私を冷遇していた夫が死んだ私を回帰させて溺愛してくるんですが、どの口が愛を囁くんですか?
結婚当初から、夫は私を遠ざけた。「押し付けられた妻だ」と。
それは確かにそうだ。この結婚は、長年いがみあってきた「火」と「水」を司る二つの家門を和解させるための王命だから。
そうは言っても、貴族の世界で政略結婚は常。それに始まりは政略結婚でも、時間をともに過ごして、のちのち強固な信頼関係を築く夫婦も多い。
だから私は、夫に歩み寄ろうと努力した。
「旦那様、お仕事お疲れ様でございます。元気が出る水でお茶を用意いたしましたので、休憩になさいませんか」
「寄るな。権力欲にまみれたゼーエンの娘が」
「旦那様、最近お顔色がよくないようで心配です。よく眠れる魔法の水を作ったので、いかがですか」
「なんだ、こんな腐った水」
同じ寝室で夜を過ごすどころか、食事もお茶も別々。名前すら呼んでもらえない女主人は、使用人からも次第に見下されるようになる。
呼び鈴を鳴らしてもなかなかメイドが来なくなる。嫌々やって来たメイドになんとか着替えさせてもらって部屋を出ると、「出歩かないでほしいわ」「屋敷の空気が悪くなる」と聞こえよがしに陰口を叩かれる。
実家からついてきたメイドも返されてしまい、味方は誰もいない。
そうこうしているうちに夫の従妹ブレンダが屋敷に住みはじめ、いじめは激しさを増した。
メイドのひそひそ話を聞き拾ったところによると、ブレンダはもともと、夫と結婚するつもりだったらしい。「なのに王命でゼーエン伯の娘が妻におさまってしまったものだから、ブレンダ様があの女を恨むのも無理はない」というのがメイドたちの共通認識だった。
悪者はいじめられている私で、私に熱湯をかけたり部屋に閉じ込めたりしているブレンダは被害者なのだそうだ。
屋敷全体がそんな認識だから、いじめられていることを夫に訴えても、「小さなころから心温かくて優しいブレンダが、そんなことをするはずがない。ブレンダを陥れようとする、汚い嘘つきめ」と、まともに取り合ってもらえない。
「フランツ、奥様を責めないであげて。私は我が家のしきたりを奥様にお教えしたかったのだけど、少し厳しく言い過ぎたみたい。私が悪いの」
「ああ、ブレンダ。彼女に少しでも君のような優しさがあったら」
その会話のあと、ブレンダと彼女の手下であるメイドたちからのいじめはひどくなった。
食事は一日一回硬いパンだけになり、たまについてくるいかにも美味しそうな匂いを漂わせる具沢山のスープを飲んだら、必ずお腹を壊す。
お母様譲りの水色の髪はブレンダの火魔法で燃やされ、短く切るしかなくなった。
「こんな扱いはあんまりです、旦那様!この髪を見てください!」
「自分で切ったのだろう。さすがずる賢いゼーエン伯の娘だな」
信じてもらえなくて悲しくて悔しくて、あまりに孤独で。
涙が溢れてくる。
「ちっ…今度は嘘泣きか。涙で訴えようとでも?」
「嘘ではありません!どうか…どうか私を信じてください…!」」
「散々無駄遣いしてメイドをこき使うような悪妻を、どう信じろと!?」
「無駄遣い?こき使う…?なんのことですか?」
「しらばっくれるな!」
話の通じない夫。敵ばかりの環境。
「離縁したい。助けてほしい」と父に手紙を書いたけれど、返ってきたのは妊娠の催促と「男性をその気にさせる」という妙な薬だった。
《クロリス、これはフラム伯爵家を手中に収めるチャンスなんだ。子どもも産まずに離婚などしてみろ。修道院に入れてやる》
薬を盛ることなんてできない。薬を盛ったとして、夫が気づかないはずがないのだから。そうなったら仮に子どもができたとて、夫婦の信頼関係など築けない。
それにこの薬が、父の言うとおりの薬だという証拠もない。もし夫の命を奪うような危険なものだったら…
「私にはできない。逃げるしかないわ」
私はこっそりと屋敷を抜け出し、母が持たせてくれた宝石をお金に換えて、馬車に飛び乗った。
そしてその馬車が運悪く盗賊に襲われ川に転落して、冷たい川に自分の血が流れていくのを見て、私の人生は終わった。
◆
――そのはずだったのに。
はっと目を開けると、私は、リヒト大聖堂の祭壇にいた。
私は純白のウエディングドレス姿で、水色と淡い赤のブーケを持っている。ゼーエン伯爵家とフラム伯爵家を象徴する色を合わせてブーケを作ってくれるよう、私が頼んだのだ。
(私たちの結婚式…なの?)
