裁判
第一回公判日前日の面会室には、今日香と国選弁護士の五十嵐がアクリル板越しに向かい合っていた。五十嵐がダラダラと翌日の段取りを話している。
ダメだな、こいつ。まぁ、国選弁護に「やる気出してくださいよ」は無理があるか。と、今日香もだらけながら聞き流していた。
「こんな奴の弁護なんかしてないで、お金になる民事とか企業弁護がしたいですか?」
今日香は五十嵐を上から下まで眺めるように見渡した。とはいえ、座って向かい合っている為、見えるのは五十嵐の上半身だけだ。五十嵐は見た目、四十歳前後の小太りの男性。左手の薬指には指輪があった。家族がいるのであれば、もっと割のいい仕事がしたいだろう。娯楽の少ない拘置所内で、今日香の趣味は人間観察になっていた。
「『そんなことないですよ』などと、あなたに気を遣うメリットが私にはないので、正直に言ってしまえば、そうですね」
今日香と五十嵐はこれまで何度か面会をし、打ち合わせをしてきた。この返事からも見て取れるように、五十嵐の態度や言葉の節々からはいつも「なんで俺がこんな仕事をしなければならないんだ」という不満や傲慢が滲み出ていた。今日香の目には【こんな仕事しか出来ない・割り振ってもらえない、プライドの高いおっさん】に見えていた。
「この裁判が注目を浴びれば、五十嵐さんもやりがいあるのにね」
「まぁ、一応ニュースにはなるだろうけど、人々は『あぁ、そんな事件もあったね』と記憶を呼び起こして、それで終わりでしょうね」
今日香と五十嵐の会話から分かるように、二人は綿密な打ち合わせなどしていない。起訴状を全面的に認める方向である為、細かな話し合いは必要ないのだ。
「では明日、よろしくお願いします」
「はい」
あっさりとした面会を終え、今日香は面会室を後にした。
明日、第一回公判の幕が、開く。
翌日、今日香の公判の傍聴席は埋まっていた。注目を浴びるほどではなかったが、過去にニュースとして報道されていた為か、「取り敢えず聞いておくか」程度の記者と、「あ、この事件知ってるわ」くらいの薄めの興味を持った傍聴マニアがいたからだ。最前列には明寿香と明日実が並んで座っている。家族とはいえ、二人の思いは全く違う。明日実は姉を案じ、明寿香は今日香が法廷で糾弾され疲弊するさまを自分の目で見届けてやろうという気概だった。
今日香の裁判は、裁判員裁判だった。法廷に裁判官・検察・裁判員、そして、今日香と今日香の弁護士の五十嵐が揃ったところで、開廷した。
裁判は、裁判官の人定質問から始まった。今日香は素直に名前、住所、生年月日を述べると、職業を「無職です」と答えた。刑が決まっていない今日香は、解雇にはなっていない。しかし、職場復帰など不可能だと踏んだのだろう。
検察官によって起訴状が朗読され、黙秘権の告知をされると、その後の罪状認否の確認で、何故か今日香は黙秘権を行使した。法廷に緊張感が走る。打ち合わせ通りではない今日香を不審に思ったものの、そんなことはよくある出来事なので、五十嵐はただ、「面倒くせぇな」としか思わなかった。
それでも、冒頭陳述・検察官、被告人側の立証までは滞りなく行われた。このまま検察側の求刑を聞いて閉廷するのだろうと誰もが思っていた。しかし、被告人質問で今日香劇場が開演したのだ。
「冒頭陳述で、私の動機が金銭面での恨みと言われていましたが、違います。それが理由であるならば、もっと早く殺していたはずです。私には婚約者がいましたので、結婚すれば生活苦から抜け出すことは容易に出来ましたから」
今日香が真っ直ぐな目で裁判官を見据えた。
「私が父を刺したのは、父からあの日『三十年前に園山和弥さんを殺害したのは自分だ』と告白されたかたです」
今日香の告白に法廷がどよめいた。記者がペンとメモ帳を握りしめ、前のめりになる。さっきまで淡々としていた法廷の空気がガラリと変わった。裁判員の中には、園山和弥さん殺人事件を覚えている人もおり、興味津々に耳を傾けだした。センセーショナルな展開に、五十嵐の口角が少し上がったのを、今日香は見逃さなかった。
