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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

失くし物

作者: 大林秋斗

授業中、わたしの机には教科書ノートの類はない。

乗せられたものが何もない机、黄土色のつるりとした合板が見えるだけ。

あるものといえば机の横にかけられた、中身のはいっていない空っぽの黒い鞄。

この鞄もいつかは無くなってしまうのだろうけれど。


もちろん、他のクラスメイトたちの机の上には、教科書やノートがある。

何もない机は、わたしだけだ。


先生はそんなわたしには気にもとめない。

どんどん授業を進めている。


状況だけ見るとわたしが先生を含めたクラスみんなから「いじめ」にあっているように思われるだろう。


でも違う。

わたしが自ら望んだことなのだ。


どうか、わたしには関わらないで……。



物心ついた頃から、わたしはよく物を失くした。



失くし物はわたしの体質。


メモしても、置く場所を決めていても、無くなる品々。

それでも、物がなくなってしまうのはまだましだった。



わたしが幼稚園に上がって少しした頃だった。

その時も失くし物はひどかった。


制服にかばん、ぼうし、お道具箱のクレヨン、クレパス。

気づいた時にはどこにもない。


わたしが「質の悪いいじめにあってる」と、先生が気にかけてくれた。


その先生名前、もちろん忘れていない。

優しい先生が好きだった。


タカクラ先生。

長い髪を後ろでひとくくりして、片えくぼの笑顔を浮かべて話す、きれいな女の先生だった。


タカクラ先生も、いなくなってしまった。


幼稚園の園外保育に出掛けた時だった。


園外保育は月に1-2度はあることなので、とりわけて危険という訳ではなかった。

幼稚園から少し離れた竹林へ散策しにいった時だったと思う。

気がつけば先生がいなくなっていた。


他の先生たちの必死な顔、忘れられない。

しばらく近辺では騒ぎになっていた。


タカクラ先生は今も見つからない。

これから先も会えない……。


3軒先右隣にいた飼い犬のチロ号。

こげ茶色した毛色の雑種、人懐っこい犬だった。

わたしが通ると、飛びついてきた。

頭を撫でると、ふさふさのしっぽをうれしそうに大きく揺らしていた。


そのチロ号も、いなくなった。

おじさん、おばさんが電柱とか玄関にチロ号の写真つきのちらしを貼って探していたけれど、帰って来なかった。



そして弟のけい


2つ違いの弟は、明るい性格で物事にこだわらない子だった。

失くし物をする問題のあるわたしとは違い、家の中を明るくするムードメーカーだった。

弟が笑うと、重くなっていた空気も一瞬で日の光の中にいるような、そんな気分になる。


わたしとは一緒に遊んだり喧嘩もしたりする、ごく普通のありふれた姉弟だったと思う。


けれど弟がその場にいるだけでも、「失くし物」で落ち込みがちな気分がずいぶん救われていた。


その弟がいなくなった。

弟が小学1年生に上がった頃。


タカクラ先生がいなくなったときよりも、すごい騒ぎだった。


お母さんは体の調子を壊した。

お父さんは連日、親戚のおじさんたちと出かけて弟の行方を捜していた。


でも、弟は今も見つからない。


弟がいなくなってから、家の中の空気は酷く冷えた。


お母さんの体調は戻らない。

寝たり起きたりを繰り返している。


お父さんは変わらず出かけている。

親戚の人たちの手伝いが減っていくのを嘆きながらも弟を探すことはやめない。


弟のことで一杯になってしまったおかあさん、おとうさん。

その分わたしは放置された。


夕飯はコンビニのお弁当。

3-4日着替えず同じ服装で学校に行った。


そして相変わらずの失くし物の数。


4年になった頃、クラスメイトたちのわたしに対する「いたずら」がひどくなった。

失くし物の多さにおどおどした態度、よれよれな身なり、加えて休み時間に遊ぶ相手もいなかったわたしは、格好の対象だろう。


ひそひそ話とか無視とかはあったけれど、直接あざけりの言葉を聞く回数が増えた。

この頃の失くし物の中にはクラスメイトたちの「いたずら」も含まれていたかもしれない。


けれど、「いたずら」は唐突に終わった。


わたしに対して率先して「いたずら」をしていた子たちが、相次いでいなくなったのだ。


野間崎のまさきさんに関わると不幸になる」


誰が最初に言い出したのかわからないけれど、そうわたしの周りで呟かれるようになった。


そして、わたしはますます孤立していった。

小学校中学校、と上がるにつれて、意地悪をされない変わりに積極的に関わろうとする人がいなくなった。


そんな中、中3の春、新1年生中心のオリエンテーリングで、池乃いけの正輝まさきという男の子に出会った。


わたしの通っていた中学校ではオリエンテーリングで新1年生への学校案内、健康診断、体力測定の誘導を、3年生が手伝っていた。


「関わると不幸になる」と囁かれていても、お手伝いに例外はなかった。

わたしが担当に当たったのは1年C組43人のクラスの男子の一人。

池乃正輝だった。


「よろしくお願いします、先輩」


はにかみがちに微笑む正輝は、日の光の中にいるようでまぶしかった。


短く切り揃えられた黒い髪。

背はぱっと見た感じわたしと同じだから、160センチくらいだろう。

(すぐに測定で正確な数字が分かるだろうけれど)