死んだはずなのに、過去を夢に見ているのだろうか。夢を見るなら、もっと幸せな夢が良かった。悪夢の始まりだった結婚式を、わざわざ夢に見るなんて。
そして目の前には、夫。
「ああ、良かった」
「え…?」
どういう意味なのか考える暇もなく、夫が私にキスをした。
本当の結婚式では夫はキスを拒否したから、これが夫との初めてのキス。
夢とは思えない、生々しい感触。
(長い…っ)
息が苦しくなって、思わず夫の胸を押して彼から離れる。
(夢なのに、苦しい…?どういうこと…?)
夫はなぜだか泣きそうな顔で、私を見つめている。
「クロリス」
夫が、私の名前を呼んだ。
「もしかして私の名前を知らないのでは」と思わされるくらいに、私の名を呼ぼうとしなかった夫が。
「一生愛すると誓う」
なんだ、これは。
(夢なら早く醒めて)
けれど結婚式が終わっても、馬車に揺られて屋敷に帰っても、夢から覚める気配はない。
夫はずっと隣にいて、ずっと私に視線を向けてくる。
死ぬ前はずっと、こうやって視線を向けてほしかったのに、今となっては落ち着かない。
「クロリス、湯の準備をさせてあるから入ってくるといい」
「あの、これは一体…」
「いいから。結婚式で疲れただろうから温まっておいで」
何が何だかわからないまま浴室に押し込まれる。
湯にはバラの花びらが浮かべられていて、待っていたメイドたちが下げた。
彼女たちに熱湯に顔をつけられて、窒息しそうになった記憶が蘇る。
「ひ…一人で入るから出て行って…!」
「しかし旦那様から奥様のお世話をするようにと仰せつかっていまして…」
「いいから出て行って!」
「…承知いたしました、奥様」
湯に毒が入っていないか匂いを嗅ぎ、身体を入れられる温度か確かめてから、恐る恐る浸かる。
いい匂いのする湯。高級な石鹸。けれど全然リラックスできない。
早々に上がってガウンを羽織って部屋に戻ったら、夫がかいがいしく長い髪を拭いてくれる。
「あのメイドたちは、駄目だったか?」
「駄目、と言いますか…」
「前の人生で、ブレンダと一緒に君をいじめていたのか?」
「…!?」
前の人生…?
