加害者家族の生活
逮捕された今日香は、警察で取り調べを受けた後、検察へ送検され勾留、起訴された。その間、明寿香と明日実は家から出ていない。家の周りにマスコミがいたのもそうだが、世間の目が怖かったのだ。
ショックで食欲が出ない。などというのは二、三日程度のことで、生きていれば腹が減る。冷蔵庫の中のものを食べてしまえば食料がなくなる。しかし、買い物に出掛けることなど難しい。そこで明日実はネットで食料を注文し、顔を合わせずに済むように置き配指定にした。が、マスコミがなかなかいなくならない為に、置き配済みの荷物を家の中に入れるのに困難を強いられた。マスコミの姿が見えなくなった隙に、玄関の前に置かれた段ボールを運び入れた。封がされてあるはずのガムテープは、マスコミによって剥がされていた。加害者家族が何を買ったのか気になったのうだろう。明日実は米や水、野菜の他に、大好きなチョコチップクッキーも頼んでいた。「加害者家族のくせに、悠長にチョコチップクッキーなんか食ってんじゃねぇよ」と思われただろう。確かに明日実は加害者家族だ。
「……だから、被害者遺族でもあるんだっつーの」
明日実はやるせない気持ちで荒らされた段ボールを抱きかかえた。
この世界というのは、賞賛よりも悪意の方が圧倒的に強い力を持っている。アンチのひと言が、百の賞賛を蹴散らすことがある。明日実がどんなに「被害者遺族だ」と声を上げても、そんなものは一瞬で掻き消され、「何をされても文句は言うな。加害者家族なんだから」とばかりに、こうして置き配段ボールを荒らされる。
人は皆、被害者遺族にもなりたくないが、加害者家族になる方がもっと嫌だろう。他人は加害者家族と加害者を別々には見てくれない。何も悪いことをしていない加害者家族を『それでも加害者と血が繋がっているからな』『悪人の血が流れてる』と、加害者と同類の扱いをするのだ。
明寿香はパートに行けず、明日実は大学に行けていない。夫を失った明寿香の深い悲しみは、誰からも同情してもらえない。傍から見れば「お前が産んだ子どもの仕業だろ。お前の育て方が悪かったんだろ」なのだ。
きっと明寿香はこのままパートを辞めるだろう。どの面を下げて行けばいいのか分からないし、周りもどう接していいものか困惑するのは目に見えている。それ以前に、無断欠勤を続けているため、自主退職ではなくクビになるだろう。自分へ向けられる視線・言葉が気になり、「仕事を休ませてください」の電話が、明寿香にはどうしても出来なかった。
大学三年生の明日実は、ほぼ単位を取り終わっており、無理に大学へ行く必要はなく、受けたい授業はリモートで受講可能な状態だった。自宅で講義を受け、自宅で出来るデータ入力のバイトなどをして、忙しく過ごすことで気を紛らわせていた。
それに、薄給とはいえ、稼いでくれていた父親はもういないし、母親もパートに行けない。明日実が頑張るしかなかった。
そんな日々を過ごしていると、マスコミの興味は他の事件へと移り、家の周りに誰もいなくなった。
「……お姉ちゃん、どうしてるだろう」
ふと、姉の様子が気になった明日実は面会に行こうと、久々に家の外に出ることにした。
安い店で買ったジーンズに、別の格安ショップで購入したシャツをインすると、何週間ぶりかの化粧を施してみた。
「……なんか、化粧が浮いている気がする」
自宅から出られなかった期間、当然明日実は化粧などしていなかった。したところで、見せる相手は母しかいないのだから、する意味を見い出せなかったのだ。化粧をするのが久々すぎて、若干下手くそになっていた。
「……よし、行くか」
身支度を整えた明日実が、胸に手を当て外の世界へ踏み出す覚悟を整えると、玄関の扉を開けた。
「うわッ」
しばらく浴びていなかった太陽光に目が眩んだ。
「太陽って、こんなにまぶしかったっけ?」と、少々浦島太郎状態の明日実が何気なく郵便受けに目をやると、封書が何通か挟まっていた。
匿名の誹謗中傷とピザ屋のチラシの中に、【長谷川翔真】と書かれた封書が紛れていた。
