白日夢 Ⅰ
物語も中盤なので、前半の振り返りを二回に渡って行います。あくまで泉視点です。泉と一緒にこんなことあったーと思い出して頂けたら、いいな!
――月は昇った。
私に与えられた個室には、大きな窓がベッドの真横にある。私は其れを開け放って、カーテン両方をくくりに結びつけていた。ベッドに上半身を起こし、外を見る。月明かりがあるので、部屋の明かりは既に消していた。
月を見上げていると、ゆっくりと音が遠ざかる気がする。始めは眠っていると思ったけれど、どうやら違うみたいだった。景色がゆっくりと移ろっていく。――これは、記憶の回想を始めているのだとわかった。
大人しく身を委ねよう。
私は、月を見て――目を閉じた。
闇夜の中に、浮かぶ光が一つの色を現した。ピンク色、桜色。その並木道を見下げる3人の人影。
嗚呼--、始まりの日。あの日に全てが始まった。
そして風が奪い去る。
次に現れたのは、
星一つの無い、黒い夜空に覆われた草原。一つの煌きが、空を割って私を掠めた。真横に突き刺さった金の槍を横目で見た。同じような色をした目が、私を空から睨みつけていた。
「アレウスさん……」
見上げれば、その姿は風に消えた。当然ながらベッドに深々と突き刺さった槍も消えている。再び私は窓の外に視線を投げた。
次に現れたのは、スワードの背に隠れる私に深々と頭を下げるメイド姿の――フライアさんの姿だった。ああ、そういえばその時は妙に冷めた目を向けられたものだ。それを素直に感じて、怯えたんだっけ。まあ、すぐにフライアさんとは打ち解けられたと記憶している。
それから――、
「……ふふっ」
嗚呼、そう。そうそう。アスティンさんと初めて会ったんだっけ。そうそう、朝起きて窓を開くと――、目の前に、変な男の人がいて。
「……ふふっ、あれは驚いたなあ……アスティンさん」
私は叫んで、それにつられてアスティンさんも叫んだ。懐かしい記憶だ。
そして場面は変わる。穏やかな時間を蒔き戻していたのに、其処に現れた二人の表情は晴れて居なかった。アスティンさんと話す私。頷いて、城を出た。
「バレン……私と同じ姿の女の子……」
今見ても痛ましい、アスティンさんの傷。それに応えるように、私はアンスを呼び起こしていた。
「あれが、私?」
そういえば、自分の戦う姿をこうやって見るのは初めてだ。いや、普通はないのだろうけど。――はは、改めて見ると……私ってば楽しそうに戦っている。
笑顔は、桜を赤くして散った。
――そして舞台は、あの城へ。
あの男と私が対峙する。会話を再現する向う、私は壁に掛けられた絵画に注目していた。
金色の髪に紅い瞳を持った女。恐らくあれが――、エリーシア。
無意識に私は頭に手を当てていた。しかし、恐れていたノイズは走らない。だからもう一度、考えを巡らすことにする。
「エリーシア……エリーシア……」
辿れる情報の少なさに呆然とした。私の頭の中に、エリーシアに関する情報だけがあまりにも少なすぎる。知らない――知らない。
「"駄目だよ"」
バレンの声がすぐ近くで響いた。顔を上げると、追われた私にバレンが声をかけている。
「あなただけ逃げるなんて、そんなの許さない……」
次に言われる言葉に覚えがあった。覚えがあったから、その台詞は重なった。――私は、もう、逃げないよ。逃げたくないの、本当に……。
強く手を握った。あの時より心は震えなくなった。強くなったって、思ってもいい?