夫は、私が一度死んだことを知っている。
私はやはり死んだのだ。
死んで、戻ってきた。
「どうして…」
夫は「説明しよう」と得意げな顔になった。
そして聞かされた話は、私の想像を超えていた。
◆
夫は、自分と私の魂を、過去に戻していた。
「一体どうやって…」
「黒魔術師に頼んで、君と私の魂を過去に戻したんだ。罪深い人間の命と、自分の寿命と魔力を半分捧げて。もちろん金もたんと払った」
「…どうしてそんなことを」
「君は何も悪くなかったからだ」
私が屋敷から逃げ出して馬車の事故で死んだあと、夫はブレンダと結婚しようと思った。
私の部屋を片付けてブレンダのために改装しようとしたときに、私が書き残していた日記を発見した。涙の跡が残る日記を。
「クロリス…?」
そして私が夫のために精製した高機能な水も、棚の中から発見した。死にかけていた馬にその水を与えてみると、驚くほど元気になった。
そこで彼は初めて「私が本当に夫を心配して気遣っていた」「私は嘘をついていなかった」という可能性に思い当たった。
そう思い当たったあとで改めて見回してみると、私の部屋は伯爵夫人とは思えないくらいに質素で、クローゼットにはほとんどドレスがなかった。
「贅沢好きな女だったはずなのに…?」
伯爵夫人用の予算は、執事のところで止められていて、私には渡っていなかったのだから当然だ。
執事からは「ブレンダお嬢様に、奥様にお金を渡さないよう厳命されていた」という証言が得られ、さらにまだほんの少し良心の残っていた数人の使用人からは、「奥様がブレンダお嬢様に噛みついていたのではなく、ブレンダお嬢様がメイドに命じて奥様をいじめていた」という証言を得た。
そこまで話して、夫はぎゅっと私の手を握った。
「君は罪もないのに貶められて耐えていたんだな、クロリス」
振りほどきたいけれど、力が強すぎる。
「私はゼーエン伯爵の娘というだけで君を誤解して、きちんと見ようともしなかった。君は必死に私に歩み寄ろうとしてくれていたのに」
「すまなかった」と、夫が赤い瞳に涙を浮かべながら、私を見つめる。
「もう二度とブレンダを君に近づけない。君が望むなら前の人生と同じように、殺してもいい。さっきのメイドたちも解雇しよう」
そして私の手を握った手を、そのまま自分の額に押し当てる。
「私が君の忠実な騎士になる。君が傷つかないように、私が守るから」
――なんだ、この茶番は。
「…どの口がおっしゃるの?」
渾身の力を込めて手を引き抜く。
散々私を冷遇して、話を聞いてほしいときに聞いてくれないどころか私を疑ってひどい言葉で罵った、その口。
そんな口で今さら美辞麗句を並べたところで、何も響かない。
「ああ、クロリス…!私が黒魔術師を見つけるのに、どれだけ苦労したか…!血を分けたブレンダを殺してその血を得、自分の魔力と寿命を削ってまで、私たち二人を過去に戻したんだ!」
「だからなんですの?」
「だからなんだ、だって…?私はここまでしたんだ、君のために!君を守りぬくと決めたから!」
だから許せというのだろうか。
だから愛せというのだろうか。
寿命と魔力を犠牲にしたから、それで許すとでも?
「ようやくわかってくださったのですね。嬉しい」と、胸に飛び込むとでも?
そんなはずがないだろう。
今さら正義の味方面をするな。
「散々性悪女とその手下どもに騙され続けて妻を冷遇してきた馬鹿が、今さら女性を命がけで守る誠実な騎士を気取ったところで、あまりに自己陶酔が過ぎて気持ち悪いだけです」
「な…っ!?」
夫はぶるぶると震え始める。
「私は君のために、多大な犠牲を払ったんだぞ!?」
「私のため…?自分のためではないのですか!?自分が抱える罪悪感に耐えられないからやっただけでしょう。そんな自己中心的な行動のどこに、恩を感じればいいのですか?」
「クロリス…っ!」
「本当に反省して、本当に私を守りたいなら、離婚してください。もう私に関わらないで、私の人生から消えて」
◆
夫の魔力が半分になったことをフラム伯爵家の家門会議で報告したら、魔力測定のうえ、あっさりと夫は当主の座から降ろされた。
父は「私がフラム伯爵家の跡継ぎを生むこと」を願って私をフラム伯爵家に嫁がせたのだから、離婚もあっさりと叶った。
「クロリス、どうして私にこんな仕打ちを…!私は本当に後悔して反省して犠牲まで払って…っ!なのに、何度も何度も私に向き合ってくれた、あの優しくて忍耐強い君はどこへ行ったんだ…!?」
本当に、どの口が言う。
「あなたが殺したんじゃありませんか」




