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拗曲  作者: 中め


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2/6

長女の結婚

 今日香の言う通り、恭介が自首することもなく日曜日を迎えた。

 翔真を家に迎える前に、「余計なことは言うな、するな。ただ、相槌を打っていればいい。いい? 分かった?」と、今日香が恭介と明寿香に、脅迫に近い圧力の念押しをした。そして明日実にも目配せ。「しっかり監視しとけよ」という意味だ。無言ながら、明日実が今日香に視線を返した。【了解】の意味だ。

 被害者遺族を思うなら、父親を警察に突き出すのが当然。しかし、そうしてしまうと、何の落ち度もない自分の生活が脅かされてしまう。罪悪感で今後一生の生活を棒に振る勇気ある決断など、齢二十一の明日実には出来るはずもなかった。

 明日実が返事も首を縦に振るジェスチャーもしなかったのは、両親の手前からだ。大手を振って今日香の言葉に快諾をしてしまったら、短絡的な父と母は自分のことを【今日香側の人間】とみなし、怒りを募らせ後先を考えずに真実を暴露するという爆弾投下をし兼ねない。明日実は両親に『敵ではないですよ』の姿勢を見せながら姉に協力するという微妙なバランスを取るしかなかった。

 今日香が翔真を駅まで迎えに行き、三十分後に自宅に戻ってきた。

「初めまして。長谷川翔真と申します。本日はお時間を作って頂きありがとうございます」

 居間に入ってきた翔真が、小山田一家に丁寧に頭を下げ、大手百貨店の包装紙を纏った手土産のお菓子を明寿香に手渡した。

 恭介と明寿香は『初めまして』だったが、明日実は以前に翔真に会ったことがあった。

 今日香にとって両親は、嫌いなだけでなく恥ずかしい存在だった。古くて狭い中古住宅の実家に翔真を招くのも苦痛。だから明日実が、今日香から翔真を紹介された場所も、駅前のカフェだった。

 初めて翔真を見た日、明日実は思わずクスリと笑ってしまったことを思い出した。翔真があまりにも、今日香の【夢】だったから。

 六年前、進路に嘆いていた今日香が明日実によく愚痴を漏らしていた。『お金持ちの家に生まれたかった。なんて贅沢言わないのに。中流家庭で良かったのに。周りは「どこの大学に行こうか」で悩んでいるのに、私はお金の問題で「進学は難しいのか。就職なのか」で頭を抱えてる。苦しみの次元が他の人と違う。私もみんなと同じ次元にいたかった』と悔し涙を滲ませていた今日香の顔を、明日実は今も覚えている。

 翔真の両親は、父が商社のサラリーマンで母は地元企業の正社員だった。お金持ちではないが、お金に困っているわけでもない普通の家庭で育った翔真は、当たり前に大学へ行き、企業で働いている。翔真は今日香が強く望んでいた人生を、当然のように生きていた。今日香は、普通の人生を送る翔真の傍にいて、翔真の話を聞くことで疑似体験をし、自分も翔真側の一般家庭の人間であると錯覚出来たのかもしれない。明日実の目には、翔真の言葉を聞く今日香は、羨ましそうにしながらも、とても楽しそうに見えた。

 ソファなどない質素な居間の小さなテーブルを、五人がコの字型に座った。今日香、翔真の正面に恭介と明寿香が腰を掛け、間の王様席に明日実が腰を下ろす。両者を取り持たなくてはならない明日実の席は、強制的且つ絶対的にそこしかなかった。

 しかし、普段から両親と今日香の緩衝剤のような役割をしている明日実にとって、そこに座るのは何の抵抗も違和感もなかった。

 五人の尻の下には、買ったばかりの座布団が敷かれていた。「少しでも貧乏に見えないように」と、ドケチな今日香が大型中古買取店で高そうに見える座布団を買ってきていたのだ。

 テーブルには布のテーブルクロスが掛かっており、これも今日香が前途の店で購入。ドケチ故に「捨てるにも粗大ごみになるからお金がかかるでしょ」とテーブルは新調しなかった今日香の選んだテーブルクロスは、絶妙にダサい金色の花柄の刺繍が入っていた。

