加害者家族
明日実は目を疑った。目の前にいる今日香が血だらけだったからだ。今日香の足元には血まみれの恭介が倒れていた。
「な……何これ。何⁉ きゅ……救急車‼」
パニックに陥った明日実は、両手に持っていたゼリーとプリンを手放し床に落とすと、その手をシーンズのポケットに突っ込み、スマホを探した。あいにくスマホは自室に置いて来ており、「無い‼ 無いんだけど‼」と、スマホが無いことに更に混乱した。
「おか……おか、お母さんは⁉」
どうしたら良いのか分からない錯乱状態の明日実が、部屋を見渡し明寿香の姿を探した。
「アイツ、風呂」
「沈めたの⁉」
母の身を案じ、お風呂へ向かおうとした明日実の足を、
「イヤ、普通に身体洗ってんじゃね?」
今日香が『アイツは殺してない』の意の言葉で止めた。
「ねぇ‼ 救急車‼ 早く‼ お父さんが死んじゃう‼」
半狂乱の明日実が今日香の肩を掴んで揺さぶった。
「だからまだ呼ばない。確実に死んでから呼ぶ。赦せない。死んでほしいの。明日実は生きてて欲しほしいの? こいつに」
「…………」
今日香の問いに、明日実が言葉を詰まらせた。父親のことは今日香ほど嫌ってはいない。でも、父は殺人を犯した。暴露されたら困るのに、そんな父が何の罰も受けずに生活しているのが納得いかなかった。殺人犯と暮らしているという事実にも恐怖を感じていた。死んでほしいわけではない。死んでも構わないと思えるほど冷淡でもない。だけど、生きていてほしい……とも思えない。
「……なんで? こんなことしたらお姉ちゃん、結婚出来なくなっちゃうよ⁉」
「……そうだね。無理だね。こいつの命が助かったところで無理だね。だったら死んでほしいの」
今日香が床に倒れて動かない恭介を、冷たい目で見下ろした。
「…………」
姉の強い殺意を目の前に、明日実は言葉を失い、動けなくなった。動けなくなった? 自分の意志で動かなかった? 自分の状態が明日実自身にも分からないほどに、この非現実的な現実を飲み込めない。飲み込めるわけがない。
どのくらいの時間をそうしていたのか分からない。明日実はただ、今日香の傍で立ち尽くしていた。イヤ、違う。立っていた。明日実は徐々に冷静を取り戻しており、ずっと唖然・呆然としていたわけではない。しかし、明日実の何もしない言い訳として【立ち尽くしていた】ということにしたかったのだ。
そうしているうちに、風呂からあがった明寿香が水を飲みに台所にやってきた。
「……お、お、お父さん⁉ 何やってるの、あんたたち‼」
目前の光景に、明寿香もまた驚愕し、絶叫した。
「……そろそろ警察呼ぶわ。多分もう死んでる」
母の叫びを構うことなく……というか、ウザがって故意に無視をした今日香が自分のスマホを手に取った。
「何てことを……。何てことをしたの、今日香‼」
明寿香が今日香に飛びかかった。風呂で綺麗に洗った身体に恭介の血液が付着しようが関係ないといった勢いだったが、今日香に付いていた血は乾いており、明寿香が汚れることはなかった。そのくらいの時間、今日香と明日実は恭介を放置していた。
「見れば分かるでしょ」
こんな状態なのにも関わらず、今日香は今日も今日とて明寿香を馬鹿にするような態度を取った。
「……やっぱり血は争えないのね」
だから明寿香もわざと今日香が嫌がりそうな言葉を放つ。
「【殺人犯とヤリたい】っていう異常な性癖のお前が産んだ結果だけどな」
しかし今日香は、更に酷い言葉を選び、言い返した。
「お姉ちゃん、スマホ貸して。私が掛ける」
二人の言い合いを断ち切るかのように、明日実が今日香に向かって掌を向けた。
衝撃的な光景の目撃し、興奮から覚めてから今までの間、明日実は【何も考えられずに動けない】を装いながら、思考をフル回転させていた。
姉の犯行を隠すことは出来ない。数分間は、『これからの私の人生、どうしてくれるんだ‼』と、姉への怒りしかなかったが、次第に『殺してしまうほどの憎悪だったのか』と、今日香の恭介へ対するこれまでの憎しみに心を寄せた。これからは(本当は今までもそうだったけれど)加害者家族として生きて行かなければならない。父親を刺してすぐに通報しなかったとなると、警察側からしたら今日香の心象は悪いだろう。何をどうしたって『殺人犯の妹』と後ろ指を指される人生が待っている。でも、少しでも姉の刑が軽くなれば、私の生活もほんの少しでも過ごし易くなるかもしれない。『人を殺してしまった恐怖で身体が動かなくなった姉の代わりに電話しました』と、実際は自分もその場におり、敢えて暫く警察を呼ばなかったのに、【自分は見つけてすぐに通報しました】【姉は電話を出来る状態ではなかった】ということにした方が、後々裁判で有利になるのではないか? 明日実はずっと、最悪の中の最善策を探していた。
「……じゃあ、お願い」
今日香がスマホを、明日実に渡した。
「うん」
明日実の親指が緊張でふわふわと泳ぎ、上手く画面をタップ出来ない。明日実は今までの人生で一一〇番に電話をしたことがなかった。なかなか操作出来ずにいる明日実に、
「……ゴメン。本当にゴメン。明日実を加害者家族にしてしまって」
今日香がボソリと謝罪の言葉を口にした。今日香の懺悔は、【明日実へ】だけだった。殺した父親への言葉はひとつもない。
「……一応、被害者遺族でもあるんだけどね」
ようやく数字をタップ出来た明日実が、スマホを耳に当てた。
「……もしもし、姉が父親を包丁で刺しました。すぐに来てください。住所は……」
明日実の心臓はバクバクだった。電話の向こうの警察官と上手く会話出来ていたか分からない。これから姉は、私は、どうなってしまうのだろう。




