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甲鉄の硝煙  作者: 結城 くいら
秋穂国陸軍名称「藤宮半島防衛戦」
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秋穂国陸軍名称「藤宮半島防衛戦」1

空はまだ仄暗かった。


しかし、もう半刻もすれば彼方から日が昇るだろう。


今の季節特有の朝に降る強い雨は今日は無い。

この内地より北に少々、といっても差し支えのない半島に住む人々はそれを<鴎雨>という。


秋穂国領冬上州の北方に位置する半島、藤宮半島の最北端。

良質な魚と塩が名産のこの半島で、製塩を生業としているこの男は海野幸一郎といった。


雨がないとすると今日は町に売りに行くか。

起き抜けでまだ目を擦っている末弟の手を引きながらそう考えた。


家からほんの数十歩歩くと小さな岬に辿り着く。

そこで北から吹く風に当たりながら海を望む。

それがこの家を継いでからの習慣となった。


別にこの製塩を生涯の仕事にするのは苦ではない。

潮風を浴びて暮らすのは嫌いではないし、むしろ六代続くこの生業を誇っていた。

四人の兄妹と恐らく将来迎えるであろう嫁、老いた両親を養えるだけの儲けをだし、暮らすのだろうとは幼い頃から漠然とは思っていた。


つい最近でも、新都の大きな商店から大口の商いが舞い込んできた。

その手腕は本人こそ否定するだろうが、海野幸一郎のものに他ならない。

今やこの海野の塩は新都でも評判となり、家の景気は目に見えて良くなっている。

まったくもって、成功という頼りない綱を今も渡り続けられているということは自覚できているつもりだった。


しかしその人生が自分にとって最良なのか今でも悩む時がある。


朝早く起き始め畑を耕し、昼には布を張った製塩場に塩水をぶちまけ、茹だるような暑さの中、塩を作るのが本当に自らが全うするべきことだとは思わない。


この男には常に塩を作ることではなく、別のことが脳裏にあった。


もう五、六年前にもなる陸軍一等陸兵の頃のことだった。

両親と喧嘩して家を飛び出した。

何故喧嘩したのかは覚えていない。些細なものであったことは記憶している。

家を飛び出し、知り合いのつてを頼って半ば飛び乗るかのように陸軍に入隊した。

陸軍は一文無しの田舎小僧でも入れたし、金がなくとも自分の身一つで金を稼ぐことができた。

そこで三年。

兵隊勅語もそらで唱えることが出来るようになった、射撃も下士官に褒められるまで上達した。そしてなにより実戦に参加した。


当時の秋穂は北方で内乱が相次いでいた。

別段珍しい訳でもなく武上州や近隣の州で地方郡司達が農民を煽って街を襲う、その程度のことを行っていた。

新しい税制が定められ、過敏に農民や郡司達が反応したからである。

昔から兵力不足に喘いでいた武上鎮台は、若い血を求めていたことから自分にも戦場へ向かう名誉が与えられたのである。

幸か不幸かそこで生き延びた自分は、部下の数人も得ることが出来たし、職業軍人としてある程度満足していた。

だが、除隊した。


父親が倒れた。

家から届けられた便りはたった一枚だった。

家を飛び出した頃には病気がちであった父が遂に倒れた。

唯のたちの悪い流行り風邪ではあったが、母に便りを貰って除隊を決意した。

幼い兄妹を養わなければならない。

次の月には除隊を済ませ家に戻った。

そして正式に海野の家を継いだのである。



家業は嫌ではない。

兄妹達の成長を見守り、初老を過ぎた両親を労わることも好きだ。

三つ下の弟も陸軍に入隊し、その下の妹も夏には商家に嫁ぐことになった。

小さな幸せ。満足も多少覚えた。

このままこの地に骨を埋めることになるだろうと思う。



ただ、満月の晩には決まって思い出す。

まだ一等歩兵に過ぎなかった時のことだ。

満月の夜の夜襲。

武上の平野を騎兵銃を担いで駆けたことを。

上官の突撃命令で着剣し、敵陣に突っ込んだことを。

髭が顔の半分は覆っていた傭兵風の男を突き殺したことを。

顔が苦痛に歪み、悲鳴が轟き、返り血の匂い、頭蓋を砕かれた戦友が倒れたことを。

鮮明に思い出すことが出来た。

まったく、まったくおかしなことだ。



血に酔える人間は多くはない、口の悪かった上官に言わせればこれが自分の天職だったのであろう。

人を殺し殺される戦場。

命のやり取りに興奮を覚えた。血が熱く滾った。心の臓の鼓動が遥かに早くなった。

戦場という意図的に作られた狂気が好きだった。

命のやり取りで性的快感をも感じた。

ただ、自分がそのような人間であることに気づいたのは家に戻ってしばらくしてのことではあったが。



そんなことを考えていると徐々に視界が明るくなってきた。

日が水平線上に顔を出し始めた。

そろそろ家に戻ろうか、手を握るまだ幼い末弟に声をかけようとした時であった。


「にいちゃん、あれ、なんじゃろ」

最近めっきり語彙も増え、兄妹や両親にしきりに話していることが多くなった弟が指を海に向かって指した。

指の先を見ると朝日が出ているだけだった。

目を凝らすと橙色の朝日と重なって彼方に、小さな豆粒大のものが見えた。

なんだろうか。漁帰りの船だろうか。

しかし漁の季節ではない。船であるからして貿易の船団かと思った。

黒く豆粒大だった船団は徐々に近づき、少しずつ明瞭に見えてくる。

マストの上に旗がたなびいている。


それは赤地に黒で描かれた一匹の狼。神話を元にした侵略国家、公国の旗印であった。




秋穂国陸軍歴史書。

主に陸軍で用いられる教科書にはこう記されている。


<秋穂国暦八百四十五年三月ノ二十一日早朝、冬上鎮台藤宮駐屯地ニ元陸軍一等兵ノ海野某ガ公国ノ武装船団襲来ヲ報告。タダチニ鎮台本部へ連絡。指示ヲ仰グ。>




海野家はこれにより注目を受け、秋穂国政府より恩賞を貰っている。



後に秋穂で始めて公国侵略の軍を見た海野幸一郎は軍に復帰し、一兵卒として冬後州の名も無い村で公国軍聯隊規模部隊と戦い、玉砕した。







誤字、脱字、矛盾、表現のおかしな場所があれば報告していただけるとありがたいです。

また評価、レビューをつけて頂くと小躍りしながら喜びます。

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