何が書いてあるのか、読まなくても察しはつく。姉に読ませる必要性も感じないが、姉宛の手紙を姉に渡さないのは違うと思い、明日実は肩に掛けていたバッグに翔真の手紙だけを入れると、他の紙は両手でくしゃりと丸め、「あとでゴミ箱に捨てればいいや」と玄関の端の方に放置した。
姉が勾留されている拘置所へ行くべく、駅に向かって歩く明日実は、激しい後悔にさいなまれていた。「何故、帽子もマスクもなしに出て来てしまったのか」
明日実は普段、周りの人の顔を見ながら歩いたことはない。自分の生活に関わりのない他人の顔など関心がないからだ。だから他の人だって自分と同じように、いちいち行き交う人の顔になど注目していないだろう。だから堂々と歩けばいいのに、分かっているのに、何故かうつ向きがちになり、風で靡いてしまう横髪を、「顔など見られてたまるか」とばかりに両手で押さえつけた。万が一、誰かに気付かれ、顔を指で指されたりした日には、メンタルが崩壊してしまうだろうという自覚が、明日実にはあった。そんなことになったら、拘置所になんて絶対にいけない。全速力で走って家へと逃げ帰り、引きこもりになってしまうだろう。
明日実の歩く速度はどんどん早くなる。早歩きから、終いには走っていた。駅に着くと売店へ行き、大きめのマスクを購入し、トイレで装着した。
「おぉ……」
顔の大部分をマスクで覆われ、思わず明日実の口から安堵の声が零れた。何たるマスクの安心感よ。
マスクで平常心を取り戻した明日実は、それでも電車の中ではドア付近の場所をキープし、窓の外に顔を向け、誰にも顔を見られないように気を遣った。大学の友だちに出くわしたりしたら最悪だからだ。気を遣って話しかけないでくれればまだ良いが、平然と話し掛けられ、後でSNSに「加害者の妹がこんなこと言ってましたー」などと、嬉々として書き込まれたりしたら辛抱たまらない。
細心の注意を払いながら、やっとの思いで拘置所に辿り着いた明日実は、だいぶ気疲れをしていた。
拘置所に入り、面会窓口で申し込みをしようと所定の用紙に記入をしている明日実の目に、差し入れ窓口なるものが見えた。
「うわ、そっか。拘置所って差し入れ出来るのか。手ぶらで来ちゃったよ。そうだよな、着替えとか歯ブラシとか持ってきてあげればと良かったよ」と明日実は「あちゃー」とばかりに額に手を当てた。
自分の気の利かなさに苛立ち、今日香に『気の利かない妹だな』と思われるどころか、口に出して言われるのではないかと、気落ちした明日実の脳裏に「姉に会わずに帰ってしまおうか」という案が浮かんだ。が、ここまでくるのにどれだけの苦労をしたと思ってるんだ? と気持ちを持ち直した明日実は、翔真の手紙以外の持ち物を窓口に預けると、面会室に入った。翔真の手紙を膝の上に置いて椅子に座り、今日香を待つ。
透明の、穴が何個か空いているアクリル板。映画やドラマで見たそのままの面会室に、明日実は不謹慎にも若干の感動をしていた。ミーハー心で面会室を見回していると、アクリル板の向こう側のドアが開いた。
「……お姉ちゃん‼」
事件以降会っていなかった姉の姿に、明日実の目の奥から涙が噴出した。テレビの中だけで自分は入ることなどないだろうと思っていた面会室にいるという状況が、明日実の気持ちを高揚させたのだろう。そんなつもりはなかったのに、涙の再会と化してしまった。
「……明日実、元気? 色々と……大丈夫?」
今日香が明日実の前にやって来て、椅子に腰を掛けた。
「……まぁ、ぼちぼち。それよりゴメン。今日、手ぶらで来ちゃった。次に来る時は差し入れしたいんだけど、何が必要? 着替えと歯ブラシはマストで持ってこようとは思ってるんだけど、他には?」
「現金と、あんたの使い古した英語の教材」
今日香は明日実の手ぶらを咎めることなく、欲しいものをリクエストした。
「え⁉ 現金って差し入れ出来るの⁉」
「だって、拘置所の中に売店あるし」
「拘置所の中に売店あるの⁉」
今日香の言葉をそっくりそのままオウム返しして驚く明日実。今まで一一〇番すらしたことの無かった明日実は、気を回して差し入れも出来ないし、拘置所内に売店があるなんてことは、知る由もなかった。