大きく好奇心をいっぱいに秘めくりくりとした目は子犬みたいに愛らしい。

彼はすぐにでもクラスの人気物になるだろうなと思った。


ドクンと大きく打って存在をアピールしたわたしの胸の奥にある心臓。

駄目よ、冷静に。

彼はわたしを知らないもの、でもすぐに理解するから。


わたしに関わるものは、やがて無くなってしまうから……。

巻き込んではだめよ……。


わたしは無関心を装いそっけない態度で、正輝に接した。


オリエンテーリングが終われば、学年の違う正輝とはもうほとんど会うこともないと思った。

しかし、実際には違った。


お昼休みや掃除の時間など、暇をみつけてはわたしのいる3年C組の教室に正輝は来た。

当然わたしは無視を決め込んだ。

クラスメイトたちは、うろんげな目を投げかける。

けれど、正輝は気にもとめずにまとわりついた。



正輝は当然、わたしの「うわさ」も知っていた。

けれど彼の態度は変わらなかった。


「うわさなんて気にしないよ、ぼくは先輩が好きだもの」


どんな先輩であっても、ぼくは全てを受け入れる。

ずっといっしょにいようよ。



目をそらすことなく真っ直ぐわたしを見ながら告げる言葉に心が震えた。

制止する心の声は小さく力を失くしていく。


正輝と学校の空いた時間、一緒にいることが当たり前のようになってきた。


それでもクラスメイトたちの無関心は正輝と一緒に居るときでも変わらず続いていた。


ぼくは気にしていないよ、瑠璃るり


彼はわたしを名前で呼びようになっていた。

変わらず明るい笑顔をわたしに向ける。


わたしの「失くし物」は今のところ止まっている。

(失くしすぎて持ち物が少ないということもあるけれど)


このまま、何事も起こらなければいい。




「瑠璃に見せたいものがあるんだ。ぼくの家に来てくれる?」


とても大切なものなんだ。


放課後、くったくのない笑みで正輝はそう言った。

わたしはこくりと頷いて承諾した意志を示すと、いっそう輝かんばかりに笑みを返す正輝の顔があった。


二人連れだって校門を出る。

校門から先は、見慣れた民家の家々が道沿いに連なる。


正輝がわたしより半歩先に進み、自分の家へと導びく。


正輝の家はわたしの家に近いらしい。

わたしが通っている通学路をなぞるように歩いているみたいだ。


先にある二つ目の角を曲がると自分の家の玄関が見えてくる。


そう思っていると、正輝はわたしの手を掴むとぐいと引き、行き先の方向を変えた。

近所にいるわたし自身が普段使わない、緩やかな坂がある横道に入り歩いた。


今は使っていないけれど、昔はよく歩いていた。

坂道を上がっていくと通っていた幼稚園がある。

そして、さらに上がった先には竹林、そして……。


思い出そうとすると頭の中でもやがかかった。

思考がぱたりと止まり、代わりに言い知れぬ恐れが広がっていく。


行ってはいけない、

いけない、


いけない……。



「瑠璃? 大丈夫? もうすぐだからね」


正輝が心配そうにわたしを見た。

でも、歩調は変わらず、ずんずん先を進む。


やがて幼稚園が見えてきた。

廃園になってからずいぶん経つのだろう。

クリーム色だった塀は赤茶けて汚れ、夕暮れの中にある園舎の窓は、光を拒んでいるように黒々としていた。

正輝はそんな幼稚園に気を留めることなく、前を通り過ぎた。


左手の道に沿いに竹林が見えてきた。

竹林の間に細道があり、正輝は迷いなく左に方向を変えた。

わたしの手を離すことなく、その細道を歩いた。


気持ちが悪い。

頭が警鈴を鳴らすようにがんがんと痛む。


「ここだよ」


細道の幅が広がり、開けた場所に来た。

そこにぽつんと1軒、平屋のこじんまりした日本家屋があった。


こんな所に家なんてあったっけ?


ずきりと痛む頭に、わたしは思わず顔をしかめた。


「さあ、入って?」


正輝がくったくのない笑みを浮かべる。

陽向ひなたを思わせる明るい笑み。


そうよ、何が怖いの?