瞑る瞳の奥の少女に祈った。その奥に――スワードを見れるような気がして。記憶の中の少女は、笑わない。その理由を、私は知らない。知ることが出来なかった。
風向きが変わった。それを感じて私は目を開けた。目を強く瞑りすぎていたせいか、少し白く滲んだ視界の先に――、彼らが居て。無意識に、心が揺れた?無意識に、声を漏らした?無意識に――、
「湊……実花……――」
手を伸ばしていた。届かない、虚空の中に。
手を伸ばして実感してしまった。あまりにも遠すぎた幻想だと。この手は、届かないのだと。
過去の私は、二人に抱き着かれながら笑っていた。何を無邪気に笑っていたのだ。何をそんなに安心して抱きしめていたのだ。あの頃の私は――、何かを失うなんて考えてなかった。流されるまま、流れつく場所に何も失わず行くのだと信じていた。ああ、なんて、傲慢な。
あの頃は、手を伸ばせば誰かが掴み、声を上げれば誰かが応え、道に躓けば誰かが起こしてくれた。それは施しなのに、全然当たり前なんかじゃなかったのに。何も疑わず、何も恐れず、ただただそれに甘んじていた。
「……――助けて」
なんて言葉を吐こうものなら、きっと、彼らが振り返ってくれた。
だからだろう。――そう、間違いはない。そんな私に剣を向けた、彼が正しかったのかもしれない。
私に剣を向け、私の正体を求めた彼の問いに、――今のわたしが真摯に向き合おう。移り変わる過去を見逃さない様に私はアレウスさんの言葉に集中した。
「"…もう一つ、問いましょうかね、泉さま。……――――貴女は、誰ですか?"」
その問いに、当時の私は白昼夢でも見ているかのような状態に陥っている。何を私は見ている?それが、核に迫るものなんじゃないの!しかし、この回想は客観的に起こった事象しか再生しないのだろう。此処の頭の中を覗くことはどうしたって叶わない。
わからないものは、わからなかった。――相手は、私がその答えを知っていると言いたげな目で私を見つめてくるけれど、私に答えを吐き出させようとするけれど……あの頃はただ手を引かれる儘に歩いていた。ただ、求められるままに生かされていた。だからこその、わからない、だった。
机に座ったまま進んでいく授業の中、理解できない箇所につまずいて気がつけば教科書は数ページ先へ行く。そんな取り残され方をしていたのは、私だけと実感することが怖かった。
「"だって、湊くんは泉の盾でも無いし剣でもない!湊くんの役目は、そうじゃないんだもん!"」
実花の声がした。吹き荒れる風に向かって、彼女は悲痛な声をあげていた。
――わからないことを、わかる人は周りに沢山いた。
そこで私の記憶は無くなっているみたいだ。記憶の回想が急に停止する。ノイズが走るビデオテープの様に動こうとしているけれど、先が破損しているせいで動き出せないようだった。
だから目を閉じた。そして目を開くと――、そこは宮殿の中。ミズナと名乗る侍女に連れられて、私はシリウスの私室らしき場所に来ていた。ああ、そういえばそんなこともあったっけ。いや、まって。確かこの時、ミズナは何か重要な事を言っていたような……。
「"お還りが近いのでしょう。……だから、記憶に障害が生じているのです……シリウス様はお久しぶりですから不安におなりになったのでしょう……?"」
これか!これだ、これに違いない。
言葉が頭の隅にひっかかる。本能がこれを見逃すなと私に忠告している。
返り?帰り?還り?久しぶりだから?不安になる――……?
かえる、という単語は何度か耳にした覚えがある。果たしてそれが、何を意味するのか……確かアスティンさんが、何か言っていたような……。
「ん……?」
もう一つ、気にかかることが見えた。シリウスと間違われている私が、止まった景色の中でリアラさんに尋問されている時にやけにするりと事態を飲み込んでいた。思い出すと、確かにあの時に初めて私は自分が異世界に来たと実感したのだ。それまではどこか夢心地で、どこか他人事のような……。今思えば恐ろしい。はあ、わからないことだらけ。
考えるのをやめてしまいたい。――問い掛けは、無駄に近いから。
ふと浮かんだ自分の甘い声色に急いで首を振った。せめて、せめて何が起こっているのだけは把握したい。この現象が折角起こるのだから、上手く活用しなければならない。記憶が断片的すぎて、私は大事な場面で選択を間違えるかもしれないのだ。不安要素はなるべく消したい。全ては私が生き残るために。
「答えなんて求めるから苦しんだ。なら、せめて……わかんない事は、外へ投げてしまおう……」
それで、一先ずは終わりにしてしまえ。
「強くならないと……強く……――」
ふと目にした景色に焦点が定まった。それは、バレンが私に語り掛けた言葉の内容だ。
「"お父様のために、エリーシアになりましょう"」
「――……それって、それって!ねえ、バレン!」
私はあの時決定的な何かを見逃したのではないか。不安が私の心を強く揺さぶった。バレンの言葉を受けている過去の私の横で、過去のスワードらしき人物が立っている。今とは違う風貌で、言葉遣いも、立ち振る舞い方も、全てが異様なスワードが立っている。
それに続く、バレンの言葉。
「落ち着け、落ち着け……!考えるのは後、今は全部、思い出せ!」
心臓なんてないって言われたのに、この胸の苦しさは何だ?歯を強く噛み締めて、感じる痛みは何?