「分かった。現金は近くのコンビニのATM下ろして、帰る前に差し入れしておくね。三万くらいでいい?」
「ありがとう。そんなにいいの?」
「うん。大丈夫」
明日実が今、バイトで生活費を稼ぎ、明寿香を支えている話をすると、
「ゴメン。本当に本当にゴメン」
今日香は何度も頭を下げた。
面会時間は限られている。湿っぽくしたくなくて、
「ていうか、英語の教材がほしいの? なんで?」
明日実は話を変えた。
「暇だから勉強でもしようかと。新しく買わなくていいからね。受験の時とかに使ったヤツがまだあれば、差し入れてくれると嬉しい」
「分かった。結構書き込んじゃってるけど、捨ててないはずだから部屋の中を探して持って来るね」
明日実は、面会室に用意されていたメモ用紙とボールペンに手を伸ばし、【現金、英語の教材】と書き込んでいると、体勢を変えたことにより、膝の上に置いていた翔真の手紙が床に落ちた。
「お姉ちゃん、あのね……。翔真さんから手紙が来てたんだ。後でお金と一緒に差し入れしておくね」
明日実は手紙を拾うと、アクリル板越しに今日香に見せた。
「読んだ?」
「読むわけないじゃん。お姉ちゃん宛なのに」
「差し入れなくていい。今ここで開封して読んで。……まぁ、読まなくても分かってるけど」
今日香も明日実も、手紙の内容は分かっている。
「……分かった」
自分が今日香の立場なら、拘置所内でこんな手紙を手元に置いておきたいなどとは思わない。今日香の気持ちを慮り、明日実は翔真も手紙の封を破った。案の定だった。
「『今回の婚約、無かったことにしてください』」
明日実が手紙を読み上げた。この、一行だけだった。
「以上?」
「以上です」
「ははは。言われなくても分かってるっつーの。ていうか、素っ気ないな。思い出話のひとつや二つ、書いてくれてもいいだろうに。まぁ、そりゃあ殺人犯との思い出なんかいらないかぁ」
今日香がカラッカラに乾いた笑い声を出した。
「この手紙、どうする?」
「どうするって、捨てる以外ある? 残しておいて、どうするの?」
「まぁ……そっか」
玄関の脇に置きっぱなしの他のゴミと一緒に処分しようと、明日実は翔真の手紙を引っ込めた。
面会終了時間まで雑談を交わすと、明日実は一旦拘置所を後にして、近くのコンビニのATMで現金三万円を引き落とし、ついでに歯ブラシを購入した。また拘置所に戻り、それらを差し入れ窓口へ預けると、今度こそ帰路に着いた。
電車に乗っている間、明日実は不思議な気分でいた。拘置所へ行く際、姉と何を話そうか、何も考えずに行った。『お姉ちゃんのせいで、とんでもない目に遭っている』と罵る言葉が出て来てもおかしくないはずなのに、なんなら笑顔で会話をしていた。
明日実は確信した。私はあんなことをしたお姉ちゃんを、それほど憎んではいない。こんなことになったのは……。明日実の恨みの矛先は今日香と同じ方向にあった。
今日香が逮捕されて一ヶ月と数日経った頃、今日香の第一回公判日が決まった。
それまでの間、明日実が今日香の面会に行ったのは、今日香から頼まれた英語の教材等を差し入れた、その一度のみだった。行きたくなかったわけでも、今日香に会いたくなかったわけでも、行くのが面倒だったわけでもない。生活費を稼ぐ為、在宅バイトをパンパンに詰め込んでしまっていたからだった。だから明日実は、今日香の公判日を本人からでなく、今日香の国選弁護士から聞いた。
お金のない小山田家は、腕利きの有名弁護士など雇えるはずもなく、例え貧乏でなかったとしても、明寿香が払わないだろう。明寿香の内心は、夫を失った傷心は消えずとも、それよりも今日香への厭悪の方が高まっていたからだ。
国選弁護はお金にならない。弁護士にやる気などないだろう。日本の刑事裁判は起訴されたら九十九・九パーセント有罪。今日香は既に起訴されている。
「お姉ちゃんの懲役は何年だろう」
明日実は今日香に執行猶予が付くという期待はしていない。殺人での執行猶予など、世間が赦さない。




