白日夢 Ⅱ
そこからは、酷いラグが起こり始めた。止まっては動き、動いては止まり、数秒前に戻っては数秒後に動きたがる。
私の肩から垂れさがる金色の髪が、目の前で赤く染まる金色の髪と重なる。目の前が瞬いてしまう、――目を閉じた。そして、耳を塞いだ。
どうしても、見たくないのだ。どうしても、知りたくないのだ。何がそう思わせているのか考えたくもないのだ。
少し深みへ入り込めば、いいようの無い恐怖が私の肌を撫でる。一気に上がる心拍数に、あるはずもない心臓が痛み出す。
「うっ……痛い、痛いよ……もうっ……苦しい……!」
薄く目を開くと、過去は未だ進もうとしていた。
「もういい、もういい……――もういい!先へ行って!」
無心で叫んだ。一刻も早くその映像から目を逸らしたかった。
幸いにも、私の声は届いたらしく赤い血で彩られたその記憶の一部は桜の様に一瞬にして散った。脱力する。呼吸を整えようと生理的に身体が肩を揺らしていた。
「"ドドドドドドドラララゴンンンンぎゃ―――――っ!?"」
闇から再び物語は始まる。視界の揺れを最小限に留めようと窓の桟に手を付いた。
大きな洞窟の様な場所で目覚めた私は、自分を取り囲む大きな――竜に腰を抜かしていた。その光景を見ていると不思議と心が静まってくる。あの思慮深い眼差しを見ていると、暖かい光に包まれるような気さえしていた。――それが過去の映像であろうと、十分だった。
アルピリさんには、出会ったころから何処か心を許せていた。普通、あんな格好の男に抱かれているのなら、もっと抵抗するよな……と未来の私が苦笑をしてみる。そんなことをしてみたけれど、あの思い出に触れるのなら今の心の隙間を埋める為に触れたい。
「はぁ……。ホームシックならぬおやじシックに見舞われてる気がするね……」
膝を丸めてとほほ、と頬を乗せた。
「"……エリーシアの追体験をした時のことか?"」
「えりーしあのついたいけん?」
むく、と顔をあげた。湊達と再会した私は、湊に事の顛末を聞いているようだ。
「エリーシア……エリーシアの追体験……あれが――」
頭が痛くなりそうな気がして、無意識に眉間に皺を寄せた。しかし待てど一向に来ず、むぅと口を尖らせながら眉間を揉む。そして流れる映像も見ずに私は膝に顔を埋めた。
「無理。エリーシアってば、最悪の最期じゃん」
その言葉に自分でぞっとして、掛布団を頭からかぶった。マントのように顔だけ出して、ちろりと外を眺める。私がそうしてた間にも過去の時は過ぎて、あの時の私が実花とトルーカでウィンドウズショッピング……懐かしい単語だなあ。それをしていた――その時。
ありえないくらいの爆音と、暴風が私に迫った。
「"きゃああああああああああああああああああ!"」
見えていた市街地が見えている範囲全て瓦礫の山と化した。吹き込んだ風で気圧される身を押し出して、私は必死にあの時の記憶を探した。見えている記憶だけではなく、同じタイミングで思い出そうとしていた。
あの顔を。あの目を。――実花を攫った、あの男を!
しかし、私の記憶の身を回想するだけだから思うような光景は反映されない。煤けた視界と、どこか赤い地面は私の記憶にこびりついているものだ。敢えて、ここで、新しい物を発見するとしたのなら、それは、声。
あの時は摺りぬけて言った、声。
「"――随分と、派手なことをしてくれたじゃねぇか……ヨハネ"」
「"不毛な問いです、竜の民よ。貴方達が狂おしい程に求める赤、…感謝してくださいよ?"」
「"それにしても…素晴らしいなあ!ぼくのあの一撃の中で未だ立っていられるとは――嗚呼、でも関係ありませんよね?ぼくは徹底的に何でもそつなくこなしますから…"」
「――ヨハネ?」
何かが、私の中でひっかかる。
「ヨハネって、あの――騎士ヨハネ?夢で見たことが、ある……」
「"俺は、正義の女神の名を継し者、今ここに――裁きの権限を以て"」
「"……ユースティティア、だと…!?"」
「"騎士ヨハネ――てめえは煉獄行きだ――精々、石でも転がしておくんだな"」
そして、剣を抜刀する音が聞こえた。
「ユースティティアさんの名を継し者……!?」
湊が言った言葉がわからない。騎士ヨハネが、わからない。
――湊は、私の知らないことを沢山知っていることが、わかる。
「" ――助けてあげましょうか? "」
「エリス!」
姿は見えないけれど、声だけは聞こえて来たあの時の記憶。私はここで、エリスと出会いエリスを受け入れた。全てを助けるという叶えられなかった願いを条件に私はこの身体を差し出した。
その後は、見てるこちらが先程までの疑問を忘れるほどの光景だった。
このような力をもって、何故実花が攫われたのかがわからない……そう思う程の力だった。
