誘拐
(……何が、起こったの?)
気がつくと、私はどこか見知らぬ暗い洞窟のような場所に押し込められていた。
両手は後ろ手に縛られ、うまく身動きが取れない。
倒れていた身体をなんとか捩じって周囲を見渡すと――自分以外にも、数人の男女が座り込んでいた。
彼らも同じように拘束され、ここへ連れてこられたらしい。
「ここは……一体……」
眠気眼で呟くと、そばにいた数人がこちらに気づき、私が起き上がるのを手伝ってくれた。
「ようやく気がついたようだな――」
状況を理解する暇もないまま、洞窟の入口の方から威勢のよい声が響き、私はびくりと身体を震わせる。
振り返ると、そこにはガラの悪そうな顔つきをした、粗野な男が立っていた。
「お前たちは主から“売られて”ここへ飛ばされてきた。今日から俺がお前たちの主人だ。自由になりたけりゃ、俺のために足繁く働け」
その言葉に、周囲がざわめいた。
「そんな……」
「旦那様が、私を見捨てたっていうのか……」
「こんな薄暗い洞窟で、一体何をさせるつもりだ……」
周りにいた人々は口々に不安や不満を口にした。
よくよく見えば、彼らは皆、貧しい身なりの使用人や労働者が多い。
私のような貴族、しかも幼い娘など――周りには一人もいなかった。
私は怯えながらも、できるだけ相手を刺激しないように言葉を選んだ。
「あの……私も状況がよくわかりません。
一体、ここはどこなのでしょう。どうして私まで連れてこられたのですか?」
震える声を抑え、私は“新しい主”を名乗るその男にそう尋ねた。
* * *
フェンネルが屋敷から忽然と姿を消したという事実は、瞬く間に屋敷中に広まった。
使用人たちは総出で敷地内をくまなく探し回ったが、どこにも見当たらなかった。
「一体、どこへ消えてしまったというのだ。
今朝までは確かに屋敷にいたはずなのに……」
ユリウスは憤りを隠せなかった。
「屋敷内にはどこにも見当たりませんでした。
ただ、納屋につないでいた馬が一頭、姿を消しておりまして……装備も一式なくなっております。
もしかすると、一人で外へ出られたのかもしれません」
執事はそう推測した。
「用事もなく、誰にも言付けもせず……なぜいきなり屋敷を飛び出す必要がある?
そんなこと、考えられない」
ユリウスには理由がわからなかった。
「近隣の街まで使いを出して、周辺を捜索させてくれ。一人で出ていくなんて、あまりにも危険すぎる」
ユリウスの指示を受け、使用人たちは四方へ散っていった。
静まりかえった部屋に一人残され、ユリウスは深く頭を抱え込む。苦悩と焦燥が胸を締めつけていた。
そんな時、戸口のところにエルミールが現れ、静かに告げた。
「……ユリウス様。
実はわたくし、姉が出ていった理由について心当たりがありますの」
「心当たり……?」
ユリウスは顔を上げた。
「はい……」
エルミールは、彼の隣へ寄り添うように立つと、甘い囁きを落とした。
「実は、以前から姉に相談を受けておりましたの。
“ユリウス様との関係に満足していない”――と」
「フェンネルが……?」
ユリウスは信じられないという表情を浮かべた。
「姉は昔からそうでしたわ。
“自分にはもっと高貴で魅力的な男性がいるはずだ”と、自分から縁談を断ったり、
ぞんざいな態度をとってお相手を困らせることも多くて……」
エルミールは悲しげに眉を下げて続けた。
「もちろん、わたくしはあなたの価値を十分に理解しておりましたから、この縁談は逃してはならないと説得したのですけれど」
ユリウスは目を伏せたまま、言葉を失っていた。
「もしかしたら……わたくしがここへ来たことで、姉の不満をより募らせてしまったのかもしれませんわ」
「どういう意味だ?」
「だって……わたくしの夫、エドワード様は、もともと“姉の縁談相手”だった方。
わたくしが幸せそうにしているのを見て、姉は嫉妬して自暴自棄になったのかもしれません」
「フェンネルが……君にそんなことを言ったのか?」
ユリウスは、なおも信じられないといったように問い返した。エルミールは、真剣な眼差しのままコクリと頷く。
「ええ。間違いございませんわ」
ユリウスの胸に、重たいものが落ちた。
思い返せば――
出会った当初、彼もフェンネルに冷たく当たってしまったことがある。自分の呪いのせいで、フェンネルに不自由な思いをさせてしまった時期もあった。
確かに、最近のフェンネルはどこかよそよそしかった気がする。昨晩だって、彼女はエドワードと親密そうに話しているのを目撃したし、理由を尋ねても彼女ははぐらかしたように思う。そう考えれば、辻褄が合うような気もしてきた。
「自分の姉ながら……何てわがままな方かしら、と。
あなたに無礼な態度を取っていたこと、妹として謝罪いたしますわ」
エルミールはそう言うと、念押しするようにユリウスへと身を寄せた。ユリウスが何も返す言葉が見つからないでいるのを見て、エルミールは密かにほくそ笑んだ。




