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浮かぶ面影

 唾を呑む。ごくり、と溜飲した唾液が胃に漏れた感覚をあるかどうかわからない脳が思い出している。


「――待っていたぞ。其れが、完成形の人形か?」


 短髪の白金から覗く橙の瞳が私を真っ直ぐと射抜く。その声も、輪郭も、姿からも全てがスワードだった――そう、私が知っている頃の彼では、ない。

 密かに瞳を伏せた。


「ええ、そうよ!散々魂との融和に失敗してきたけど、初めて上手く行った!動作も思考も全て元の身体がやっていた様に出来ているから問題は勿論無し。――どうよ?」


 どんっ、と背を押されスワードの前に立たされる。つい、と見上げると真っ直ぐに見下ろす目とフード越しで合ってしまう。「う、」と詰まって私は半歩後ろに身体をやった。

 しかしスワードはその半歩を更に詰めた。フードに手をかけられ、それを全て剥ぎ取られる。「ちょっと……!」と突然の出来事に、今まで身を隠すことを意識していたせいでつい顔を背けてしまった。


「……触ってもいいのか?」


「どーぞ。質感とかはまだ研究段階なんだから、そこは勘弁して」


「……っ」


 頬に優しく手を添えられて、前を向かされた。始めてスワードを見たとき、何て綺麗な人だろうと思った。その目線の優しさからも口調の穏やかさからも人柄を想像し得て、それが全て違って無かったから。――けど、これは、心臓に悪い、かも。


「おい、目を俺に合わせろ」


 はぁ!?無理だしそんなの!


 僅かに視線をもたげても、噛み合った瞬間に心の音が切なくなって無意識に視線が逃げていく。


「――俺を見てくれ」


 その言葉が振りかざした威力の大きさを、スワードは知り得たの?――言葉が発せられて、私は固まってしまった。思考が凍りついた、が正しいだろうか。けれどその後すぐに、その言葉の意味を捉えてしまって……、私は大きく溜息を吐いた。


 ああ、そう、いいよ。見てやろうじゃん。


「素晴らしい。これは――本当に、素晴らしいとしか言いようがないな。青を混ぜた金色の髪、穢れを見せない紅の瞳……」


 柔らかく瞳が微笑んだ。微笑んだから、あ、無理だ。

 ――感情が出ちゃう。


「も、もう無理……っ!」


 か弱い抵抗でも受け入れてもらえた――気がした。私が振り払った手の強さは、本当に微弱な者で。そりゃそうだろう。恥ずかしながらも、これ以上見つめられるのは何だか心が持たない故の抵抗だったのだ。けど、無事に受け入れてもらえて私はよろよろと後ろに後退した。


 しかし、私が声を出した瞬間に移り変わったスワードの表情は、確かに喜びを映していた。受け入れた私のささやかな抵抗を、またその手で掴み取る。


「名前を、」


 その声に、過去のスワードの声が重なる。


「スワード、と名前を呼んでくれるか」


 掴まれた右手が震えてはいないだろうか。私の瞳は揺れてはいないだろうか。


「――はい。スワード、様」


 震えた声は紡がれていないだろうか?

 なぜ、なぜこんな。悲しい事を繰り返す必要があるのか。


"スワード"

「違う。様はいらない。スワードと」

"――スワード、呼んで?"


「……スワー……ド……?」


 満足げに、目の前の彼が笑う。


「――素晴らしい。声色も、エリーシアにそっくりだ。これならば……リベカ、あんたの計画グリームニルが全てにおいて応援することも吝かではないぞ」


「でしょう!あっったりまえじゃないグリームニル卿!このあたしがあらゆる叡智を集めて作り上げた究極の肉体なんだからね!」


「リベカ。その口の利き方は些か失礼ではないか……」


 場は一気に温度を上昇させた。スワードは私に小さく感謝を述べると、この頭を撫でた。優しく、優しく――……。

 スワードは私の元を離れ、リアラさん、リベカ、ユースティティアさんと何やら話し込んでいる。まるで、一気に境界線を引かれた気分だ。私は、何処か荒ぶ心をあやしながら視線を下にずらす。寂寞に喘ぐ心から目を背けようと、一人小さく笑った。