今日香の趣味は人間観察。五十嵐が【注目を浴びたい人間】であることを、今日香は見抜いていた。注目さえ集められれば、五十嵐は使える駒になる、と。
「私は父に自首をするよう必死に説得をしました。でも父は聞き入れてくれませんでした。しつこく出頭を促す私に向かって、父はインスタントコーヒーの瓶を投げつけてきました。……幸い当たりませんでしたが、頭にでもぶつかっていたら死んでいただろうなと思いました。……怖かったです。殺されると思いました。だから咄嗟に包丁を手に取ったんです。目の前にいたのは父親ですが、人を殺したことのある人間です。人を、殺しても平気な人間です。武器なしで立ち向かえる女性は、この中にいますか?」
今日香が涙ながらに裁判員に訴えかけた。圧巻の演技だった。
「嘘を吐くな‼ 自首しようとしていたお父さんを、今日香が止めたんじゃないの‼ 園山殺害の話だって、あの日じゃない‼ もっと前だったでしょうが‼」
今日香の作り話に、頭に血を上らせた明寿香が、「アイツは嘘吐きだ‼」と今日香を指差しながら大声で騒いだものだから、裁判官に「退廷を命じますよ」と注意を受けた。
今日香は心の中で「してやったり」と呟いていた。が、表情に出さぬよう、必死に演技を続けた。
明寿香は、叫ぶのであれば『そんなの全部出鱈目だ‼』の一択しかないはずなのに、あれでは恭介の殺人は事実で、明寿香自身もそれを知っていて隠ぺいをしていたと自白しているようなもである。明寿香のバカ正直な反論は、
「母は、父と結婚する前から父の犯罪を知っていたそうです。……と言いますか、母は父の口裏合わせに協力していたそうです。父は中学時代に園山から苛めを受けていた。卒業してもその恨みが消えなかった父は、園山に気付かれないようにずっとストーキングをしていた。園山の情報を得たい時はネットカフェで検索し、自分の通信端末には一切記録が残らないようにしていた。園山の行動を把握した父は、防犯カメラのない場所を日常的に通っていた園山を、隙を見て襲撃した。父は警察に事情聴取されたけれど、当日のアリバイは母が証言し、中学以降一度も園山と接触をしていなかったこともあり、警察の疑いの目は父には向かなかった。警察が発見に至らなかった凶器の【鈍器のようなもの】はハンマーで、当時母が保管し、数年後母の手によって処分されました。これが、事件の全容です。母に父の犯罪のことを相談すると、先ほどみたいに狂ったように罵倒され、隠ぺいを強要されました」
今日香によって見事に返り討ちにされた。
事件の詳細までは知らなかった明日実は衝撃を受け、「本当なのか⁉」と確認するかの様に明寿香の顔を覗き込むと、明寿香は口をガクガクさせ、閉じようにも閉じられない状態になっていた。
今日香が「うぅ……」と声を出しながら、何度も目を擦って涙を拭う仕草をする。実際のところは涙などほとんど出ていなかった。今日香は役者ではない。先ほどは奇跡的に涙を絞り出せたが、そう何度も上手い具合に泣けない。
今日香の涙の演技虚しく、検察側からの求刑は殺人罪での懲役十二年だった。
続く弁護人の弁論で、五十嵐もまた五十嵐劇場を開幕させた。
「被告の父親が園山和弥さん殺人事件の犯人である立証は出来ません。しかし、先ほどの被告の母親の発言からも分かるように、被告は確かに父親から『自分が殺人犯である』と聞かされていた。被告は結婚間近の身でした。このまま黙っていれば幸せな結婚生活が待っていたはずだった。しかし被告はそれを擲ってでも父親に自首の説得を試みた。どれほど悔しかったでしょう。どれほど悲しかったでしょう。殺人犯の父親との対峙は、どれほどの恐怖が伴っていたでしょう。被告は父親からの暴力に対し、包丁を握るしかなかった。故に、本件は正当防衛であり、無罪を主張します」
五十嵐が舞台俳優さながらの抑揚をつけながら、裁判員の心情に揺さぶりをかけた。