わたしはこくんと唾を飲み込んだ。

正輝の後を追い、ドアから家の中へと入った。


家の中はしんと静まっていた。



片づけできなくて、散らかってるんだ。


と、はにかみがち言いながら、奥の居間へとわたしを案内する。


居間は正輝の言うとおり、物があちこちに散らばっていた。


おそらく正輝自身が幼い時に描いたものだろうか。

赤のクレパスで波打ち歪んだ曲線で描かれた、人物(たぶん正輝のお母さん)とおぼしき絵があった。


そんな絵を見て、微笑ましく思うのが普通だろうと思う。

しかしこみあげてくるのは嫌悪を伴う既視感。

背中からぞわり寒気が立ち上る。

たまらなく気持ちが悪い。


わたしは2-3歩よろめいてしまった。

足に物があたる。

見覚えのある黄色い幼稚園かばんだった。


ああ、わたしが通っていた幼稚園のかばん。

正輝も同じ幼稚園に通っていたんだ。

そう思いながら、側面に書かれた名前を見て、一気に体に震えがきた。


「のまさき るり、

これ、わたしのかばん……、なんで正輝の家にこのかばんが……」


わたしが幼稚園の時に失くしてしまったかばんだ。


ずきりとまた、頭が痛む。

わたしは左手て痛む頭を押さえながら、部屋の中を見渡した。


かばんだけではない。

居間に乱雑に散らかった物、それぞれに見覚えがある。

あの赤いクレパスの絵だって…、そうだ、わたしが年少の時に描いたおかあさんの絵だ。



「……なんでわたしが失くした物が正輝の家にあるの?」

「違うよ、失くし物じゃないよ? 瑠璃が自ら捨てていった物じゃない」


すっかり忘れてしまったの?

ううん、ほんとは思い出している、記憶に蓋をしていただけだよね、瑠璃?


正輝がにっこりとほほ笑んだ。


わたしはえづいた。

酷い頭痛で吐き気すら催してくる。


痛んだ頭の中で、さまざまな声がする。



『おとうさんもおかあさんも、けいのことばかり。

でもね、わたしが大事なものを隠すとわたしのことみてくれた。』



『るりちゃん、さびしかったのね。でも先生によく話してくれたわね、そうか、この池に全部……』

『それ以上池に寄ってはいけないわ。……ああでも、取れそうよね、先生がやってみるから……』

『だめよ、押しちゃだめ、きゃあああ……』



『チロ号ったら、よだれでべたべたになっちゃったじゃないの。悪い子にはおしおきだよね?』


『おねえちゃんのヒミツの場所ってここ? 竹林の奥の池じゃない? なにがあるの』

『いやだ、おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃん!』


『自分は不幸だって何酔ってるのよ』

『わたし知ってるの。わざとよね、その失くし物は』

『…ああ、それでこの場所に呼び出したんだ。へえ、この中にねえ……』

『何をするの! やめて!』


ウフフ、

フフフフ……。



あれはわたしがやったこと?

違う、違うわ。

わたしはそんなことやってない。

はず……。


「違わないよ、全部自分がしたことだよ」


おねえちゃん。


正輝がわたしをそう呼ぶ声に、うなだれていた頭を上げた。


「敬? あなたは敬なの?」


「やっとその名前で呼んでくれたね」


池乃正輝。

いけのまさき。


並び替えると、

のまさきけい。

野間崎敬になる。


ああ、正輝=敬だ。

どうして今まで気づかなかったのだろう。

今目の前にいる正輝の顔には、敬の面差しがしっかり残っている。

明るくて子犬みたいに人懐っこくて、人当たりも良くて。

誰にも好かれた敬。


「ぼくはおねえちゃんのしたこと責めてないよ」


敬のお日様のような明るい笑顔は変わらない。



おねえちゃん、好きだよ。

ずっと一緒だよね、これからは……。


敬がそう告げると部屋の中が暗闇に包まれた。

ゴフリ、ゴフリ、大きなあぶくが立ち上る。


ああ、ここは池の中だ。

なんで忘れていたんだろう。

正輝、いや敬の家の場所は池があった所じゃないの。


不法投棄のゴミが周辺にある、いったん沈んでしまったら上がってくることのない、底なしの深い池。


苦しくて、苦しすぎてのどをかきむしる。

体がぐんぐん下方へと沈んでいった。







「野間崎さん、行方がわからないんですって」


うそつきな敬。

まばゆい光になって、敬はどこかに行ってしまった。

ずっと一緒にいると言いながら私を置いていった。


「新入生歓迎のオリエンテーリングからずっと独りでしゃべっていて不気味だった」

「ほんとに何考えてるかわからない人だったよね」


みんな?


「でもさ、いなくなると、心配だよね」


いるわ、わたしはここにいるのよ!

なぜ無視をするの?


ああ、そうだったっけ。


わたしは大事なものを失くしてしまう、不幸を招く子だったわね……。



そしてわたしは、今日も自分の机に座る。

教科書ノートはもちろん何も置くものがない。

机の横にかける鞄も、とうとうなくなってしまっていた。

先生も、クラスメイトたちも、そんなわたしにいっさい構わない。

学校のスケジュールに合わせて日を送る。


そんな中、わたしの方をちらちら見ている一人のクラスメイトに気が付いた。

彼女は唇をわなわなと振るわせていた。

そんな彼女をわたしが見返すとすぐに顔をそらせた。


そしてみんなと同じように無視を決め込んだ。


ああ、あなたも自分の身がかわいいのね。

わたしに関わると不幸になるものね。


分かっているわ。

でもね、無視はつらいの、寂しいの、やっぱり。


ねえ、お願い、お願い……。


一緒に、

一緒にいてくれる?

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― 新着の感想 ―
[良い点] 予想できそうでいて予想外な展開。これぞ夏のホラーという感じでした!とても面白かったです。
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