 心の何処かで、もしかしたら、と思っていた。スワードは凄い人だ。魔術のグリームニルと言われているらしいところの頂点だ。魔導士団の団長さんだから……もしかしたら、探しに来てくれているかも、なんて。そりゃそうか。姿が違うということは、少なくとも、私の知っているスワードじゃないのだから、今の私の事なんて……眼中にも、ないか。


 彼らが心に留めるのは唯一人だけだ。それは、エリーシア。この時間ではまだ王として君臨しているエリーシアただ一人だけだ。よくわからないが、私という存在が何かエリーシアの救いになる、それだけでこの待遇を得ているただの――愚者ナール。その愚者ナールが、実はもしかしたら未来であなたと知り合うかもしれません。何て、誰も想像しないし、信じもしないな。


 私は首を振った。油断すれば心を黒い何かに食われかねない。そうなれば――私は何をするんだろう?身に飼う穢れが、確かに私の心を這いずりまわっているのを感じるから、私は私を飲み込んだ。

 少しだけ泣きそうになったのは内緒にしておいて。


 ――エリス、お前が少し羨ましい。


「ご気分でも優れませんか?」


 私は咄嗟に笑顔を作り、声を掛けた女性――リアラさんを仰ぎ見た。事に満足したのだろう。純粋な慈悲に溢れている優しい眼差しが、ようやく私に降り注ぐ。私は唾を飲み込んで、肩を震わせ笑いながら言った。


「いえいえ!――暇だなあ、と思って」


「……ああ、そうですね。それでは約束通り城内を案内致しましょう。きっと気分も晴れますよ」


 そう言うとリアラさんは机を囲んで座る三人を振り返る。三人はそれぞれに頷いた。私はちらりとスワードを見たけれど、スワードはもう……私を見ることは無かった。真剣に机に置かれた紙に目を落としていた。


「それでは……参りましょう」


「はい」


 二人で部屋を出た後に、数歩先を私だけが歩いていることに気付いた。後ろを振り返るとリアラさんは顎に手を当て、何やら考えているようだった。首を傾げて近くによると――、


「スワードが気になりますか?」


 爆弾だ。今ここに爆弾を落とされた。

 あまりに直接的な投下だったから私は声が出なかった。「え!?いえっあの」と出して見るけれど身体の振りだけがあたふたするばかり。


「え、え――と、その――……!」


 ぐるりと景色を見渡して、下を向いて、上を向くと――微笑んだリアラさんの顔が目に入って。また、呼吸を奪われる。違うの、違うの!と否定すればするほどまるで肯定していくよう。それが自分でもよくわかった。


「良いのですよ。その感情は、とても美しいもの。それに、そういう時はね、少しだけ微笑んでいればそれだけで返事になるのです」


「そんな、器用に表情何て作れません。それに、本当にスワードの事は何も――」


「ふふふっ」


 リアラさんが声を上げて笑う。また私変なこと言ったの!?


「可笑しい。ふふ……すみません、少し違う結末を見ている様な気がしてしまって。行きましょうか」


「違う結末……ですか?」


「はい。気になりますか?」


「――はい」


 並行して歩きながら、私は頷いた。リアラさんを私を見るともう一度微笑んで、頷いてくれる。先程のことだけで、随分私が持つリアラさんのイメージが食い違う様になってくる。彼女はこういう風に笑える女性だったのだと思った。


