エピローグ「月の記憶 ― 光の在り処」
1.春の風 ― 消えない温もり
春の風が、街を柔らかく撫でていた。
あの夜の崩壊から、季節が二度巡った。
街は少しずつ復興を遂げ、
かつて廃墟だった北岳のふもとには、新しい施設が建てられた。
“ルミナリエ・ホープセンター”――
その名には、ひとりの少女の願いが刻まれていた。
蓮はその入口で立ち止まり、
胸ポケットにしまった小さなペンダントを指で撫でた。
中には、銀色の髪が一筋。
光を受けるたび、まるで生きているように揺れた。
「……なあ、ルナ。
春が来たよ。」
彼の声に、風が静かに答える。
どこかで鈴のような音がした気がした。
2.カフェ・ルミナリエ ― 再び灯る光
その日、旧カフェ「ルミナリエ」が復活オープンを迎えた。
看板はあのまま、木のテラスには新しい花。
アリアがエプロン姿でカウンターに立ち、
「はーい! 開店初日からフル稼働だよ!」と声を張る。
彩音がカプチーノを注ぎながら、微笑んだ。
「でも、今日は少し静かにしたいね。
彼女が好きだった音楽、流そう?」
スピーカーから、ピアノの旋律が流れ始めた。
あの夜、ルナがよく口ずさんでいた曲。
蓮は窓際の席に座り、
カップの湯気を見つめた。
“香りで気持ちは変わるんだよ”――ルナの言葉が、
不意に蘇る。
「……お前、ほんとコーヒーの妖精だったな。」
蓮がつぶやくと、
窓の外で白い蝶がひらひらと舞った。
3.風の中の声 ― もうひとつの月
夕暮れ。
街の端にある丘の上。
蓮はひとり、桜の木の下に立っていた。
その場所には、小さな石碑が建っている。
> ――ここに、“光”を眠らせる。
> その名は、神代ルナ。
蓮は石碑に手を置き、静かに目を閉じた。
「なあ、ルナ。
お前が残したもの、ちゃんと生きてるよ。」
彼の脳裏に浮かぶのは、
あの夜に見た“白い光”。
消えたと思っていたそれは、
彼の胸の奥に、確かに灯っていた。
「俺、今でも夢に見るんだ。
お前が月の上で笑ってる夢を。」
風が頬を撫でた。
桜の花びらが舞い上がり、光を反射する。
その中に、一瞬だけ“彼女の姿”が見えた気がした。
銀の髪、金の瞳、あの日の笑顔。
「……レン。」
確かに、声が聞こえた。
振り返っても、そこには誰もいない。
けれど、風はやさしく吹き続けていた。
4.新しい月 ― 光の記憶
夜。
空には新月からわずかに満ち始めた月が浮かんでいた。
その下で、氷室が新しいデータを見つめていた。
「……神代計画、最終報告。
“ルナの遺伝子反応、消滅せず。”」
モニターに映し出された波形が、
まるで心拍のように穏やかに脈打っていた。
アリアが画面を覗き込む。
「ねぇ……これって、まさか。」
彩音が微笑む。
「ええ。
――彼女、まだ“どこかで生きてる”のかもね。」
その瞬間、研究所の外の空に
ひとすじの光が走った。
月を横切るように、白い尾を引く流星。
蓮が外に出て、それを見上げた。
「……おかえり、ルナ。」
月が、静かに光を増した。
まるで微笑むように。
5.そして、夜が明ける
夜が終わり、東の空が淡く染まっていく。
風に乗って、誰かの声が聞こえた。
> 「レン――また、会おうね。」
その声は柔らかく、温かく、確かに“生きて”いた。
蓮は目を閉じ、微笑んだ。
「約束する。
お前が見たかった世界、ちゃんと見届けるよ。」
朝の光が、彼の頬を照らす。
ルナが愛した“光”の色。
空には、新しい月がまだ薄く残っていた。
> 「消えない記憶は、心の中にある。
> たとえ姿がなくても、愛はいつも生きている。」
――そして、月は今日も昇る。
『神代ルナ ― 月に祈るもの』は、
「異形であること」と「人間であること」の間に揺れる少女の物語です。
最初に構想したとき、ルナは“人狼”という設定でしたが、
その本質は“異種族の恋愛”でも“アクション”でもなく――
**「孤独な者たちが出会い、互いを人にしていく物語」**でした。
彼女は人ではなく、しかし“人であろう”とした。
それは、誰もが日常で感じる孤独や違和感の象徴でもあります。
愛されたい。理解されたい。世界に居場所を見つけたい。
そう願う心こそが、ルナを“人間”にしたのです。
対照的に、蓮は人間でありながら“心を失っていた”存在。
彼が再び他人を信じるようになる過程もまた、
この物語のもうひとつの軸でした。
アリア、彩音、氷室――
脇を固めた登場人物たちは、ルナの“人間性”を映す鏡として描かれました。
彼らもまた、孤独を抱えながら、光に惹かれて動いていたのです。
そして最終章、ルナが光の中に消えるシーン。
これは“死”ではなく“昇華”。
彼女が愛を理解し、世界に“希望”として還っていく瞬間です。
――月は、見えなくても、そこにある。
彼女の存在もまた、夜を照らす月光のように、
蓮と、そしてこの世界のどこかで生き続けています。
もしこの物語が、
あなたの心の中にほんの少しでも“光”を灯せたなら、
ルナはきっと、笑っているでしょう。
> 「だって、わたしの願いは――“あなたの夜を照らすこと”だから。」
読んでくださって、本当にありがとうございました。




