裏庭の果樹園
ユリウスはその後、屋敷には戻らずに再び外遊へと旅立っていった。それからしばらくはまた、屋敷での静かな日々が続いた。
ある日のこと。
不意に私は屋敷の外を探索してみようと思い立った。以前に町でユリウス遭遇した際、彼は私がこの土地の料理や特産物に興味を示しているのを覚えていて、こんなことを教えてくれたのだ。
――屋敷の敷地の裏手に広がる山々。あそこに昔、屋敷が農園として運営していた場所があり、今でも果樹の木々が毎年たくさんの実をつけるのだという。また、周囲の畑にはこの地域特有の野菜が自生しており、時おり料理人たちも食材として収穫しているらしい。
その話を思い出した私は、メイドの一人を連れて屋敷の裏手へ出かけることにした。もっとも、そのメイドは明らかに気乗りしない様子で、フェンネルの誘いに渋々ついてきたといった具合だった。
彼女――メイドは本音を言えば、私に同行したくなどなかった。
昨今、屋敷の中ではすでにこんな噂が立っている。
新しい婚約者であるこの娘も、旦那様と同じように“魔力を持つ者”なのだと。しかも、先日森の街道を塞いでいた巨木を、たった一人で破壊したという話まで広まっている。
「なんて恐ろしいのかしら……」
メイドは思わず背筋を震わせ、息をのんだ。
この北の地では、魔力を持つ者など滅多にいない。
旦那様も、そして今の婚約者も、内地からやってきた“よそ者”だ。王都では能力者が珍しくないと聞いたが、ここ北の地の民にとっては“力を操る者”など魔物のような存在でしかない。
_しかも、旦那様には恐ろしい“呪い”がある。
以前お戻りになったときもそうだった。旦那様に触れた使用人たちは、皆ひどい激痛に襲われ、気を失ったり体調を崩したりしてしまうのだ。今まで何人もの使用人や婚約者がこの屋敷を訪れたが、そのすべてが彼の呪いを恐れて去っていった。
メイド自身も、もとは貧しい北地の農家の娘だった。
幼い頃から両親の借金を返すために働き続けてきた彼女には、この仕事を辞める余裕などない。それでも――毎日、恐ろしい“人ならざる者”のそばで働くことに、もう心が擦り切れそうになっていた。
そんな中、今度の婚約者ときたら……。
”旦那様の呪いが効かない特異な体質”だというではないか。
確かに、あの晩餐の席で旦那様が彼女の肩に手を置いたとき、彼女は何の反応も見せなかった。普通なら、触れた瞬間に倒れてしまうはずなのに。
(やっぱり……この娘も旦那様と同じ普通じゃない。“魔物”かなにかなのよ。)
そう確信したメイドは、顔面蒼白で森を進みながら、ひとり密かに嘆いていた。
そんな彼女の心中など知る由もなく、フェンネルは楽しげに足を進めていた。ユリウスから聞いたとおり、屋敷を抜けて裏手の山へと続く小道を歩いていく。
風は心地よく、緑の香りが鼻をくすぐる。
しばらく進んでいくと、急に視界がひらけて道中とは異なる様々な植物や木々が生い茂る場所に出た。
* * *
広く開けたそこは、まるで畑のように整備され、きちんと耕されていた。使用人たちが植えて手入れをしているのだろう。そこには、様々な種類のハーブや野菜が青々と茂っている。
また視界の奥の山の斜面には果樹園が広がっていた。
木々にはリンゴや梨、ぶどうのほか、故郷では見かけない珍しい果実まで実っている。季節は夏の終わり。枝という枝には、零れ落ちそうなほどたくさんの果実が鈴なりに実っていた。
「ここもすべて、お屋敷の敷地なの?
なんて広いのかしら……!」
フェンネルは感嘆の声を上げた。
「お嬢様、あまり遠くへ行かれるのはおやめください。この辺りには、凶暴な野獣が出没すると聞きます。」
お供のメイドはおっかなびっくりといった様子だったが、フェンネルは気にも留めず果樹園の方へ進んでいった。
「こんなにたくさん実っているのに、とてもお屋敷の人たちだけでは食べきれないわ。
あとでもっと大きなかごを持ってきて……今度、町の人にも振る舞ってあげましょう。」
今日のフェンネルは、小さな手製のかごをメイドに持たせただけの軽装備だった。目の前に広がるのは、食べきれないほどの豊かな作物と果実。
このまま放っておくのは、あまりにももったいない。
いくつか美味しそうな果物を摘んで屋敷に持ち帰ろうと、手を伸ばした――そのときだった。




