目覚め #5
耳をつんざく絶叫。
人を殺すのはもちろん、痛めつけることすた初めてだ。
にも関わらず、心にはわずかな波紋すらない。
使える穴があればいい
そんな化け物の考えが浮かぶ。
同時にそれを否定しようとする、わずかに残った人としての倫理観。
何をいまさらと内心、鼻で笑うが、その葛藤こそが元人間であることの証明なのかもしれない。
視線を落とす。
痛みによる失神だろう。
すでに絶叫は収まり、開かれた口の端から泡を吹いていた。
力の抜けた執事を地面に降ろし、馬車の中をのぞく。
顔を青ざめさせ、歯の根を震わせながら下から液体を漏らすその姿に、もはや逃亡の意志は見られない。
1つ息を吐いた私は続いて戦場の方へも目を向ける。
すでに戦いは終わりに近づいていた。
戦士たちは倒れ、残っているのは傭兵2名。そのどちらも息絶え絶えであった。
盾使いが剣を振るう。力の乗っていない一撃はたやすく弾かれ、その衝撃でバランスを崩した。
あっ、と盾使いが口を開く。その口が頭頂部に叩きつけられた石斧で無理やり塞がれた。
折れた歯をまき散らしながら倒れていく。
その顔に無造作に爪を突き立てられ、盾使いが悲鳴を上げた。
「■■■■!?」
大剣使いが何かを叫んだ。仲間の名前だろう。
応える声はなく、化け物どもによる撲殺ショーが始まった。
「ォォオオオオオ!!」
しかし、大剣使いは折れることがなかった。
裂帛の雄たけびを上げ、大剣を嵐のように振るう。
眼前にいた2匹の化け物をまとめて引き裂いた大剣使いはこちらに目を向けた。
目の端から血を流し、男は再度雄たけびを上げる。
地を蹴り、走る姿はとても死にかけているものに見えない。
猛然と迫る大剣使いに対し、私は静かに到着を待つ。
(遅いな)
命がけなのは明白。せめて一矢報いようと考えた動きだろう。
全身から血を吹き出しながら走る姿は迫力はあるが、それだけだ。
私には及ばない。
大剣使いが目前にたどり着く。両手で握った体験を頭上に掲げ、振り下ろす。
緩慢とすら感じる一連の動作。かわすことは容易い。
体を半分にずらし、拳を構えて、
(待てよ)
不意に生じた考え。
動きかけた体を止め、構えた拳を頭上に掲げる。
ちょうど剣の軌道に腕が当たるように。
まるで眩しい陽光を遮るような恰好。
音が急速に戻る。
今まで聞こえていなかったことのだと今さら気づいた。
大剣が風を唸らせながら迫る音が耳を打つ。
男の雄たけびが耳を震わせる。
剣が腕に触れ、皮膚に食い込む様子が鮮明に見える。
ゆっくりと、ゆっくりと皮膚がVの字になっていき、
パキン、と
音を立て、大剣の先がどこか遠くへ飛んでいく。
男の剣は、私の皮膚をわずかに押し込んだだけ。
この鋼のような肉体を突破する力量はなかった。
(ま、自分で言うのもなんだがな)
しかし、よくよく考えると不思議である。
自分の皮膚を触る。固さはあるも、とても鉄の剣を防げるとは思えない。
だが事実だ。防いだという事実が目の前にある。
(前々から感じていたが、この世界特有の力が理由だろうな。今回の戦いでそれも見れたし、良い収穫だ)
あの白いモヤは是非ものにしたい。
ついでにさっき見た魔法?も打ってみたい。
そんな考えを払いのけ、眼前の男の姿を見据える。
決死の一撃が防がれたためか、男は力なく呆然と座り込んでいた。
(じゃあな)
無造作に腕を振るう。
パン、と軽い音が鳴り男の頭部が爆ぜた。
決着は随分とあっけないものであった。
「■■■■■■!!■■■■■■!!」
喚き声が聞こえる。
何だ、と振り返ると化け物たちが馬車から少女を引っ張り出す光景があった。
すでに執事は抱えられ、運ばれている。
抵抗する少女の腹を化け物が殴りつける。ゴボッと口から吐しゃ物を出しながらうずくまる少女を、化け物たちは無理やり外へ出す。
地面に引き倒された少女の衣服が引き裂かれていく。いまだにえずいている少女は声すら上げることが出来ない。
たちまち裸にされた少女は口に縄をまかれ、運ばれていった。
彼女たちが迎える悲惨な末路を思い、合掌のポーズだけ取る。
直後馬鹿げているなと自嘲気味に嗤った。
