no wonder
「消えた…っていうのは正しくはありませんね。先ほどまで、騎士は此処に居ましたよ」
「……?」
「ええと、視覚には映らなくはなりましたが……あ、透明マントを被って出て行った、みたいな」
「ああ……!」
納得してもらえて嬉しいですと彼は息をつきながら微笑んだ。私は安堵と彼の仕草がたまらなく可笑しくてけらけらと笑った。一瞬きょとん、と目を丸めた彼だったが、直ぐに彼も小さく笑うのだった。その笑顔に、僕の娘っていうのを言及したら居たたまれない気がして、私はそのことは聞かないでいてあげようと思った。
――ところで、と彼は真面目な表情で切り出した。腰を抜かしたわたしの側まで歩みより、膝をつく。
「この結界はいつから?」
「具現結界…ってやつですか?」
「はい」
む、と口をつむぐ。……そもそも具現結界って何?
口を開かない私に彼は僅かに眉を顰めた。
「僕は少しばかり魔術に長けていますので、貴女が此方の世界に迷い込み、落ちるのを感じました。騎士達に見つかるまえに回収しようと落下地点まで来てみたのですが……既にこの結界が僕の庭の一部を食べてしまっていて、それはそれは驚きましたよ」
彼はくすくすと笑う。
「この……黒い空、と思うでしょうがあれは空じゃありません、結界です」
「……はい?」
「お見せします」
すると彼は立ち上がり空に片手を掲げた。そして手を開き空を撫でるように手首を動かした。パリン、と硝子の割れる音が聞こえた。一つ、二つ。その割れる音は次々に数を増やしていき空に亀裂が走る。私は口を阿呆みたいに大きく開け、その光景に釘づけにされていた。
彼は私をちらりと一瞥すると、突き上げた方の拳を握った――刹那、空が落ちた。更に大きく見開かれた私の目に、空の破片が入ろうと鋭利な部分を下にして落下してくる。小さく声を上げた私の肩を抱いた彼が大丈夫です、と小さく言った。そして、ほら上を見て下さいと。
「わあ……!綺麗……!!」
正に、満天の星。真っ黒な夜空には宝石が散りばめられていた。星は爛々と輝き、空を覆い尽くしてしまいそう。
泉はあまりの絶景に、白い男――スワード=グリームニル――の腕を解き離れた。そのことに小さく笑みを零したスワードは、夜空と同じように光を反射する泉の髪と瞳の色を眺め、嬉しそうに笑みを濃くしたのだった。
数分泉の好きにさせた後、スワードは咳払いをして彼女の気を此方に向けさせた。
「すみません、本題に戻っても宜しいでしょうか?」
「あっ、ご、ごめんなさい」
「…お見せした通り、あれは具現魔術の一種、洗脳系です」
……は?
「嗚呼えっと……。具現魔術って言うのは、何かを確実に表す高度魔術です。まだ発動はしてなかったと思いますが、先程の黒い空間にある特定の事柄を現して、対象者を洗脳する式がそれに組み込まれていました。……大丈夫ですか?」
「あっ、はいっ。……あ、あなたは段々眠くなーる、ですね!」
「……違います……いや、かすってはいますが…」
「とりあえず、貴女が愚者という事は確実ですから術者な訳ありませんし、貴女に聞くだけ無駄ですか……。ざっと見た限り、貴女が落ちた穴はあれではないでしょうし……となると、貴女が落ちてきてから展開されたのかな……」
無駄。かちん。ふつふつと湧き上がってきた正しい疑問の感情と不満を口に出そうと口を開いた時、彼は嗚呼、と呟いて手をぽんっ、と叩いた。その行為に私は口を自然に閉じ相手の言葉を待つ。
「地雷か」
「地雷!?」
頬を引きつらせた私に彼は不思議そうに顔を傾げただけで付け足しなどしなかった。
「僕の庭に地雷を置けるなんて何処の流派だよ…まったく……」
地雷…?あなた地雷って何か本当に解ってる?と口には出せなかった。深く考え込む彼に口を挟めばその顔が不快を示す気がして。この時の私にはそれが何故かどうしようもなく恐ろしい事だと無意識のうちに思い込んでいた。
「この件は僕が追々調べましょう」
微笑って言う彼に少し安心した。
「こんな所……で立って話すのもあれですし、行きましょうか」
彼はそう言うと私の右の手を左の手で掴む。その行為に引きずられるような形で、私達は歩き始めた。
ざくざくざく。歩く歩く。20分は歩いただろうか?空に点在する星たちの位置は変わらないけれど。私の数歩前を行く彼を見た。長い銀色の髪が左右に揺れる。右の掌に触れる手は傷一つ無く。
森を歩いていた。始めは熊が居るのではと彼に問うたが彼は唯笑いながら、まさかと答えるだけだった。其処から会話がない。それなら後の私の脳内環境は自然に思考へと移り変わっていった。だけれど、私一人では答えが何も出ない。この状況を異常だと理解はしているけれども何故か少しも焦る気持ちになれなかった。……まるで、このような壮大な物語を体験した事でもあって、余裕だと云う様に私の心は冷静だった。
「……これは、夢だな」
無意識に零した私の言葉に、彼の歩みが止まる。彼は虚を突かれたような表情をして私を見た。そして直ぐに彼は困った様な微笑を浮かべて、そうですねと優しく言った。
「夢ですよ」
これから起きることも、全部ね。
「あっあの!さっきから気になってたことがあるんですけど……」
「はい?どうぞ」
「私、さっきの人に愚者って言われたんですけどあれって……?」
「嗚呼…あれはそう聞こえているだけです、心配はいりませんよ。ご安心を。唯、貴女にはそう翻訳されているのでしょう」
「翻訳?」
「はい。僕たちの言葉は、どの言語でもあり、どの言語でもありませんから」
「えっと……日本語じゃないですか」
「貴女が無自覚のまま記憶している単語、異国の言葉、理解しているのに使われないそれ、深く考える必要はありませんよ。自然に聞こえるままにあなたは反応を示せばいいのです」
「じゃ、じゃあさっきの人が言った単語の意味を教えてください」
「……無自覚に落ちた、愚か者」
「それって、そのままの意味じゃないですか…?」
「まさか。そう定義されているだけで貴女に当てはまるわけないじゃないですか」
「で、でも!……?あの、無自覚に落ちたってどういう事…」
「さあ、どういう事でしょう」
「さっき、あなたも言ってましたよね。落ちた穴がどうとか…。あの、…ねえ!お、教えてください!」
「そんな事言いましたか?僕。…記憶にないですね」
徐々に私の意識が黒い何かに染みこまれていく。
「え?」
「それに――――夢なんですし、如何でもいいじゃありませんか」
そんな顔をしないで下さいよ,と彼は私の頬を撫でた。嗚呼そうだ此れは夢――。ふわふわした気持ちになって、黒いなにかも消えて、私達は再び歩み始めた。
会話など、無く。
――少しばかり、煩わしいな。
僕は、己に導かれ歩く少女を一瞥し、息を吐いた。静かになった少女が僕の行為に反応を示すはずがない。
少女には術が掛っている。微弱だが、抗力が強い。他を寄せ付けぬ、まるで己の者と主張する様な――――。あっ、いけない、力を入れ過ぎていた。いくら反応しないとはいえ、この少女の神経に痛みを与えるなど……僕は何をしてるんだろう。
とはいえ、随一の術使いであるこの僕が微弱な術を破れぬと思わないで欲しい。
一時も早く、この少女を恐怖から解放しなければ。




