序章
その少年に初めて会った時、沖田総司は、自分と同い年か、もしくは年上だとばかり思っていた。
後になって、まだ十七だと聞いて驚いたほどである。
沖田は十九だったが、その言動から歳より幾分若く見られることが多い。
沖田自身、それを自覚していて、人を見る時も常に基準をそこに置いていた。
少年が大人びて見えたのもそのためだった。
少年は、ある日突然沖田の目の前に現れた。
いつものように試衛館に道場荒らしがやって来た時のことだ。
いつものように、というのはそれが日常茶飯事だったからである。
この試衛館(天然理心流)は、江戸三大道場と謳われる玄武館(北辰一刀流)、練兵館(神道無念流)、士学館(鏡心明智流)などとは比べ物にならないほどの三流道場で、ほとんど無名に近い。
元々天然理心流は、武州多摩で広まった流派で、門弟も多くは農民である。
それだけに天然理心流は「芋道場」と嘲笑されることもしばしばだ。
道場荒らしは、そうした噂を聞き付けてやって来るのである。
意気がった農民連中をちょっとからかってやろう、くらいの気持ちなのだろう。
大抵は飯でも食べさせるか、金を与えるかして追い返すのだが、それでも手に負えない時は、道場主の近藤勇と親しい、練兵館の渡辺昇に助太刀を頼む手筈になっていた。
近藤自ら立ち合うことはまずない。
もし万が一負けでもしたら事だからだ。
いささか情けない話ではあるが、無名道場だからこそ体面を守るだけでも必死なのである。
しかし、その日に限って当の渡辺昇がたまたま不在だった。
助太刀など本来進んで引き受けるようなものではない。
渡辺だから融通がきくのであって、練兵館の他の者に頼むことなどできなかった。
道場荒らしの男は、早く立ち合わせろと息巻いている。
仕方なく門弟を数人出したが、ことごとく打ち据えられてしまった。
いよいよ沖田総司か土方歳三、或いは永倉新八、原田左之助といった精鋭の者たちの出番か、という時になって、山南敬助が動いた。
玄武館に使いを走らせ、誰か人をよこすよう仕向けたのである。
山南は今でこそ試衛館の食客だが、元々流派は北辰一刀流だ。
そして山南の呼びかけに応じてやって来たのがその少年、渋谷総司だったのである。
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渋谷総司が試衛館に姿を見せると、誰もが色をなした。
こんな小僧を連れて来て、山南は一体何を考えているのだという表情が、どの顔にも表れていた。
しかし、顔色を変えたのは道場荒らしの男も同じだった。
渋谷を見るなり、急に腰が引けたような態度になった。
そして、立ち合うことなくすごすごと退散してしまったのである。
みんな呆気に取られたが、渋谷だけは笑っていた。
「あの男は以前、我が千葉道場にもやって来た道場荒らしですよ。散々打ち負かされただけに、決まりが悪かったんでしょう」
「君がその時立ち合ったのか」
近藤勇が尋ねた。
「いいえ、私ではありません。相手になったのは道三郎先生です」
この頃千葉周作は既に亡く、玄武館はその息子である道三郎に引き継がれていた。
「それならなぜ君を見て逃げ出したのだ」
「あの場に居合わせた私の顔を覚えていたんですよ、きっと」
かつてない隆盛を極めた幕末の剣術において、名実ともに最高水準を誇る北辰一刀流の門弟であることの表れなのか、渋谷は近藤らを前に全く物怖じする様子もない。
とにかく、この場は何事もなくおさまったわけだ。
本来なら、助太刀に来てくれた者に、奥で酒でも振る舞うことになるのだが、相手がまだ少年とあってはそうもいかない。
山南は、道場の片隅で一部始終を傍観していた沖田を呼び寄せ、渋谷を紹介した。
「山南さんからかねがね貴方のお話はうかがっておりました。お会いできて光栄です」
渋谷総司は人懐っこい少年だった。
まだ幼さは残るものの、引き締まった顔立ちをしている。
笑うと口元から白い歯がこぼれ、それがなんとも愛くるしい。
「沖田君も若いながらに相当使うが、渋谷君もかなりのものだよ。ぜひ一度君たちを立ち合わせてみたいものだ」
「そうですね。私からもお願いできますか」
山南も渋谷も無邪気なものである。
沖田はあまり気が乗らなかったが、
「ええ、いずれ」
と答えておいた。
これが、沖田総司と渋谷総司――二人の「総司」の出会いだった。