どこか遠い所で何かが警鐘を鳴らしていた。しかし、今の私では鳴らされていることはわかっても、鳴らしている意図に検討がつかなかった。
――ただ感じるのは、この胸を這いまわる圧倒的な不快感。
たとえ私が声を出して訴えても、その回想は止まる気配はない。容赦なく回るから、私は顔をあげないといけなかった。
目の前の景色に再生される私の姿は、完全に別人へと変わり果てている。それにまだ気づかない過去の私が、過去のシリウスと思わしき人物と会話をしている所だった――あ、リアラさんがいる……。
過去のシリウスは背中を向けた。過去の私からは見えなかった背が、今はっきりと映る。長い髪を一つ、背中で束ねていた。
一方、駆け出す私を止めようとした……スワードと思わしき人物は、まるで――今のシリウスの様な単発で裂くような瞳を携えている。
これはバレンが見せている幻想だ。幻影だ、捏造された何か――そう心に言い聞かせていた。
だって、まるで、過去の二人が鏡合わせのように今に存在しているはずがない。
「バレンめ……やってくれるじゃん……」
私を混乱させるための悪戯なのだろう。何ていう効果的な悪戯なのだろうか。めっちゃ効いてる。いつかもう一度会えたのなら、このことについて一言二言突いてやりたい。いつか、会えたのなら……。
「"シリウス……わたしの……さいごの約束、覚えてる?"」
「ん?」
急に私が言った覚えのない言葉を喋りだした。よく風景が再生されていないけれど、恐らく……お城の中ではない。シリウス……の膝に頭を載せている私……と言っていいの?あれは……。エリーシア、と仮定するべきだろうか?過去のリアラさんもそう言っていたし。取り敢えず、エリーシアがそう言った声が聞こえた。
最後の約束――?
考える暇はなかった。すぐに違う場面へと切り替わる。いや、切り替えられたかのような突然なことだった。「これは……」かすかに身体が覚えている。じっとりと、お腹の部分が痛み出した。無意識に手をやる傍ら、私の目は動かない。
きっと其処は王の間やら、謁見の間やら言われる所だ。数人が座り言い合う光景を、まるで景色を眺めるかの如く上空から見下ろす御簾の中、そこに私は居たのを覚えていた。あの時のうるさいと思った怒鳴り合いがまた耳に嫌な感触を残しながら通り抜けていく。
豪奢な椅子に腰かける金髪の女が咳をした。中身は私だ。でも……手にべっとりとついた血が、口元からも零れ落ちていく。その事に一瞬動揺して、すぐに落ち着いていた。そうだ、どこかで……感じていた――。
「っ、な、なに……!?」
急に過去の私が歪な声を漏らした。目を覆うことに失敗した両手が、震えながら頬に張り付いている。私の両目は、ただ赤く煌く刃の先を見つめていた。
ずるりと抜かれた身体は、数歩前に進んで、御簾のようなカーテンの様な薄い膜を裂きながら宙にその身を倒してしまった。だから、身体は投げ出された。だから、身体は……、
地面に叩きつけられたのだ。
悲鳴だ。悲鳴だ。悲鳴。
動揺と、混乱と、激動。
――それらを一斉にその場に目覚めさせた。
騒乱に侵されたその部屋は、誰一人逃げ切ることはなく誰一人漏れることは無く沈黙と化した騎士によって全てが地面に崩れ落ちていった。泣き叫ぶ一人は、うるさいと吐き捨てられることもなくその胸を貫かれた。逆上を叫んだ一人は、溜息の一つをもらされることもなくその身体を壁に叩きつけられる。ただひたすらに動かない金髪の女に駆け寄った一人は、その身体に触れる寸前で喉を貫かれた。
誰も動かなかった、一人を除いては、誰も。
そこで、私の記憶は途切れている様だ。それでいい、それがいい。見たくない。この光景だけは見たくはないのだと――、涙を流さない頬が冷たく震えた。
ひえー、頭いたいっす。多分湊のせいかな……。