最終陳述で今日香は、
「父親を刺すなんて、してはならないことだと分かっています。だけどあの時、助けを呼ぼうにも母はお風呂に入っていたし、妹は物音に気付けないほど熟睡していました。ああする以外、どうすれば良かったのか分かりません」
五十嵐に主演を取られてたまるかと言わんばかりに声を震わせ、両手で顔を覆った。本業でない為、涙を出すことが出来ないから、顔面を隠さざるを得なかった。
「……ふふふ」
明日実は小声で笑ってしまった。今日香の裁判が、なんだか面白いドラマでも見ているような感覚になったからだ。
「まさか無罪を取りに行こうとするなんて……ダイナミックでアクロバティックなのはお姉ちゃんの方じゃん」
明日実は、かつて今日香から言われた言葉を、そっくりそのまま返してやりたい気分になった。
今日香の第一回公判は、今日香の予定外の行動によって荒れた。そりゃあ、荒れるに決まっている。三十年間未解決だった事件の犯人が判明したのだから。この出来事を、マスコミが放っておくわけがなかった。
人々が忘れかけていた、娘による父親殺しの事件は、事件発生時以上に脚光を浴びた。
第一回公判の後、警察が小山田家を訪ねて来た。父親についての事実確認をする為だった。明寿香は公判時と同様の言葉を発し、凶器等については『知らない』と口を閉ざした。一方明日実は、
「姉の話した通りです」
今日香の嘘をまかり通そうとした。明寿香は当然愕然とし、激怒した。
今まで明日実は今日香と違い、恭介や明寿香に盾をついたことが無かった。明寿香は、明日実が今日香の嘘を後押しするのが信じられなかった。明日実は自分の味方だと思い込んでいた明寿香は、裏切られた感覚になり、怒りと悲しみが入り混じって、感情のコントロールが効かない状態になっていた。
警察が帰った後、
「警察に嘘なんか吐いていいと思ってるの⁉ 偽証は犯罪よ‼」
感情の赴くまま、明寿香が明日実の肩を掴んだ。
「偽証罪は、【法廷で嘘を吐いたら】ね」
鼻息を荒くする明寿香とは対照的に、明日実の反応は冷めていた。
「ていうか、お母さんにそんなこと言われたくないんだけど、ずっとお父さんの犯罪を隠ぺいしてきたくせに。自分だって加担してたくせに」
「何その言い方。今日香みたい」
「お姉ちゃんみたいだったら何? お姉ちゃんみたいって言われたら、私が傷つくと思った?」
「…………」
子どもは親に好かれたいもの。親から嫌われている子どもに似ているだなんて思われたくないはずと踏んでの発言が図星を射られ、明寿香は続く言葉を失った。
「私、今までずっと、お姉ちゃんがお父さんやお母さんと言い合ってる時、黙って見てたじゃん? それは、お姉ちゃんの意見が間違ってると思ってたからじゃないよ。お父さんとお母さんに賛同してたからじゃないよ。私はいつもお姉ちゃんと同意見だった。お姉ちゃんが全部話してくれるから、付け加える言葉がなかっただけ」
明日実の発言は、明寿香にとっては【まさか】だった。今日香のような暴言を吐かない明日実を、両親想いの心優しい娘だと思い込んでいたからだ。本当は今日香と同じように、腹の中では親を馬鹿にしていたなんて……。
「私はね、お父さんが園山を殺したことに関してはそれほど恨んでないの。お母さんと一緒で、苛めをしていたんだから、反抗は甘んじて受けとけよって思うの。『だからって殺人はやりすぎだ』っていう人もいるだろうけど、自殺する人もいるくらい、苛めは人を死に追い詰める行為だもの。私もお姉ちゃんも、お父さんの犯罪、それを隠していたことに関しては怒りを持っていない」
娘から急に梯子を外され絶望の淵にいる明寿香に、明日実は構わず話を続けた。
「……じゃあ、何? ウチが貧乏だから? そんな理由で親を怨むの? ウチより貧しい家なんていくらでもあるわ‼ そういう家庭の子はみんな、親を助けながら生きているというのに‼」
「『みんな』って誰と誰と誰を指してるの? まさか、テレビでやってたドキュメンタリー番組のある貧しい一家を見てそう言ってないよね?」
