使用人たちの囁き
彼が行ってしまったから、私も食事を済ませると、メイドに付き添われて自室へ戻った。
部屋に入るなり、そのメイドが私に小声で話しかけてきた。
「……お嬢様は、一体何者ですの?
旦那様に触れられても……なんともないのですか?」
「どういうこと?
あなたの方こそ、さっきは一体何があったの?」
顔を上げると、それは先ほどユリウス様に触れて食器を落としてしまったメイドだった。
思わず私が逆に問い返して詰め寄ると、メイドはあからさまに目を泳がせて一歩引き下がった。
「い、いえ……失礼いたしました。旦那様のことに関して、私から言えることは何もございません。
ただ……お嬢様が無事でいらっしゃるのであれば、それでよいのです」
そう言うと、メイドは深く頭を下げて、そのまま部屋を下がってしまった。
* * *
翌朝。
私は昨日の一件が気になって仕方がなく、思い切って執事に同じことを尋ねてみた。
執事もまたメイドと同じように、ユリウスの呪いについては多くを語らなかったが、彼は以下のようなことを言った。
「旦那様は……かつて有能な魔法使いでした
通常、人はひとつの魔力を授かるだけでも稀なこと。ですが旦那様は、生まれながらにして複数の能力を操ることができる、類稀なる逸材だったのです」
私は思わず息をのんだ。
確かに、この世界は魔法の力を持つ者が現れるだけでも相当稀なことだ。
幸運にも魔力を授かれたものがいたとしても、その能力は一人につきひとつだけ。それが常識だ、複数の力を持つ者など、これまで聞いたこともない。
執事は更に続けた。
「旦那様がこの地に赴任された当初、ここは今よりもずっと寒冷で、魔物がはびこる危険な土地でした。しかし旦那様は、その卓越した力をもって瞬く間に土地を切り開き、こうして領地を発展させてこられたのです。
_しかし、卓越した能力を持つものには時として相応の苦難もまた降りかかります。
大きなものを成し遂げようとするとき、危険ともまた隣り合わせなのです。あの方の誠実さと前向きさが、あのような結果を招くなんて_。」
「一体、彼に何が……?」
私が思わず一歩前に出ると、アルバートは口を閉ざした。
「旦那様の置かれている状況について、私共は他言せぬようきつく申し使っております。
ですから、たとえ婚約者のあなたにであろうと、旦那様のことを申し上げることはできません。
しかしながら、あなたもまた、旦那様と同じく、他にない特別な才をお持ちのようにお見受けいたします。
……もし真実をお知りになりたいのであれば、フェンネル様ご自身で旦那様にお尋ねになるのがよろしいでしょう」
そう言い残し、執事は恭しく一礼して部屋をあとにした。
* * *
ユリウス様がしばらく不在の間、私は一人で屋敷を任されることになった。
最初の何日かは、広大な屋敷を散策して回り、どこに何があるのかを把握することに努めた。
数日かけてようやく、この屋敷の配置や設備をひと通り覚えたと思う。それほどまでに、この屋敷は広大で、類を見ないほどの豪奢さを誇っていた。
故郷では誰もがこの地を恐れて嫌煙していた節があったけれど、実際に来てみれば、そのスケールと荘厳さにただ驚かされるばかりだ。
_そうして数日が過ぎ、ようやく屋敷での暮らしにも慣れ始めた頃。この日は家臣たちが、「せっかくですから街の様子をご覧になっては」と、私に馬車を用意してくれたのだった。
そういえば、ここへ来てからまだ一度も屋敷の外を出ていなかった。屋敷から街までは歩ける距離ではないし、これまで広い屋敷を見て回ることに夢中で、外のことまで気が回っていなかった。家臣たちの心遣いが嬉しくて、私は誘いを受けることにした。
* * *
この屋敷から一番近い街は、私が最初に降り立った北の駅と屋敷の、ちょうど中間にあるという。そこまでは荒野を抜け、やがて鬱蒼とした森の中を通る道が続いていた。
ところが――森に差し掛かったところで、馬車が突然止まった。
「奥様、この先の道で何かあったようです。様子を見てまいります」
御者がそう告げて馬車を降りた。私は心配になって、窓の外を覗き込む。森の小道の前方には、何人かの村人が集まって右往左往していた。
「この先の道で、昨晩の嵐によって倒木が道を塞いでしまったんです」
「かなりの巨木で、撤去するには数日かかるでしょう」
「馬車は通れません。もう一方の道を行くにも、大きく森を迂回しなければならず……今日中に街へは着くのは難しいと思いますな。」
「本日はお戻りを。屋敷の方々にもお伝えください。開通まではこの道には近寄らない方がいい」
私は馬車の中で、そのやり取りを黙って聞いていた。
やがて御者が戻ってきて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「奥様……申し訳ございません。そのような事情で、本日の街の散策は難しそうです」
「……ねえ、その巨木は、この先にあるのね?」
私はおもむろにそう聞き返すと、返事を待たずそっと馬車の扉を開けて外に降り立つ。
そして、倒木の方を見据えながら村人たちへと歩み寄った。
「その倒木を、私にも見せてください。
――もしかしたら、"私が何かお役に立てるかもしれません。"」