 今日香のセンスに、明寿香が思わず「無地はなかったの?」とツッコミを入れてしまったのは言うまでもない。今日香曰く「これしか無かった」らしいが、大型中古買取店で売っているテーブルクロスがこれだけなわけがない。「あぁ、お姉ちゃんにとって【金色花柄刺繍=お金持ち】のイメージなのね」と、流石に姉妹だけあって姉に関する明日実の理解は早かった。

 取り敢えず、テーブルに付着している、いつ付いたかも分からない年期を感じる変な染みとキズが隠せればそれでいい。

 恭介と明寿香が爆弾発言を繰り出さないように、明日実がこの場を取り仕切り、暫くの間たわいもない談笑を繰り広げた後、翔真が「結婚させてください」と小山田一家に頭を垂れた。

 恭介の口から出た言葉は「どうぞ」。今日香と明日実と明寿香には、その「どうぞ」のあとに(ご勝手に)という恭介の心の声が聞き取れていた。

「娘をよろしく」のような一般的な返しを予想していただろうところに、恭介が「どうぞ」などと、興味のない突き放したような返事をしたものだから、「え?」と翔真が声を出して驚いていた。

『ヤバイ。変な空気になる』と瞬時に察知した明日実が「良かったねー、お姉ちゃん‼ 良かった良かったー‼」と大げさに喜び、今日香に抱き着いた。「ありがとう」と明日実の背中に手を回した今日香が「ナイス、ファインプレー」と明日実に耳打ちをした。『これはチョコチップクッキー以上の褒美が必要だぞ』と明日実は、ぎゅうっと抱きしめる力で伝えようとするが、今日香がそれを感じ取れているかは定かではない。

 抱き合う姉妹が微笑ましく見えたのか、怪訝そうな表情をしていた翔真の顔が綻んだ。明日実、心の中でガッツポーズ。今日香、心の中でサムズアップ。

 気を取り直した翔真が、結婚後の予定を話し出した。翔真から語られたのはごくごく一般的な【住居】【仕事】【お金】の話だったが、その何の変哲もない普通の暮らしこそが今日香の希望であり、夢だった。「うん、うん」と頷きながら翔真の話を幸せそうに聞いている今日香の姿に、明日実は「お姉ちゃん、幸せになれ‼」と願わずにはいられなかった。が、そう思っているのは明日実だけだった。ふと明日実の視界に入った恭介と明寿香の目は死んでおり、白け切っていたからだ。

 それもそのはずだ。今日香は翔真を迎える前に、恭介と明寿香に「余計なことは言うな」などと牽制していた為、そんな態度の人間の幸せなど喜ばしく思えないのも無理はない。「余計なことを言うな」が、そもそも余計だったのだ。

「やるな、ダメだ」と言われるほどにやりたくなるのが人間の性だ。

「斉藤さんは私のこと、娘から何も聞いてないんですか?」

 まるでダイナマイトに火を近付けて脅すかのように、恭介が不敵な笑みを浮かべた。今日香の目がかっ開き、血走る。

「……えっと。どんな話でしょうか?」

 質問に質問で返す翔真。翔真はおそらく、というか絶対に何も聞いていない。恭介の殺人のことだけでなく、何もかも聞いていないだろう。恭介と明寿香の名前さえ、昨日聞かされたのではないか? と疑うほどに、今日香は誰にも両親の話をしない。もともと不仲だったのにも関わらず、恭介の犯罪が明らかとなり、両親と今日香の関係を修復するのは不可能だと、明日実も先日完全に諦めた。

「お父さん、最近身体にガタがきていて。介護で迷惑を掛けてしまわないか心配してるんですよ」

 しかし明日実は姉の結婚は諦めない。またも咄嗟に話を作り上げた。『自分はこんなにも瞬発力が高かったのか』と、明日実は自分自身に感心した。だって、作り話だが、嘘ではない。恭介は五十九歳。身体が不調でも不思議ではない。実際、腰痛持ちでコルセットを愛用している。それに伴い、今後介護が絶対に必要ないとは言い切れない。嘘があるとすれば、介護が必要になったとしても、今日香にだけは頼まないだろうということだ。だから明日実は敢えて『お姉ちゃんに迷惑を掛けてしまわないように』とは言わなかった。『誰に』を明らかにさえしなければ嘘ではない。翔真は姉の大切な人。だから明日実は翔真に嘘を言いたくなかった。だが、【嘘ではない=真実】ではないことが、明日実を心苦しくはさせた。