頭の悪すぎる明寿香の反論に、明日実は呆れを通り越して、『何を話しても理解されないのではないか?』と、明寿香と別な意味で絶望した。
「私が奨学金を貰って大学へ行くって決めた時、お父さんに言われたの。『良かった、大学に行ってくれて。明日実にまでは大学のことで恨まれたくない』って。入学金すら出さない親が何を言ってるの? って思った。全部奨学金で賄って、全部私が自力で返済するのに、私に『大学に行かせてくれてありがとう』とでも言われると思ったのか? ってお父さんに嫌気が差した」
明日実はまず貧困を責め、続けて、
「私ね、お母さんがお父さんと結婚したことを責める気はないの。結婚は誰に何と言われようとも勝手にすればいいと思う。ただね、子どもは産まないで欲しかった。私たちのことは産まないで欲しかった。好きな人との子どもを望むのはごく自然で当たり前のことだよ? でも我慢して欲しかった。堪えて欲しかった。お母さんはいいよ、お父さんと離婚すれば他人になれる立場なんだから。でも、私やお姉ちゃんは違う。犯罪者と血が繋がっていて、その遺伝子も組み込まれてる。血液を全部抜いて遺伝子を組み替えて他人になんてなれないでしょう? 子どもを産むって、家族に強制参加させて、必然的に家族の問題に巻き込む行為なんだよ。お母さんは隠し通せば問題ないと思ってただろうけど、その自信は一体どこからやってきたの? 自分の口だけを閉ざせばいいわけじゃないんだよ。お父さんがあの日みたいに自首を口にしたことなんて、結婚前にもあったんじゃないの? 私やお姉ちゃんがそのことを知ったらどれだけ苦しむか、産む前に想像しなかった? ……するわけないか。それ以前に、子ども産める経済状況じゃなかったのに、二人も産んでるんだから、本当に何も考えなかったんだろうね。私やお姉ちゃんは、お父さんとお母さんのその浅はかさがどうしても赦せないんだよ‼」
怒りの全てを明寿香にぶつけた。
「……出て行きなさい。今すぐこの家から出て行って‼」
「いいけど、私が出て行ったらどうやって生活するの?」
明日実の指摘はごもっともだった。今、小山田家で働いているのは明日実だけだった。毎日をギリギリ暮らしていた明寿香に貯金などない。
「どこかで頭を冷やして来なさい‼」
引っ込みがつかなくなった……とういうか、引っ込みをつけたくない明寿香が、なけなしの親の威厳を放つ。
「……え? 私が? お母さんの方じゃなくて?」
明日実の見下げた口ぶりが今日香にそっくりで、明寿香の背中がゾクっと震えた。
一方、拘置所の面会室では、
「判決、どうなりますかねぇ」
世間話でもするかのように話し出した明日実の声は、欠伸混じりだった。
こちらは何の緊迫感もなく、今日香と五十嵐がアクリル板を挟んで向かい合っている。やることはやり切り、あとは判決を待つのみの二人は、緊迫しても仕方がないのである。
「今、世間では大盛り上がりですよ、小山田さんの事件」
「でしょうね。そうなるように仕向けましたから。無罪判決が出たら、五十嵐さんは法曹界に名を馳せることが出来るでしょうね。正当防衛を認めさせるって、相当難易度高いですからねぇ」
感謝しろよ、とばかりに今日香が五十嵐に含みのある笑みを見せた。
「無罪は……五分五分でしょうね。ただ、執行猶予は固いと思いますよ。世論も追い風です。みんな心の内にあるじゃないですか。【殺人事件の犯人が捕まって、懲役十何年です】って報道を見ると『何で人を殺しているのに死刑じゃないんだよ』って。殺人犯には死んで欲しいと願っている人、結構いると思うんですよ。あなたは人を殺した人を刺した。【悪人を成敗した人】になっています」
心の中の笑いが止まらない五十嵐は、笑顔が零れてしまいそうな口元を無理矢理窄めた。五十嵐はあの公判の後、さまざまなメディアの取材に応じており、目立ちたい欲求が満たされ、嬉しくて楽しくてたまらない状態だった。このまま帯のワイドショーのコメンテーターになれるのではないか? という淡い期待までしている。
