知るスワードと似通っている部分があるのに、このシリウスにはどうしてもあの男の面影が見えない。見えるのは、見えるのはむしろ――。


「ぼ、くが、――今の、エリーシア様を、否定、するとでも?」


「……――シリウス」


 シリウスの瞳に、光が反射する。頬を流れるのかと思った瞬間に、私は咄嗟に名前を呼んでいた。あまりに驚きに、私は咄嗟に自分の口へ手を当てた。


 泣くかと思った。あのシリウスが、涙を流すのかと。


 私の声に、シリウスは身を固まらせて、震えに耐えているかのように拳を握りしめていた。数秒の静止の時間が流れて、シリウスはその足を前に進ませる。私の中の警戒心が露わに成って、私は思わず片手を胸の前で握った。


 シリウスが通り過ぎて、安堵の息を吐こうとした瞬間に、足音が背後で止まる。温室内に響く固い音が反響して――、


「僕はエリーシア様の部屋に戻ります。君は……早く、下界に戻った方がいいですよ。――愚者ナール


 と、疲れ切った声色が投げ捨てられた。

 足音が遠ざかる。ほっ、と息を吐けた。冷や汗などかけはしないのに、私は額を拭う。――少し震える手が、私の心をあからさまにしていた。


「おー、おー?いたいた、泉ー、リアラ―!もー、さっきシャンカラ卿とすれ違ったんだけどさー、すっごい表情かおしてたよほんとおっかな……」


 入れ違いに声が入ってくる。僅かに緊張した喉がゆるゆると解けた。私とリアラさんは振り返り、その声の主を見つめた。


「……どーしたのそんな辛気臭い顔して」


 私は本当に、ほんっっとうに安心して、安堵して、溜まっていた息を吐き出しながら言う。

 心の底から思った事を。


「……シリウスおっかない……」


 がっくり肩を落とした私に降る声は、心の底からの同意を表していた。


「わかるわー。後、シャンカラ卿か、シリウス様ね、泉」


「はぁい……」


更新がバラバラで申し訳ないです。けど、よく行進されます。許して下さい\行進せよ!果ての果てまで!/

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