(いつまで人でいたいと思っているんだか・・・)
一仕事終え、ようやく肩の荷が下りたと伸びをする。
見上げた空は青く澄んでいる。爽やかな風が頬を撫でていった。
戦闘面に関して言えば文句なし。自身の力量の程度も知ることが出来た。
(しっかし、流石人間って感じだったな)
明らかに身体能力が劣っているはずの人間。
だが実際は違った。
特にあの白いモヤが見えてからはまるで別格。複数の化け物相手に対等以上に立ち回っていた。
(先に弓使いを倒すことが出来たのは運がよかった。もし、あれがフルメンバーだったら───)
負けも有り得た。
そう感じさせられるほどの脅威だった。
(これ以上強くなるんだったら知るべきなんだろうが、化け物が知っているわけないしなぁ)
いや知っていたとしても伝えることが出来ないか。
ハァ、と息を吐きながら項垂れる。
誰か1人捕まえて聞き出すべきだったか?いや、言語が分からないからそれも無意味か。
これ以上強くなることに意味があるか、と聞かれると答えはYESだ。
正直化け物内では私の力は2番手だ。今では、あの鹿とすらまともにやり合えるだろう。
だが、もしかしたら井の中の蛙かもしれない。
現に、人間は謎の力を使うことで飛躍的に強くなった。
戦った連中は、この世界では底辺レベルの奴等かもしれない。あれ以上がいても不思議ではない。
たらればを上げればキリがないが、弱いままでいることのメリットが何一つない世界だ。
どうしたものかと顔を上げ、戦場を見回す。
血の匂いが鼻腔をつく。正直、今でもいい匂いとは感じたことがない。
というか今さらだが、化け物たちの飯を美味いと思ったことがない。
(不味すぎて吐き出すってことはないが・・・あぁ~いい感じのステーキが食いてぇ)
一度だけ取ってきた獲物を焼いて食べたことがあるが、調味料がない肉はただ寂しかった。
人間としての味覚が残っているのか、それとも化け物の味覚になっているかは分からないが、とにかく美味いものが食べたいなと思う。
(って、考えたら腹減ってきたな。飯飯・・・)
革袋から持ってきた非常食を取り出し、口に運ぶ、
───直前でピタリと手を止める。
(待てよ)
視線を前へ。正確には地面に転がる死体へ。
化け物は悪食だ。なんでも食う。
にも関わらず、奴らは死体に一切目を向けず女を運ぶことを優先した。
もちろん命令だから、と考えられる。
しかし、それは無い。確かに命令に逆らうことはないが、本能に逆らうこともない。
これだけの戦闘後だ。腹が減っていないはずがない。
(気になるな・・・)
化け物が気にもかけないぐらい不味いのか。
あるいは化け物にとって毒なのか。
普段であれば、そんなことはしないだろう。やるとしても誰か1匹を生贄にして試す。
思えば、初の対人戦で昂っていた部分があったのだろう。
傍に落ちていた元大剣使いの体を削ぐ。
赤黒い肉の塊は、正直食欲をそそらない。
だが好奇心は収まらず、躊躇しつつ口に運ぶ。
肉が口の中でつぶされ、あふれた血と涎がまざった液体が顎を伝う。
それで無意識に口の中が涎であふれるほど期待をしていたのだと理解した。
味は不味い。体温による影響か妙にぬるく、獣肉とは違う独特な臭みがのどの奥まで広がる。
最悪だと思いつつ、吐き出すことはなかった。
食べ物を粗末にしない。そんな殊勝な心掛けではない。
ただ何となく吐き出すことがなかっただけ。
噛み砕いた肉を嚥下する。
喉を伝う感覚すら不快だった。
口の端の液体を拭い、僅かな後悔を感じた時だった。
───ドクン
心臓が不意に勢いよく跳ねる。
何が、と思う間もなく身体を襲う高熱。
気付かないうちに口から声が漏れていた。
(熱い───熱い熱い熱い!)
やはり毒だったか!?
そう思うも遅い。
何とか吐き出そうとえずいてみせるが意味はなかった。
このまま死ぬのか、そう思い目を瞑る。
(───いや、待てよ)
熱い。まるで燃えるように。
しかし、痛みがなかった。
目を開いた私は、自身の手のひらを見つめる。
(この感覚は───)
身体を襲う熱が徐々に冷めていく。
代わりに湧いてくる、この高揚感。
(これは───ッ!?)