「殺人で無罪に出来なくても、執行猶予を取れれば大手柄ですもんね」
口の脇に手を添え、「よっ‼ 敏腕弁護士‼」などと煽てる今日香は、浮かれる五十嵐を馬鹿にしているようにも見える。
「打ち合わせなしであの展開に対応出来る弁護士なんて、そうはいませんからね」
メディアに出たことで自意識過剰になった五十嵐は、今日香の煽てをそのまま受け取り、馬鹿にされているなどとは微塵も思っていない。
「お父さんの話、事前に話して欲しかったですよ」
「言ったところで、母親は認めないから、公判で採用しなかったでしょ。公判で言うなって口止めしたでしょ。証拠もないわけだし。妹が証人になるって言ってくれたとしても、五十嵐さんのことだから『利害関係のある人間の証言は信用されないから意味がない』って、証言台に呼ばなかったでしょ。ぶっつけ本番にするしかなかったんだよ。でも、インパクト抜群でドラマチックな展開に五十嵐さんの腕も鳴ったでしょ」
「まぁね。しかし、大博打に出ましたよね」
「そりゃ、出るでしょ。刑事裁判なんて誰もが経験するものじゃないんだから、あの時やらずにいつするの?」
今日香が得意げに笑った。
包丁で人を刺すような女だ。さすがに肝が据わっている(良い意味ではなく)と、五十嵐は今日香に変な貫禄を感じた。
「でも、母親があんな風に取り乱さなければ、公判の流れも違っていたと思いますよ」
「そんなの織り込み済みです。母親がああなることは分かってました。あの人、浅はかなんですよ。浅はかだから殺人犯と結婚するし、隠ぺいだってするし、浅はかだからそいつとの子どもを二人も産んだ。その子どもがどんなにしんどい思いをするかも想像せずに。浅はかだから」
こちらでも今日香が【浅はか】を口にしていた。明日実と違い【浅はか】を連呼するほどに、今日香にとって明寿香は浅はかな女だった。
「……あれがねぇー、裁判員や裁判官の目に【五十嵐さんが仕込んだ演出】に見えてなければいいんですけどねー。実際、違うし。でも、五十嵐さんの弁論、芝居ががっててちょっと胡散臭かったですよねー。終いに歌い出すんじゃないかと思いましたよ。ミュージカル俳優みたいに」
「それならあなたの嘘泣きだって、酷いものだったじゃないですか」
今日香も五十嵐も役者ではない。どっちもどっちだ。
「しかし、子どもに【浅はか】と思われているなんて、お母様からしたら切ないでしょうね。自分が子どもにそう思われていたら辛いなぁ」
法廷の迫真の演技をこれ以上弄られたくない五十嵐が、話を変えた。
「弁護士という立派な資格を持つ自分が、子どもからそんな風に思われるはずがないと自信満々なくせに、心にもないことをよく言うわ」
今日香が「ふんっ」と鼻で笑った。
「あなたが娘じゃなくて本当に良かった」
五十嵐も苦々しく笑う。
「次はどこかのカフェでお茶でもしながら話しましょう」
五十嵐が椅子から腰を上げた。
「まだ分からないじゃん。執行猶予付かないかもしれないじゃん」
「あなたは正当防衛の無罪です」
そう言い残して、五十嵐は面会室を出て行った。本当にそう思っているのか、自分のキャリアの為にそうでないと困るのか。
「後者でしょうね」
呟いて今日香もまた、面会室を後にした。
第一回公判の十日後、第二回公判がやってきた。
先回と違い、マスコミの注目度の高まった今日香の公判の傍聴券はプレミアチケット化した。今回の公判は判決の言い渡しのみの為、前回のようなドラマチックな展開は期待出来ない。それでも当選倍率約百倍。『これじゃあ、抽選に外れちゃうじゃん』と心配した明日実だったが、加害者家族であるが、被害者遺族の立場でもある為、裁判所に申し出て明寿香とともに優先的に傍聴席に座ることが出来た。
殺人で無罪判決は出るのか。誰もが今日香の公判の行方に興味津々だった。
法廷内の空気も前回とは違い、何故か異様な熱気があった。