「貴女はエリーシア様に似ています。そして、その貴女がスワードに見惚れていた。この光景が、なんだかおかしくって……不思議で、少し思ってしまうのです」


 違うってば!と否定するのは今はやめておこう。凄く穏やかな顔で語るのだな、この人は。


「もし……エリーシア様がスワードを選んでいたのなら、シリウスは少しは救われるかもしれない……と」


 足が止まる。王城の始まりの間、所謂エントランスだ。大きなシャンデリアが、風に揺れている。


「シリウスは、エリーシアの何なんですか?」


 リアラさんの視線が真っすぐと私に向いたのを感じた。あまりの直線的な目に、私は顔を向けることが出来ない。


「……エリーシア様には陛下を、シリウスには様をお付けください。其れがこの世界のルールです」


「すみません……」


「――いえ、お教えしていなかった私達が悪いのですね。知らないならば……仕方のないこと。次からはお気を付けください」


 肩に優しく手を置かれた。その時にフードを忘れてきたことに気付いたが、見上げた目の優しさにそのことは頭の隅に吹かれて消えた。


「シリウスは、エリーシア様の恋人……なのです」


「彼氏――なんですか」


 あんなのが、彼氏……なんだ。嫌だな、あんな高圧的な男。私、嫌い。


「恋人故に一番エリーシア様から遠い存在となってしまったのです。……あの騎士は」


 明らかに何かを見つけたリアラさんの視線を追うと、隅の柱の陰にシリウスの後ろ姿を捉えた。鮮やかな青色の髪は、柱の影と重なっているせいで所々黒に近い。しかし、誰かと話し終え、柱の陰から出て来たその姿に――私は思わず見下ろしていた手すりの陰に蹲った。


「如何なさいました?」


「い、いえ……た、高くて、目が眩んじゃって……」


 なんて、まったくの嘘だ。嘘だ。何が嘘だ。これが嘘だ。この世界が嘘だ!

 嘘嘘嘘よ、これが現実であっていいはずがない!これが過去であっていいはずがない!だって、だって――、シリウスの姿形が、私の知っているスワードと全く同じなんて!


 バレンが見せていた過去ではこんなのじゃなかった。じゃあ、時折夢で見ていたこの光景は?靄が掛った様に、見えなくて!


 心臓が、あるはずのない心臓がうるさい。


「それで……なんで、一番遠い存在なんですか……」


 見えないように、見せないように私は私の思考を固定する。


「庭園へ向かいましょう。良い風を吹かせます、気分がきっと優れるはずですよ」


 手を差しだされた。心地よい風だ――、呼吸がしやすい。

 その手を取って、私は立ちあがる。気づかずに後ろに続いた。階段を昇り、私の後ろ姿に息を呑んだ騎士の存在に気付かずに。金色の憂いを帯びたその瞳は、確かな動揺と潤いを湛えて、その足を前に進めていた。



**


「シリウスは……とても穏やかで、例えるなら月の光の様な――弱く、暖かい存在だ、とエリーシア様は仰っていました」


「――……へー、え?」


 あ、紅茶って飲んでよかったっけ。口につけてもう傾けてしまったけれど、あれ?リベカ何か言ってたような。で、でも少量だし、大丈夫……よね?


 それにしても、月の様な光ィ??なんだその口から紅茶を垂れ零しながら笑えそうな表現は。エリスってば、案外目が節穴なのね。

 ほんとバカみたい。それは――スワードに当てはまる言葉なのに。


「だからこそ話せないことがあるのですね。度々彼女は……スワードだけを頼っては、シリウスには何も打ち明けずに解決することがありました。それにシリウスは気づいてはいても、言えない……。そんな関係が行きつくところまで行く着くと、どうなるのでしょうね」


 庭園に風が吹く。その風をリアラさんの赤い髪が包んで、逃がしていく。目尻かかる前髪がその憂いを助長するけれど、私は今一理解出来なくて、この庭園の素晴らしさへの溜息をそれに寄せた。


「そんな中で、スワードを見つめる貴女を見て……思いました。エリーシア様の相手がスワードだったのなら、どうなっていたのかと」


 リアラさんはカップの中に角砂糖を入れてくるくると混ぜている。リアラさんは何て返しが欲しいのだろうか。私はその姿を見つめていた。


「――変わらないと、思います」


 気づけば私はそんなことを口にしていた。自分でも驚いたけれど、出してしまったのだから止まれない。


「エリーシア陛下が、シリウス……様を好きで遠ざけるなら、きっとエリーシア陛下はスワードにも、あ、スワード様にも同じことをすると思うんです。スワード様が多少なりとも強引にエリーシア陛下を引きずれるのなら、違うかもしれないけど、それは無――」


