表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の挽歌  作者: zazie
4/4

第三章

この当時、近藤勇は頻繁に多摩の村々へ出稽古に出掛け、 剣術を教えて歩いていた。

近藤が来ないときは、代わりに沖田や土方が出向くのである。


但し、お世辞にも沖田は稽古の付け方が上手いとは言えなかった。

なまじ自分ができるものだから、人が教えた通りにできないのが苛立たしくてならない。

自然と言葉は乱暴になるし、指導も厳しくなる。

沖田が来るときは恐ろしがって道場に現れない門弟もいた。


「今日は何人休んだ?」

帰りがけに立ち寄った多摩川で、土方がからかうように吹っかけた。

「知りませんよ、いちいち勘定しているわけじゃないんですから」

川の水で洗った顔をぶるっと震わせながら、沖田はふてくされて言い返した。

「私は近藤先生とは違いますから、こういうことには不向きなんですよ」

「そんなこと言ったところで始まらねえだろ」

「むしろ土方さんのほうが向いていると思うけどな、私は」

「俺は駄目だ。器じゃねえ」

と、土方は石ころを拾って川面に投げ付けた。

土方はそう言うが、沖田は、土方には人を惹き付けてやまない、何かとてつもない力があるような気がしていた。

「帰るか、そろそろ」

「ええ、久しぶりに日野(こっち)へ来たから、姉さんの所へ顔でも出して行きますよ」

土方は何も反応を示さなかった。

「土方さんも一緒に行きませんか」

と、沖田は誘ってみた。

「俺がお光さんに会ってどうするんだよ」

おかしな奴だというふうに土方は笑った。


二人は途中で別れ、土方は佐藤彦五郎家へ、沖田は姉の光の家へ、それぞれ向かった。

佐藤家は土方の姉・のぶの嫁ぎ先である。

土方の生家も「お大尽」と呼ばれるほどの豪農だが、佐藤家も日野では負けず劣らずの名家である。

幼い頃に両親を亡くした土方は、佐藤家当主の彦五郎とのぶの姉夫婦を親代りとして、 何かと世話になってきた。

光は沖田より十も年上で、夫の林太郎と共に日野で暮らしている。

土方と同様、早くに両親に先立たれた沖田にとって、光は母親代りのようなものだった。

光は近在でも評判の美人で、沖田にとっても自慢の姉である。


沖田は往来を歩きながら、土方はあとでこっそり光の顔を見に行くかもしれないと思った。

沖田はもうずっと前から、土方が光にかなわぬ恋心を抱いているのを知っていた。

夫の林太郎が近藤勇の養父・周斎の門弟だった縁もあり、 光は一時期、試衛館によく出入りして、掃除や洗濯などを買って出ていたことがある。

土方と光が知り合ったのもその頃のことだ。

もっとも、そのとき既に光は結婚していた。

沖田は、自分は人を好きになったことがないくせに、他人の恋心には敏感という妙なところがあった。

幸か不幸か、 奈美の気持ちに気付いてしまったのもそのためである。


沖田が日野でそんなことを考えていた頃、江戸の試衛館でもちょっとした出来事があった。

渋谷総司が試衛館を訪れたとき、それは起こった。


その日、沖田は出稽古、食客達もそれぞれ出払っていて、 たまたま不在だった。

声をかけたが誰も出て来ないので、 渋谷が諦めて引き返そうとした時、いきなり奥からぬっと奈美が姿を見せた。

まさか若い娘が現れるとは夢にも思わなかったので、渋谷は驚いた。

「どちら様ですか」

奈美は怪訝そうに尋ねた。

道場にやって来るのは食客連中の知り合いに決まっているから、自然と態度も邪見になる。

「私は渋谷総司と申す者ですが、沖田総司様はご在宅ですか」

渋谷は少しどぎまぎしながら言った。

「沖田様のお客様ですか」

とたんに奈美の顔がぱっと輝いた。

奈美はもともと器量はいいほうである。

表情が明るくなればそれだけ印象も良くなる。

ましてや普段の奈美を知らない渋谷に、奈美がとりわけ美しい娘に見えたのも当然のことだった。

「あいにく沖田様は出稽古に出掛けておりまして、あと二、 三日は戻らないと思いますが」

「そうですか」

「沖田様がお戻りになったら、お訪ねがあったとお伝えしておきましょうか」

「いや、結構です。また日を改めますので」

渋谷は断ったが、これで沖田と話す機会が持てる奈美は、 有無を言わさず畳み掛けてくる。

「あの、お名前は何とおっしゃいましたでしょうか」

「あ…、渋谷総司と申します」

「そうじ、はどんな字をお書きになるんですか?」

「総領の総に、司るです」

「まあ、本当に沖田様と同じお名前なんですね」

「ええ、はい…」

そんなやり取りを続けながら。渋谷はなぜか自分でもわけがわからないくらい、しどろもどろになっていた。

「それでは、私はこれで失礼します」

頭を下げると、慌ただしく踵を返した。

が、ついと振り返って、

「あの」

「はい?」

奈美はまだその場に鎮座したままニコニコしている。

「失礼ですが、貴方は沖田様のご兄妹ですか」

「いいえ、私は近藤勇の娘で奈美と申します」

渋谷がそんな勘違いをしたのがおかしかったのか、奈美は笑った。

渋谷は気恥ずかしさで赤くなったが、つられて笑った。

笑い合ったことで、いつしか二人の間には打ち解けた和やかな空気が流れていた。

しかし、渋谷は同時に、奈美が沖田の身内ではなかったということに、やや落胆してもいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