まるでエリスが操る私は、魔法使いの様にその場のあらゆるものを操っている。この力がエリスによるものなのだから、私がエリスに身体を明け渡したことは間違ってはなかったはずだ。でも、でも――結果的に実花は奪われてしまう。
「あっ、実花……」
少し避けた所に横たわる実花の元に駆け出してしまえたらよかったのに。過去に介入出来たらよかったのに。そうしたら、今ここで実花を助けて、湊を連れて、地球に戻るのに。
私の足はどうやら理解しているようだ。まだ記憶に触れる気概さえあればよかったものの、この部屋から飛び出そうということもせずにベッドの上に私を座らせ続ける。
過去は過去。私よりも頭の方が理解しているのだろう。
「こんなにも……呆気なく、実花を奪われる何て……」
弱さが原因だ。私の心の弱さが、原因なのだ。
俯いて見ても滲まない視界に、笑いさえも込み上げてくる。
実花を私と間違えた騎士ヨハネに、言及しなかった湊と、
私を実花と間違え、それに訂正を加えなかったエリスと――、
「あれ……。ねえ、これって……――わざと私の代わりに、実花を連れて行かせたの?」
零れた言葉が響いて、それが正解だと言いたげに私の心に溶けた。いやにスムーズに、私の脳にその言葉を反芻させる。
「そう、だったんだね……」
絶望、というよりは落胆に近い感情が落ちて来た。私は失望したのだ――誰でもない自分自身に。
私に、もっと力さえあれば。
上山泉に、もっと強い意志さえあれば。
――こんなことに、ならなかったかもしれないのに。
尽きることのない"たられば"が胸を強く縛る。胸に熱い物が込み上げてきても、私の眼球は赤くはなりはしないのだ。
呆然と見つめる景色の向こう、頭の奥で私の怒鳴り声がする。エリスに向かって自分の至らぬ所をぶつけている記憶。疲れた、と口にすることさえも疲れているのに目を閉じても私の意識は落ちる様子はなかった。
ただ目の前に繰り広げられる、懇願と戸惑いの再構築。湊の笑顔が揺れる。湊の瞳に宿る思惑が、あの時の私にはただ真っ黒に映った。もしかしたら、実花は殺される――それが確信へと変わり行くのを私が拒否した。
湊が引き金を引くような気がした。違うよね、引いたのは私だったんだ。
胸に紅石はいない。胸前に浮かんだ手が空を切った。
「"早く…私を思い出して……。此処を思い出して……あの日々を思い出して……"」
それは、エリスが私へ言った言葉だ。
顔を上げた。思い出せと言われたことに何かが引っかかる。
エリスは私に思い出せと言ったのだ。"私"を、"此処"を、"あの日々"を思い出せ、と。
――私は何かを忘れている、に違いなかった。
「――巫女」
ふと、脳裏にあの少女の――日巫女の顔が浮かぶ。彼女なら、彼女ならば!私を知っている。知っているはずだ。だって彼女は、私に頭を下げたんだから。
私は確かに持ち上げた瞳で、記憶の回想がある所に行くのを待った。私が巫女さん達の屋敷まで連れて行かれる所。巫くんの――所までを。
「"…わかるわよ、この嫌な感じ……。この紅影殿を縛る無礼者は誰"」
「"……エリーシア、様……?"」
「――エリーシア……様……」
ガツンと頭を殴られたのかと思った。頭がくらくらして、心臓が急くように激しく動く。――無いのに。
呼吸が浅く、早くなる。身が震えた。
「エリスは――エリーシア……?」
そして、そのエリスを宿すは私。
嗚呼、いやだ。私わかっちゃった。
「そう……そうだったんだ……――そうだったんだね」
もはや、記憶の回想は目から零れ落ちていく。一つの頭にかかっていた鍵が落ちた気がした。すんなりと記憶が私の中に戻ってくる。
「全部、エリスを守る為のことだったんだ……!」
エリスが私の中に居たから、皆はエリスを守りたかったんだ。私を守っていたんじゃない、エリスを守ってたんだ。私はきっと、エリーシアを宿す器か何かなのだろう。よくあるもんね、そういうの。
なのに私ったら、何を勘違いして……。
――そうか、これが、私が知りたかった私の正体か。
「あは、ははは……――――これじゃ、これじゃあまるで――」
乾いた私の声は、朝日の目覚めに吸い込まれるように消えていく。目の端に入り込む光は、まるで涙に反射した蛍光灯の様に白く、それを私はわかっていながらもわからないことにした。
泣けない私の頬を、濡らせる物が空から降ってきていればよかったのになあ。
***
「"わたしね、エリーシアっていうの"」
「"エリーシア"」
「"あげるわ。……後はお前が見つけなさい"」
決意しては砕け、また決意しては砕けた道のりでようやく一つの答えに辿りつきました。エリス=エリーシア それが、泉の答えです。




