第2章「夜を照らす灯 ― カフェ・ルミナリエの日々」
1.夜のはじまり、温かい匂い
夜の街は、昼よりも静かで優しい。
ルナは今日も、ルミナリエのカウンターの中で、ミルクを泡立てていた。
「ルナちゃん、それ泡立てすぎ! ほら、溢れるよっ!」
「えっ!? わ、わわわっ!」
ミルクがこぼれて、慌てて布巾で拭き取る。
その様子を、彩音は笑いながら見ていた。
「もう〜。ほんとドジだなぁ。でもなんか可愛い。」
「う、うるさいよ〜……」
ふと横を見ると、蓮がカウンターの奥で静かにコーヒーを淹れている。
その動きはまるで儀式のように滑らかで、
ルナは思わず見とれてしまった。
「なに見てんだ。」
「えっ!? な、なんでもない!」
「……嘘が下手だな。」
蓮は小さく笑うと、湯気の立つカップを差し出した。
「味見してみろ。」
ルナはおそるおそる口をつける。
「……あ、やさしい味。」
「苦くないか?」
「ううん。なんか、夜みたい。」
その言葉に、蓮の手が一瞬止まった。
彼の瞳に、かすかに何かがよぎる。
――夜みたい。
そう言ったルナの笑顔が、まるで月光そのものだった。
2.月光と影
深夜。閉店後のルミナリエ。
カップを洗い終えたルナは、店の窓から夜空を見上げていた。
「ルナ。」
背後からアリアの声がした。
振り向くと、アリアはグラスに赤い液体を注いでいる。
その指先は美しく、冷たい。
「あなた、隠してることがあるわね?」
「……え?」
アリアは微笑んだ。
「安心して。私も人間じゃないの。」
その言葉に、ルナの目が見開かれる。
「あなた、まさか――」
「吸血鬼よ。けれど、昔のように血は求めないわ。」
アリアはグラスを揺らす。
中身はワインのように見えるが、その香りはどこか鉄の匂いを帯びていた。
「あなたも、似た匂いがする。
人の姿をしているけれど、心はまだ森にいる。」
ルナは言葉を失った。
――ばれている。
けれど、アリアの目は優しかった。
「隠さなくてもいいわ。この店にいる限り、誰もあなたを追わない。」
「……ありがとう、アリアさん。」
「ただし、ひとつだけ忠告しておく。」
アリアの瞳が静かに光る。
「人間は、真実より“普通”を好む生き物よ。
その優しさが、時に一番、残酷なの。」
ルナは、言葉もなくうなずいた。
外では、風が看板を揺らし、鈴が小さく鳴った。
3.灯の中で
数日後。
ルナは、少しずつ街に馴染んできていた。
彩音と買い出しに行き、パン屋で「試食」をもらっては目を輝かせる。
「ルナちゃん、ほんとに初めてなの? パン屋見るの。」
「うん。だって、うちの世界には“パン”なんてなかったもん。」
「……は?」
あっ、と口を押さえるルナ。
「え、えっと、山奥で暮らしてたから!」
彩音は首をかしげつつ笑った。
「なんか変わってるけど、面白い子だね。」
その笑顔がまぶしかった。
ルナは、こんなふうに笑ってくれる人がいることに驚いていた。
“人間”って、思っていたより温かい。
――でも。
夜。帰り道の路地で、突然、犬の遠吠えが響いた。
その音に、ルナの背筋が凍る。
耳が、少しだけ尖る感覚。
喉の奥が熱い。
(だめ……ここじゃ、変わっちゃいけない……!)
ぎゅっと胸を押さえ、深呼吸する。
街の光が滲んで見えた。
「ルナ。」
静かな声。
振り向くと、蓮が立っていた。
「……泣いてるのか?」
「ううん、ちょっと風が……冷たくて。」
蓮は黙って上着を肩にかけてくれた。
その手の温もりが、心の奥まで染み込んでくる。
「……無理するな。」
「え?」
「笑いたいときに笑えばいい。泣きたいときは、泣け。」
ルナの胸が締めつけられた。
――この人は、どうしてこんなに優しいんだろう。
「……ありがとう、蓮。」
「礼なんか、いらない。」
蓮はいつものように目をそらす。
その横顔に、ほんの少しだけ哀しみが見えた。
(この人も、何か抱えてる……?)
風が吹き抜け、街灯が揺れた。
二人の影が重なり、月の光が静かに降り注いだ。
「ねえ、蓮。夜って、さみしいもの?」
「さみしい。でも……誰かと見ると、少しだけ違う。」
その夜、ルミナリエの窓から漏れる灯は、
いつもより少し、あたたかく見えた。