第一回公判同様、法廷内に裁判官、検察、裁判員、弁護士である五十嵐、そして今日香が入廷してきた。メディア露出が増え、見た目に気を遣うようになったのか、明日実が前回会った時より、五十嵐の顎はシュッとしおり、お腹周りも幾分シャープななっているように見えた。
全員が着席し、第二回公判が開廷した。
裁判官の口が開きかけた時、「ゴクリ」と喉を鳴らせて唾を飲み込んだのは、今日香ではなく、姉の無罪を願う明日実だった。明日実とは裏腹に今日香は腹を括っていた。有罪になりたいわけではない。でも、今日香は恭介を刺殺したことを後悔していない。どんな判決が出ようとも。
裁判官が手元の資料に視線を落とした。
「主文、被告人を無罪とする」
今日香の正当防衛が認められた。傍聴席が騒然となる。明日実は歓喜の声を上げそうになる自分の口元に、喜びのあまりに震える両手を押し付け、その隣では、明寿香が今日香を睨みつけながら、膝の上で怒れる拳を震わせていた。
マスコミは、こぞって今日香の無罪を書きたてた。裁判所の前では、【無罪】と書かれた紙を持ち、カメラに向かって走って行く記者もいた。ネットニュースも今日香のニュースが躍り、ワイドショーも特集を組んだ。
スキャンダラスでドラマチックなストーリーが大好きな民衆は、報道から得た情報で各々のストーリーを作り上げ、勝手に解釈し、殺人犯の父親と暮らしていた、今日香の恐怖と苦悩に同情を寄せていた。当の本人はというと、
「肉美味ぇー‼」
二ヶ月ぶりに娑婆に出た今日香は今、五十嵐と明日実に連れられて来たカラオケボックスでカツ丼を喰らっている。
何故カラオケボックスなのかというと、時の人となってしまった今日香の周りにはマスコミが張り付くようになってしまい、気軽に外食をしながら下手な話が出来ないからだ。マスコミには、何でもかんでも面白おかしく書く悪い癖がある。
「カツ丼、取り調べ室で出されなかったの?」
モリモリ食べる今日香に「好きな物を食べられる環境になって良かったね」と嬉しく思う明日実だったが、すぐに「おや? でも、拘置所に売店があるって言ってなかったか? 三万もあげたし、カツ丼くらい食べられたんじゃ……。カツ丼は売ってなかったのかな」などと、どうでもよい疑問が過ったが、どうでもよすぎて口には出さなかった。
「出なかったのよ、それが」
明日実は、拘置所の売店情報までは言わなかったが、取り調べでカツ丼が出なかったことは教えてくれた。
「出るわけないでしょ。君たちが生まれるずっと前の昭和のドラマのイメージが、なんで君たちに沁みついてるかなぁ」
今日香と同じカツ丼を頼むか頼まないかをで五分以上悩んだ五十嵐は、今後のメディア映りを気にしてか、鍋焼きキムチうどんで堪えた。五十嵐曰く、カプサイシンがカロリーを無きものにしてくれるらしい。
「……で、実際のところはどこからどこまでが本当なんですか?」
「何が?」
五十嵐の質問の意図を、頬に米を大量に蓄えた今日香が聞き返す。
「一回目の公判で小山田さんが泣きながら話した内容ですよ。申し訳ないですが、私はあの話を全部が全部事実だとは思っていません」
五十嵐が『次はどこかのカフェでお茶でもしながら』話したかった話が、コレだ。
「五十嵐さん、私の夢って何だか分かります?」
今日香はすんなり答えずに、カツ丼を食べる手も止めない。喋りながらもカツを口に放り込んでいた。
「知らないし。興味ないし。今、夢の話してないし」
「私の夢は、小説家です」
「……あぁ、ハイハイ」
今日香の返事で五十嵐は悟った。
「フィクション作家かノンフィクション作家かは伏せますけど」
「あぁ、ハイハイ」
今日香の余談を聞いたところで、五十嵐の悟りは揺るがない。今日香の話は、信用してはいけないと。
「あの時私、寝ちゃってたからなー。私も何にも分からないんですよねー。寝て、起きて、台所に行ったら、お姉ちゃんとお父さんが血だらけになってた」
