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風の挽歌  作者: zazie
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第一章

「気に食わねぇ小僧だな」

稽古の後、井戸端で諸肌脱ぎになって体を拭いていた土方歳三が、いまいましそうに呟いた。

「何が気に食わないんですか、土方さん?」

その傍らで、何をするでもなく居付いていた沖田は、わざとらしくとぼけてみせた。

「山南が連れて来た渋谷とかいうガキだよ」

何を分かりきったことを、と言わんばかりに土方は沖田を睨みつけた。

土方にとっては、山南と関わりがあるというだけで忌み嫌う対象になるらしい。


山南のほうはどうか知らないが、少なくとも土方は山南を好いてはいない。

山南は温厚な性格で、学問があり弁も立つが、それがかえって土方のような男には鼻につくのである。


「総司、お前あのガキのことを知ってたのか」

「ええ、名前だけはね。玄武館に君と同じ名前の青年がいるからぜひ会せたいって、山南さんによく言われてましたから」

「ただそれだけのことで引き合わせようっていうのか。いかにも山南の考えそうなことだぜ」


土方はまだブツブツ言っている。

沖田はそういう土方がおかしくて仕方なかった。

キザな女たらしで鳴らしている土方にも、こんな子供じみた一面があるのだから、笑いも込み上げてくるというものだ。


「何がおかしい」

土方はぎょろりと目をむいた。

「大丈夫ですよ、土方さん」

「だから何がだ」

「渋谷総司よりも土方さんのほうがずっと男前ですから」


この野郎!と怒鳴って、土方は絞った手拭いを沖田に投げつけた。

もっとも心底腹を立てているわけではない。

何だかんだと言いながら、土方は沖田を弟のように可愛がっているからだ。

沖田にとっても、土方は兄のような存在なのである。


沖田はひょいと身をかわし、手拭いは地面に転がり落ちた。

その転がった先に、いつの間に現れたのか、少女が一人立っていた。

近藤勇の娘の奈美である。

奈美は手拭いを拾うと、射るような視線を土方に向けた。


「お夕飯の支度ができましたけど」


土方は好き嫌いが如実に顔に出るたちである。

奈美を見るなり、たちまち表情が険しくなった。


「ああ、今行く」

返事はしたものの、身支度を整える様子はない。


「一緒に食べていただかないと片付きませんから、早くしてください」

奈美は憮然として、手拭いを井戸がまちに置いて立ち去ろうとした。


沖田は脇へ退いていたので、奈美には姿が見えなかったらしい。

井戸の側まで来た時、奈美の視界に沖田が飛び込んできた。

上半身裸の土方を前にしていながら顔色一つ変えない奈美が、なぜか沖田を見た途端にひどくうろたえて、逃げるように去って行った。


近藤勇はこの年・文久二年に妻・つねとの間に瓊子たまこという女の子をもうけているが、奈美は養女である。

近藤家にもらわれてきたのは、まだ近藤がつねと所帯を持つ前のことだ。

近藤の生家である宮川家の遠縁の娘だが、身寄りがなく幼い頃から親類縁者を転々とした揚げ句、いよいよ引き取り手がなくなったという時に、近藤勇が養女として迎え入れた。


そうした複雑な境遇のせいか、無口で無愛想で、十六の娘らしさというものがまるでない。

もちろん血の繋がりはないものの、そういうところは母親のつねにそっくりだった。

つねもまた、愛嬌のない無粋な女だからだ。

奈美のほうはよく見るとなかなか可愛らしい顔立ちをしているのだが、いつもつねといるせいか、ますます無愛想に磨きがかかっているようですらある。


口の悪い原田左之助などは、

「近藤さんはああいう女どもに囲まれて、よく平気でいられるものだな。俺だったらとっくの昔に追い出してるところだぜ」

などとけしからんことを言っている。


つねも奈美も道場のことにはほとんど関心がなく、それどころか試衛館の食客たちの存在を疎ましく思っている節があった。

但し、つねは「近藤勇の妻」という立場上、そこはうまくやっているが、奈美は若い娘なだけに頑ななところがあり、食客連中を露骨に嫌っていた。

天然理心流は田舎剣法だから、門弟も荒っぽくて口も悪い者が多い。

そういう連中が家中にごろごろしているのだから、奈美が嫌がるのも無理はなかった。


それでいて奈美は、山南や沖田のような温厚な性格の者には明らかに親しみを持っているのである。

そういう極端な態度が、嫌われている土方にしてみれば面白くないのは当然で、「可愛げのない女だ」ということになる。


沖田は走り去った奈美を土方が不審がりはしないかと、気が気でなかった。

沖田は以前から、奈美が自分に対して、明らかに親しみ以上の感情を抱いていることに気付いていた。

奈美は態度が露骨なだけに、変に周りに誤解されてしまうようでは厄介だ。


「ここにもいけすかねぇのが一人いやがった」


近藤にはとても聞かせられない言葉である。

沖田の危惧はどうやら取り越し苦労のようだった。

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