 リアラさんの表情に私は喋るのを忘れて閉まった。何て優しそうに、笑ってるんだろう、この人。なんでそんなに、諦めた瞳で笑ってるんだろう。


「リアラさんは……陛下が、お好きなんですね」


「ええ……当たり前です、竜、ですから――」


 私はカップをお皿の上に置いた。中の下の位置になった水面に紅い瞳を反射させながら、私はある考えに揺れていた。ずっと気になっていた。竜のそもそものこと。その緑色の目を持つ竜を知ったのなら、少しは湊に――。


 湊の考えてることに、近づけるのかな。


 考える必要なんてどうやらなかったみたいだ。心が、素直に、頷くもの。


「リアラさん……竜ってそもそも、何なんですか?」


 ぎゅ、とカップの取っ手を掴む。竜、というと湊が浮かぶ――。その思考の繋がりが、何を意味してるのかなんて察したくないな。察したくないのに……繋がってることは解り得てしまうから。心がスース―するなぁ……。


「風が……。ああ、いえ、竜ですね。わかりました、説明しましょう」

「――私と、もう一人アルピリはこの世界に於いて二人だけの竜なのです。今は人の形を取っていますが、本当は……貴女が下界で聞いたことのあるドラゴンの形をしているのです」


「蛇みたいな龍じゃなくて、本当に鳥が大きくなったような竜ですよね?」


「はい。そして私達竜は、唯一人、エリーシア陛下にのみお仕えします。三柱の残り二人であるスワードとシリウスは民を守る義務を背負いますが、私には其れがありません。竜は陛下だけを助け、護る存在なのです」


 ――まあ、余裕があれば他も助けますけれど。

 と冗談めかしてリアラさんは笑った。私もそれに笑う。


「へえ……でも信じられないなぁ。リアラさんが本当は竜だなんて」


「あら、これでもきちんとした竜の姿なのですよ。――いつかお見せする日がくればいいのですが」


「ええ、それって大事の時限定ですよね?」


 そうですね、と頷きリアラさんは笑みを静かに消した。

 風が僅かにしか吹かない日差しのせいで、首元に汗が滲みそうになる。つい何時もの癖で拭うけれど、手には汗さえも――皮脂さえもつかない。


「王と竜は共に立ちます。わたしは、陛下の心に寄り添い、助け、支え、永遠に守り続けていきたい……のですね」


 おや、違和感。

 言い方に違和感を感じる。

 深く掘り下げようか私が迷っている間に、リアラさんは何かを乞うような目を持ち上げながらその口をもう一度開いた。小さな声で、けれど、風がその言葉を確実に私の耳に届ける。



「――私は、陛下に……永遠の君臨を求めたいのです」


 よく意味がわからない言葉だ。私の不可解な感情が表に出ていたのか、リアラさんは苦し紛れに微笑んだ。


「……貴女には、命を賭してまで守りたい相手がいますか?」


「えっ?いやあ、……すぐには、思いつかないです」


 ぐ、と首が固まる。


「では、貴女は誰かの犠牲の上で生かされているかもしれないと感じることはありますか?」


「――――それは、」


「感じるのですね」


「……それは……」


 ああ、自分の視界が揺れているのを感じる。ああ、なんてことを聞いてくれるんだ……。

 

 俯いて、その先の言葉を飲み込んだ。これは駄目だ、駄目な返答だ。答えないと相手を困らせてしまう。答えないと……、こたえ、ないと――。


「それならば、貴女に私の心はわからないでしょう。……貴女はエリーシア様と似ていますから」


「エリーシア陛下も、誰かの命を奪いながら生きているんですか」


 ぼとりと吐き出た嫌味を含んだ問いだった。俯いて、返答に迷っている間にリアラさんの言った言葉が、私の中に居る黒い部分を刺激した。そして這い出た問いが、私が意図する間でもなく零れ落ちた。


 リアラさんは一つ、息を漏らした。今度はリアラさんが返答に迷う番だった。


「いいえ」


 私は顔を上げた。

 一つ、力強い否定が押し出された。


「私達が、エリーシア様の犠牲のもとで生かされているのです」


「エリーシア様の犠牲……?」


 はっ、と我に返ったようにリアラさんは目を瞬かせた。きっと、言う予定の無い言葉だったのだろう。慌てたようにカップをもって、その縁に口を付けた。



最近更新日がバラバラで申し訳ないです><

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