明日実がメロンソーダのストローに口をつけた。
「普通の女子は、男子も、そんな可愛い飲み物飲みながら、そんな恐ろしい話出来ないよ」
明日実にツッコミを入れながら、五十嵐が鍋焼きキムチうどんを啜った。元小太りの五十嵐の食欲は、【恐ろしい話】くらいでは減退しない。
「でも、お父さんはインスタントコーヒーの瓶は投げつけてないと思うんですよねー」
明日実は、父親が姉に暴力を振るっているところを見たことがなかった。だから今日香は恭介に言いたい放題だった。
「お姉ちゃんがお父さんに自首を説得したって言う話もねぇ……。お父さんに『何も言うな』ってあんなに強く言っていたお姉ちゃんがねぇ……」
だからこそ、明日実は疑問だった。あの時、お姉ちゃんとお父さんに何があったのか。
「事実は、あの時私は間違いなく、しっかりとした殺意を持ってあいつを刺したということ」
「……ブッ」
今日香の淀みのないハッキリとした返答に、五十嵐が軽快に吸い込んでいたうどんをリバースしかけた。
「その話、余所では絶対にしないでくださいよ」
五十嵐が無理矢理喉の奥にうどんを押し込む。
「当たり前でしょ。もう二度と拘置所になんか行きたくないわ。娑婆の肉、美味いし」
今日香が惜しそうに、最後の一切れのカツを口に運んだ。
「そりゃ、そうでしょ。二度も三度も行く場所じゃないです」
五十嵐がうどんの汁で喉を潤す。
「お姉ちゃんは無罪になったけど、お母さんはどうなるの? お父さんの犯罪を隠ぺいしてたのって、罪に問われるよね?」
今日香や五十嵐とは違い、食事をすることなくメロンソーダしか頼まなかった明日実は、母のことが気掛かりで、美味しく何かを食べたい気分ではなかったのだ。父の次に姉の次に、母までもか、と。母の安否の心配ではなく、「もう、勘弁してくれよ」とうんざりしていた。
「犯人隠避罪のことですか?」
五十嵐が聞き返すと、明日実は「そう、それです」と頷いた。
「あの女は捕まらん」
「え? 何で⁉」
五十嵐が答える前に回答した今日香の返事に、明日実はホッとしながらも理由が分からない。
「お父さんの犯罪が立証出来ていないので、お母さんも捕まりません。お父さんは亡くなっているし、凶器ももう見つかることはない。お父さんの犯罪は、未来永劫未解決のままです」
五十嵐にそう言われても、明日実は納得出来なかった。
「じゃあ何でお姉ちゃんは無罪なの? お父さんの犯罪は証明されてないのに、お父さんを殺人犯と決めつけて無罪判決ってアリなの?」
「あなた方のお父さんが殺人犯でもそうじゃなくても、別にどうでもいいんですよ。重要なのは、今日香さんが父親から『自分は殺人犯だ』と信じ込まされていたかどうか。だから、今日香さんは、法廷で詳しくお父さんの犯行を説明したんです。『こんなことを聞かされたら信じざるを得ないでしょう?』とその場にいる全員の共感を得る為に。実際はお父さんが殺人などしていない無実の人であったとしても、『俺は人を殺したことがあるんだぞ‼ だから言うこと聞け‼』などと嘘を吐いて暴行し、今日香さんが包丁で反撃したとしても正当防衛です。嘘を見抜けなかった側に罪はない。嘘を吐いた方が悪い。『殺人犯だ』と脅されているから、今日香さんが包丁を握ったとて、過剰防衛とは言えない」
「……なるほど」
五十嵐の弁護士らしい解説に、ようやく納得した明日実に、
「【死人に口無し】大活用」
今日香がひとでなしな言葉を放った。五十嵐は今日香のあんまりな発言に耳を疑っていたが、今日香の口の悪さに慣れきっている明日実は動じもせず、そんな今日香の方に視線をやった。
「お姉ちゃんはいつ、お父さんの犯行の詳細を知ったの? お父さん『園山さんを殺した』とは言ってたけど、方法なんて話してなかったよね?」
明日実にはまだ、解せないことがあった。
「と言うことは、明日実さんはお父さんの犯罪は知っていても、内容は知らなかったってことですか?」
てっきり明日実も知っているものだと思っていた五十嵐は驚き、