ドクン、と。
再度心臓が跳ねる。
しかし、先ほど感じた焦りはもうない。
頭が白に染まる。
たちまち胸を染める極限の興奮。そして万能感。
拳を握る。
衝動のまま地面に向かって叩きつけた。
ドン、と。まるで巨人が地面を叩いたかのような衝撃に周囲の木々が揺れる。
叩かれた部分にはクレーターが出来ていた。
「フ───フフ」
全身に力を籠める。
あの傭兵たちのように白いモヤが見えることはなかったが、自身のパワーが上がっていくのを感じた。
(間違いない)
レベルアップした。
それも劇的に───!
バッと戦場の方へ視線を向ける。
誰も手をつけていない死体の山。それが私にはご馳走の山に見えた。
(人だ───)
ずっと考えていた効率的なレベルアップ方法。
その答えが得られた。
(人を食うことで強くなれる!)
僅かに残っていた人としての倫理観が消えていくことも、もはや感じることはない。
何故人を食うことでレベルが上がるのか。
そんな疑問すらない。
ただ目の前のものを食らい強くなる。その考えしか頭に残っていなかった。
(もしやあれも───)
思い返すのはボスの寝床にあったもの。
あれもいらないのであればもしかしたら、そんな考えが浮かんでくる。
(いや、まずはこいつらだ)
雑念を払いのけ、足元にある大剣使いの死体を口元へ運ぶ。
ただ一心不乱に食らっていく。
骨の一片すら残さないと。そう言わんばかりに。
脳も、心臓も、肺も、肝臓も、腸も。
余すことなく平らげていく。
満腹になる気配もなく、1匹の化け物が死体を食う音のみが静寂の中響いていた。
◇◆◇
気付けば日が落ちており、長く伸びた影が街道に走っていた。
むさぼっていた死体から顔を上げる。
ゲフと息を吐き、口元を拭いながら辺りを見回す。
残っているのは目の前のもののみだった。
(我ながら入るもんだ)
あるいは食った直後から消化していっているのか。
腹はいまだ満たされず、名残惜しさを感じつつその場を後にする。
ここにきてようやく頭が回ってきて、自分の過ちに気付いた。
(っぶねー。他の人間が来てたらもしかしたら死んでたな)
本当に運が良いだけだった。
どうも興奮で、そういったリスクに頭が回らなかったらしい。反省だな、と内心で舌打ちする。
(もし人が何らかの手段で付近の敵を探る術があったらと思うと、なるべく急いで離れるか)
もしかしたら報復も有り得る。
なるほど、定期的に住居を変える理由もわかった気がする。
(そう考えるとボスはかなり頭が切れるな。いや、もしかしたら───)
私と同じ転生した人間か?
言葉が話せたら分かるんだが、と苦笑する。
(まぁ良い、か。転生者だとしたらこれほど頼もしい存在はいない)
強さもあり、知恵もある。
永遠の2番手ではあるが、それに不満もなかった。
記憶にある道をたどり、住処へ戻る。
洞窟の外にいる化け物の数はかなり少ない。というより、最低限の見張りしかおらず、その見張りもかなり不機嫌そうだった。
なるほど、と苦笑する。
(久しぶりのメスの追加で張り切っているのか)
あの洞窟の奥では何匹もの化け物による凌辱ショーが繰り広げられていることは間違いない。
幸か不幸か、時折ある抗いがたい獣欲は今のところない。
私を見つけ、心なし背筋を伸ばした見張りの横を通り抜け、洞窟内へ入る。
飯は・・・いらないなと判断し、自身の寝床へ向けて進んでいく。
幹部やそれに準ずる者のみ寝床が与えられており、もろもろ持ち込み可能だ。
奥へ進むと、遠くの方から絶叫が聞こえてきた。
(スゲェ声だな。いや、まぁ当たり前か)
何せ訳の分からない化け物に体を犯されているのだ。
しかし、やはりそこに同情心は湧かない。
ただ元気だなぁとぼんやり考える。
どんな風に犯されているのか興味がないため、寝床に戻った私は自家製の毛布にとっとともぐる。
遠征は思ったより、私の体を披露させていたみたいで、私の意識はすぐに闇の中へ溶けていった。