「もちろん、出来る限り協力させていただきます‼」

 何も知らない翔真の快い返事が、明日実を更に申し訳なくさせた。

「介護の話じゃ……」

「翔真さん、そろそろ帰った方がいいかもしれませんよ。次の快速を逃すと、暫く各駅停車の電車しかないので」

 明日実の心痛を余所に、恭介が話を戻し、爆弾発言をチラつかせようとした為、傷む胸を摩りながら明日実が話を断ち切った。

「別に各駅でも全然構いませんよ」

 明日実の意図を汲み取れるはずもない翔真が、明日実に「お気遣いどうもありがとう」と優しい笑顔を向けた。『ありがとうなんて言わないでくれ』と、ますます明日実の心臓は締め付けられる。

「それじゃあ、こちらが申し訳ないよ。快速と各駅じゃあ乗車時間が全然違うもん。話はもう済んだし、駅まで送るよ」

 しかし、今日香は明日実のナイスアシストをしっかり活用した。翔真の返事を待たずに立ち上がった今日香が、コートに袖を通した。コートを着てしまえばこっちのものである。「コートを脱いでもう少し話をしましょう」とは、なかなかならない。彼女の実家に長居をしたい男もそうそうおらず、例に洩れず翔真も「じゃあ、お暇させていただこうかな」とすんなり帰り支度を始めた。

『彼女の実家の居心地がいいわけないもんね。各駅でもいいとは言っても、やっぱり帰りたかったよね。私のアシスト、翔真さんにとっても良かったよね』と明日実は僅かな善行で自分の苦しい心を慰めた。

「お邪魔しました」

 翔真はペコリと頭を下げると、今日香と共に家を出た。

 玄関の扉が閉まる音が聞こえた瞬間に、明日実から「ふう」と安堵の息が漏れた。

「…………」

 そんな明日実を無言で見つめる恭介。恭介の言いたいことなど分かっている。『明日実は今日香の味方なのか?』

「…………」

 明日実も何も言わない。明日実の主張もちゃんとある。『お父さんの気持ちも分かるけど、お姉ちゃんが結婚して家を出た方が、この家にとっても幸せなはずなのに、邪魔しようとしないでよ』

 お互いに言いたいことはあるのに、言葉にしない。出来ない。話せないのだ。

 恭介の犯罪が明らかになってから、今までのように話せなくなり、会話が不自然にぎこちなくなってしまうのだ。いや、これが自然なのかもしれない。恭介のしたことを知っていながら普通に会話出来る方が不自然だ。

「…………」

 フイっと恭介から視線を外し、明日実は無言のまま自室へと歩いた。

「疲れた……」と心の声が口から漏れ出てしまうほどに、気疲れで疲労困憊だったのだ。雪崩れ込むようにベッドにダイブした明日実の瞼はしっかりと閉じられており、あと数時間は開きそうにない。

 ぐっすり眠り、空腹で目を覚ますという、食べ盛りの小学生のような起き方をした明日実が台所へ行こうとドアを開けると、外側のドアノブにビニール袋が引っかかっていた。中身を確認すると、ゼリーとプリンが入っていた。今日香のノックの音にも気付かないほどに熟睡していた明日実を起こすまいと、今日香がそっとドアノブに今日のお礼の品をぶら下げていたのだ。

「うーん。ゼリーもプリンも好きだけど、チョコチップ以上かなぁ。まぁ、以下でもないと思うけど。それにしても、なんで両方プルプル系なんだよ。どっちか別系統にしてくれよ」

 ハグではやっぱ伝わらんか。と苦笑いした後、「文句言いながらも有り難く食べるけどねー。でも、これの前にご飯食べたい」と、プルプル系の食べ物二つでは到底満たされない腹の減り具合の明日実が台所へ食糧を求めた。

特別豪華ではないと分かってはいるが、今日の夕食はなんだったんだろう。と期待はしていないが、肉だったらいいなぐらいの心持ちで台所へ行った明日実の目に、今日香の背中が見えた。

「お姉ちゃん、ゼリーとプリン、ありがとうね」

 その声に振り返った今日香の姿に、

「…………」

 明日実は言葉を失った。



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