「もしや、どうせ証明されないからって、お父さんの犯行の中身丸ごと全部作り話だったんですか?」
額に、カプサイシンの仕業なのか冷や汗なのか分からない液体を流しながら、今日香に確認。二人の視線が今日香に集まった。
「あれは、紛れもない事実。あいつを刺した時に、『助かりたかったら、救急車を呼んでほしかったら、園山を殺した日のことを詳しく話せ』って言ったら、ベラベラベラベラ湯水のように喋りだしたわ」
「助ける気なんかなかったくせに」
今日香が法廷で証言した父親の話が本当だとしても、今日香がその時父親に話したことは嘘であることを、明日実は知っている。
「今日香さんはいい死に方しないと思う」
小山田姉妹の会話に顔を引き攣らせた五十嵐のひと言に、
「何でよ。だったら五十嵐さんだってそうでしょ。私の話を全部が全部事実だと思ってなかったのに弁護したわけだから」
今日香が腹を立てた。
「弁護士とはそういう仕事です」
今日香になんと言われようとも、人生の最後を安らかに逝きたい五十嵐は、『自分は仕事をしたまで。あなたたちとは違う』とばかりに線引きをした。
「まぁ、いい死に方をしなかったとして、神様とやらに『あなたは地獄行きでーす』とか言われた日には、『罰ゲームみたいな所に産み落として生き地獄を味わわせた挙句、ちょっと人道から外れたからって地獄行きってなんだよ、てめぇ‼』ってそいつの足首掴んで同じ穴に引き摺り落としてやるけど」
今日香が両手で神様の足首を掴む仕草をし、「やれるもんなら、やってみろよ」と罰当たりなことを言いながら、圧し折る様に両手首のスナップを効かせた。
昔から自分の境遇を嘆いていた今日香に、神様を崇める信仰心は一切ない。神の罰に何の脅威も感じていない。だから神様のことだって『そいつ』呼ばわりだ。
「引き摺り落とすだけじゃないんかい。骨折させてるじゃん。しかも、人道から外れたの、ちょっとじゃないし。天と地ほどの外れ方してるし」
神様を敵かのように話す今日香の強さが、明日実は嫌いではない。今日香と同じ生活を強いられていた明日実もまた、神様という存在を信じていないのだ。もしいるとすれば神様は、二人にとっては【悪人】でしかない。
「ちょっと不思議なんですけど、明日実さんは色々と知らないことが多かったのに、今日香さんと連携が取れていたのは何でなんですか? 今日香さんは法廷で、明らかに時系列の違う話をしていた。それについてお母様は指摘した。明日実さんだって、お母様と同じく否定出来たのにスルーした。今日香さんからそうするように頼まれていたとも考えづらい。面会には刑務官が立ち会っているし、手紙も刑務官に閲覧されてしまいますからね。そんな話をするチャンスがない」
小山田姉妹の会話を流し聞きしていた五十嵐が、ふと湧いた疑問を口にした。
「それは、私が明日実に賭けた。明日実が面会に来た時、『お姉ちゃんのせいで私の人生滅茶苦茶だ‼』って非難されると思ってたの。だけど明日実は、私を怒りもしなかった。だから私が公判で、明日実の知らない話や作り話を言っても、合せてくれるんじゃないか? 私の味方をしてくれるんじゃないか? って。だから打ち合わせなんかしてない。言ったじゃん、【ぶっつけ本番だった】って」
「危ない橋を渡らせないでくださいよ」
シレっと言い放つ今日香に、渡っていた橋が実は崩れかけだったことを知らされた五十嵐に、疲れの様な気怠さが襲った。
「いいじゃん、もう渡り終わったんだから」
五十嵐の怠さなど気に留めず、あっけらかんとカツ丼を食べ進め、腹を満たした今日香は『折角カラオケに来たのだから』とマイクを持ち熱唱しだした。明日実と五十嵐は、今日香の二ヶ月ぶりの娯楽に付き合う。
一時間ほど今日香オンステージが行われた後、五十嵐に送ってもらい、今日香と明日実は小山田家に帰宅した。小山田家の周りには、またマスコミが張り込んでしまい、五十嵐に対応してもらわないと二人は自宅に入れなかった。




