声を聞く学校
今ではとんと聞かなくなり、そしてその方が良いと思える言葉。
「女を甘やかすと碌なことにならない」
その言葉が意味することはなんだったのか、そしてその言葉は本当なのか、とあることを思い出す。
私の母校である高校は元々は農業高校だった。
噂話でしかないが、学校のイメージアップをはかり、制服をデザイナーズブランドに変更したりと、そういった経緯があるそうで、その一環として学科の増設があった。
農業科・林業科の二つだったその高校は新たに商業科と家政科を追加したのだ。
商業科と家政科は当時、氷河期だったにも関わらず就職に強く、女子生徒に人気であった。
この高校では私が覚えている限り二回「女性の声が届いた」経験があった。
「二次元の生徒会は謎に権力がある」
こういった言葉は、オタク文化に身を置いたことがある者なら一度くらいは耳にしたことがあるのではないかと思う。
しかし、私の高校時代の生徒会は実際に優秀で、生徒の意見に素早く動いた。その中でもよく覚えているのがとある生徒総会に複数寄せられた声、
「女子生徒の体操着の短パンの丈が短すぎる」
というものだった。
確かにこれは多くの女子生徒が実際に悩んでいた問題で、不本意な露出を引き起こすものだった。
この声を受けた生徒会は速やかに動き、早速新一年生分から、体操着は膝丈のハーフパンツに変更された。
私はほんの少しの羨ましさでその光景を見ながら、これからの新入生は無駄な露出をしなくていいのだな、と安心を覚えた。
ここで敢えて特筆したい事柄は、その時の生徒会長は男子生徒だった。
こういった場合「男性は助平心を捨てきれず、女性の露出を正当化し、現状維持を望む」といったイメージが近年ますます強くなっているように思うので、そうではない男性権力者もいると強く主張したい。
出来ないことは決してないのに「出来ないことにされる」ことは、男性にとってもきっと、不名誉なことに違いないのだ。
現に、この時の生徒会長は「女性特有の声をきちんと聞ける男性」だったのだから。
私の担任は女性教諭だった。その点で進展した話がもうひとつある。
健康診断で諸々の生体を提出する際、生理中の女性は再提出、という経験をした女性は多いかと思う。
しかし、多くの場合、その再提出のタイミングは一ヶ月後だった。一人のクラスメイトは担任の先生にこう訴えたのだ。
「一ヶ月後だと、結局また生理に被る」
そうすると、先生はハッとして即座に「確かに!」と気がついた。
「わかった、ちょっと職員室で言ってみる」
その柔軟性も非常にありがたく思う。私たちの学生時代は、同じ女性からでも「決まりだから」で押し通される場面は少なくなかったからだ。
それを受けると、また速やかに再提出は「半月後」に変更された。
この二つの実例を見るに「女を甘やかすと碌なことにならない」という言葉は真実ではないと思う。
しかし、嬉しいことではあるが最近の若い人たちは「それは甘やかしではないのだろうか?」と疑問に思える世の中になったように思う。
そうなのだ、全然「甘やかし」ではないのだが〝昔の男性〟はそれを「甘やかし」とみなし、女性の口を塞いできた。
それには様々な要因があるので、興味がある方はぜひ調べて欲しいと思う。
本題に戻り、なぜ母校には女性の声を受け入れる土台があったのかを考察してみると、
「もともとほとんどが男子生徒ばかりの高校に女子生徒を受け入れることになった」
からではないかと考えた。
きっと、学科の増設に伴い女子生徒を受け入れるにあたって「女生徒特有の問題」が出ることを改めて身構えたのではないかと思う。
皮肉にも、元々女子生徒がいた共学では芽生えにくかった視点ではなかったのではないだろうか。
しかし、そういった取り組みをした自治体は他にもいっぱいあった。
「女性の活躍のために女性の声を聞こう」と打ち出したキャンペーンは、ニュースなどで何度となく見聞きしたことだ。
にも関わらず女性が増えない、居つかない、といった場所もごまんとあるだろう。
それは、そういう施策を打ち出すだけではなく「実際に聞いたかどうか」に大きな違いがあるように思う。
「女性の声」と銘打ちながらも、実際に聞くのは「女はこうであろうという男の声」だったという話は少なくない。
最後に「女を甘やかすと碌なことにならない」という言葉は本当か?
「甘やかし」を仮に「女性の要望を聞くこと」だとしたら、それはやはり真実ではない。
女子生徒が簿記などの大会で好成績を毎年のように残したのは、女子生徒の不安を取り除いた結果、伸び伸びと勉強に打ち込めるようになったことも一因だと思うからだ。
この高校は測量のコンテストなどでも全国で結果を残している。
もちろん、全く問題がなかったといえばそうではない。
男性教諭が手を上げると、女子生徒は嘘みたいに吹っ飛んでしまう。
そんな光景も目撃してしまった。しかし、これは男子生徒には体罰を加えていいということでは決してなく、男性同士では見えにくかった暴力の悲惨さが、皮肉にも際立つ結果にもなってしまったのだ。
あらゆる教育現場で、全ての子どもたちが快適に学べるように、これを機に改めて願う。
※追記
当時の生徒会には改めて深い感謝を刻みたい。時に自分の中にある、まだ名のつかない差別心や、特権意識というものを見つめることは非常に勇気のいることだからだ。
女性の声を聞くことということは、大袈裟に聞こえるかもしれないが当時は男性社会を裏切る行為に等しかった。
だが実際には──大袈裟ではなく彼らは、これから入学する女子生徒の心を何百人余りと救っている。今から三十年ほど前にその状況を切り開いたことはどれほどの勇気だっただろうか。
「三十年ほど前に」という表現がどういうことか、今や若者にとってピンとこないものになっていたとしたら、それは時代が進歩した喜ばしい兆しかもしれない。
しかし、そういった男性に敬意と感謝を払わなくては、そういった男性もいたことを知っていかなければ、女性が声を上げるという希望の光もまた弱々しくなってしまうように思う。
私も残念に思うし、自分の大切な男性に「男は加害性がある」と、同じことが言えるのかと問われたら怯んでしまう、が、どんなに悲しくとも傷つこうとも、一部の男性が社会的信用スコアを落としてしまっていることも事実なのだ。
(各種女性用スペースの存在は静かにその事実を物語っている)
そして、それに対する女性の警戒をこのまま非難していると、気づかないままそのスコアに〝スリップダメージ〟をくらい続けることになるだろう。
それは男性の尊厳を損なってしまう。憂うべき事態だと思う。
だからこそ私は、女性の声を真に聞いてくれる男性のことは記録に刻み、忘れ得ぬ感謝を残したい。
何よりも、男性の信用回復のために男性が声を上げてくれることは現状ではとても少ない。しかし、諦めずに期待したい。男性の倫理観はもっと気高いはずなのだから。
男性の声は、今までずっと大きな力と影響力を持ってきた。
だからこそ、その力を──誰かを支えるため、そして何より男性自身の名誉を取り戻すために──今、使って欲しい。
そしてもう一点、担任の先生がすぐさま「職員室で言ってみる」と、行動に移せたこと。こちらもご本人の人柄や人望もさることながら、職員室が「女性の声を無視する」ことがなく、声を上げやすい環境だったろうことは想像に難くない。
繰り返しになるが、三十年ほど前にこの雰囲気が職場にあったことはずいぶんと先進的であろう。
(その後の就職先を思い出しながら)
私はだからこそ感謝を忘れない。最初に切り開いてくれた人たちの勇気と労力に最大限の敬意を込めて。




