核を破壊する魔法
フェンネルは続いて、屋敷の庭園へと足を向けた。
そこには広大な面積いっぱいに、芝の絨毯が青々と敷き詰められている。
芝刈りに勤しむ庭師の使用人たちが何人か作業に当たっていたが、私はここでも魔法を駆使して勝手に芝刈りを飼って出た。季節は秋だが、芝はいまだ青々と茂っていて手入れに余念がない。
ここでも速攻で芝刈りを終えてしまうと、ぽかんと立ちすくむ使用人たちを横目に次の雑務はないかと屋敷中を徘徊する。
しかし、屋敷の使用人たちは皆、熱心で勤勉なようだった。私の手を借りずとも仕事をきっちりこなしており、なかなか次の仕事が見つからない。
ふと、思い立ってフェンネルは屋敷の外にある雑木林の方へと入っていった。
この屋敷は、屋敷を背にして後ろに高い山がそびえ立つ斜面に建てられている。裏手は広大な森になっており、その山を含めてが屋敷の敷地ということになるのだ。
迷子にならないように獣道を少し進んでいくと、遠くの方から何やらガサガサと何かが動く音がした。
私は心臓がどきりと高鳴るのを感じた。恐る恐る振り返ると、前方に野生の鹿が出現した。
(……なんだ、ただの鹿だったのね。)
私はホッと胸を撫で下ろした。鹿は、こちらに気付いて最初は警戒して様子を伺っていたが、私が何もしないとわかると、傍にあった草をかじり始めた。その穏やかな姿を眺めているうちに、ふと私は昨日読んだ書物の一節を思い出した。
(この世のすべての物質には、その中心に“核”と呼ばれるものがあり、
それを破壊されたものは内側から崩壊し、二度と再生することはない――)
その言葉が頭の中で鮮明によみがえり、興味をもった私は試しに鹿に意識を向けてみた。魔法が発動しないよう注意しながら、そっと手をかざして意識を集中させる。
すると――不思議な感覚に包まれた。
再び目を開けると、先ほどと世界の見え方が変わる。鹿の体の輪郭が薄く透けて見え、その内側で鼓動する心臓の音や、静かな呼吸までもが感じ取れるようだった。
さらに目を凝らすと、鹿の胸のあたり――心臓の上に、かすかに光る塊のようなものが見えた。
(あれが……“核”なの? もし、あれを破壊したら――。)
一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、私はすぐに手を下ろした。
(まさかね。私なんかに、そんな上級魔法が使えるはずないわ。)
核を破壊する魔法は、破壊魔法の中でも最上位に分類される。いきなり私なんかにできるわけがないだろう。まずは自分の力のコントロールと修練が先だ。そう思って、私は果樹園をあとにした。
* * *
再び仕事を探して屋敷の方へ戻ってくると、資材置き場のあたりで木こりたちが薪割りをしているのが目に入った。私はちょうど良い機会だと思い、彼らの作業を手伝うことにした。
あっという間にそこらにあった丸太は全て小さく切り揃えられ、今季の冬を乗り切るには十分すぎるほどの薪を割り終えてしまった。こうして、いよいよ本当にやることがなくなってしまったのだ。
日も傾き始め、空が茜色に染まりつつある。そろそろ屋敷へ戻ろうと腰を上げたそのとき――
背後から、誰かの気配を感じて振り返った。
「……ここにいたのか。」
穏やかな低い声が響く。
そこには、ユリウスが立っていた。執務を終えたばかりなのだろう。
今日はいつものフロックコートのよそ行きではなく、よくのり効いたシャツにウェスタンベストというラフな装いをして佇んでいる。
「使用人たちが話していたぞ。
君が、あちこちで使用人たちの仕事を買って出て回っていると。」
ユリウスは私を見つけるなり、たしなめるように言った。
「ええと……はい。
でも、そろそろ屋敷に戻ろうと思っていたところなんです。」
私は、いいながらもじもじと後ずさった。
本来なら一端の貴族令嬢であり、しかも――たとえ仮初めとはいえ――彼の婚約者である身。そんな立場の人間が、使用人の仕事を手伝っているなど、叱られても仕方がない。
ユリウスは小さくため息をつき、呆れたように肩をすくめた。
「まったく……。能力を試してみたい気持ちは分かるが、あまり無理はするな。」
そう言いながら、彼はおもむろに私の手を取った。
不意の行動に驚いて顔を上げると、ユリウスが握りしめていた私の手先は、雑務を手伝ったせいで擦り切れていることに気がついた。
(こ、これは…。 またしても婚約者として失格だわ……。)
私は恥ずかしさで頬が熱くなる。
「すみません…。分不相応なことをしました_。」
言い訳のように呟くと、ユリウスは何も言わずに私の手を両手で包み込んだ。
すると、その掌からじんわりとした温もりが広がる。
ユリウスが治癒の魔法で私の手の擦り切れた傷を直しているようだった。
「__今回に関しては、使用人たちも皆、喜んでいたようだから許そう。
屋敷の管理は彼らに任せきりにしていた。人数も少ない中でよくやってくれているが、負担が大きいようなら、もう少し人手を増やすことも考えよう。」
「だが_。」とユリウスは少しだけ声を引き締める。
「_今後は、危険なことは控えるように。」
「……はい。」
そう言って、ユリウスはおもむろに私の方に手を伸ばすと、右手で私の頭にそっと触れる。どきりとして見上げれば、彼はそのまま私の髪をなぞるようにして片手で私の頬を包みこんだ。
「まったく、少し目を離すとすぐどこかへ行ってしまう。探すのに苦労したよ。」
私の身を案じて、諭すようにそう言ったのだろう。しかしそんなふうに至近距離で顔を覗き込まれながらそう言われ、私はどきりとして返す言葉を失ってしまった。




