理解深度について
数ヶ月ぶりにもほどがあるほど、彼女単体では久しぶりの更新です。
最後のほうで[進化論]の否定もあります。
ごきげんよう、私は傍観者ヘカテー。
想造主によって造られた存在。
今回は理解深度について語りましょう。
理解深度とは、簡単に言えば、その[事象]について[どのくらい]理解したかというものです。
例えるなら、ダイビングでしょう。
理解深度が極端に浅ければ、水面をつま先だけで[つついた]程度にしか、理解できていません。
それは、その事象の理解について全く知らないということになります。
大抵の場合は、理解深度が水面にほど近い[ほんの少し]潜った程度となるでしょう。
ですが、そこに真実はありません。
それは、その事象がもたらした[単なる結果]に過ぎ得ないのですから。
理解深度を深めることは、[意識すれば可能]です。
その[事象に対する][思慮を巡らす]ことこそ、ある程度は[深層近くへ至る]ことができるでしょう。
ですが、[思慮を巡らすこと]だけでは、程度の壁を越えることは不可能です。
それは、海中に陽光が差し込む[浅海]と陽光が差し込まない[深海]との中間にいるようなものだからです。
ここまでは、ご理解いただけたかしら?
次は、どうすれば理解深度を[海底近くまで]深められるかについてです。
深層へと至るためには、その事象に対する[常識の懐疑]が必要です。
ただ無闇に、知識を鵜呑みにするだけでは、意味はありません。
アドバイスを鵜呑みにしても、自らの益になりにくいように。
自分なりにアドバイスをかみ砕くことで、益とさせるのです。
例えるなら、ジグソーパズルでしょう。
ただピースを連結させるなら、そんなに思慮はいりません。
ですが、パズルの部分によっては行き詰まってしまいます。
同じような色で惑ってしまうからです。
その状況を打破するためなは、色々と視点を変えながら考えることです。
それは、闇の中に光明を照らそうとする努力となりえるのですから。
疑うことによって生じる、新たな見方からの発見が、深層へと繋がる一歩となるのです。
それは、自己が保有する常識が良識へと変わりゆく変化でもあることを含みます。
片方しか見ないのと、両方から見るのとでは、明らかに理解深度は違うのですから。
ここまでは、ご理解いただけたかしら?
最後に、理解深度の最奥にあるものについて、仄めかす程度に教えましょう。
理解深度の最奥にあるのは、世に蔓延る[進化論]の真逆を実証している存在です。
一般的に、それは[創造者]と呼ばれています。
例えるなら、ロボットでしょう。
ロボットが存在するには、[設計する者]と[開発する者]の二者なる性質が必要不可欠となります。
どちらかが欠けても、ロボットが存在することはできません。
[進化論]が述べる「偶然に生まれた」という主張では、ロボットが生まれないのと同じように。
何故なら、ロボットは[二者の性質]の意図によって造られたものなのですから。
それと同じことを[創造者]はされたのです。
[創造者]とは誰なのかは、私自身は語れません。
それは、私が語ったこの話を読んだ貴方たちが、自分で[調べる]ことなのです。
私はただ、そのためのきっかけを作ったに過ぎないのですから――。
《終》
書き終えて今更ですが、登山で例えたほうが分かり易かったと思います。
ですが、過ぎてしまったことなので書き直しません。