5話
嘉内は腕を組んで黙り込んだ。当時は確かに科学も発展しておらず、神はまだ人々にも近い存在であった。そして、特殊な能力があるものなら神の有無や怪異の仕業かはわかるが、一般人にはそれは理解できず、たとえ自然現象であっても神や怪異のせいだと思い込んでしまう。この話は、まさにそういう思い込みが生んだ悲劇としか思えなかった。
「……ここの地域の伝承のことはわかりました。しかしそれが神隠しとどう繋がるのですか?」
眉間に深い皺を刻み込んだ麻倉が端的に答えを急く。麻倉としても聞いていて気持ちの良い話ではなかったであろうし、気持ちは分からんでもないがあまりにも直球がすぎる質問に嘉内は内心頭を抱えた。
高山はそんな麻倉の様子に苦笑しながら、ページをペラペラとめくり指を指す。
「本題はここからです。生贄を捧げ初めてから約三百年が経過した頃、まぁ大体江戸時代後期ですかね。ようやくこの地域でも治水工事が始まりました。山から流れてくる川は綺麗に整備され、川幅を広げ水深を深めたことにより氾濫が滅多に起こらないような川へと生まれ変わったのです。そうすると、生贄を捧げる必要もなくなりますからね。明治の初めに入る頃には生贄を捧げるという文化は無くなりました。ただ、丁度その頃から、山で遊ぶ子供が消える、という事態が発生したそうです。当時はまだ治安が悪かったですし、人攫いなども視野に入れて山狩が行われたりもしましたが、一向に子供が見つからない。そういうのが大体十年から二十年周期で起こったそうです」
「それで神隠し、ですか……」
「ええ。昔のことを知る老人たちは、川に宿る神の話を信じていましたからね。生贄を捧げなくなったのが原因だ、やはり子供を捧げるべきだと主張したそうです。まぁ流石に、もう時代がそんなことを許しませんでしたが」
高山は肩を竦めて戯けたように言う。確かに明治に入ってから徐々に人と神は距離を置くようになった。正確には人が神を信じなくなったと言うべきか。神を信じない人間には生贄文化は信じられないものだろう。否定されるのも頷ける話であった。
神隠しの成り立ちはわかったし、探すべき場所もおおよそ検討がついた。だがまだ何かが足りない気がした嘉内は、ふと思いついたことを高山に投げかける。
「かごめかごめについて、何か記載されたものはありましたか?」
「かごめかごめ、ですか? どうだったかなぁ……」
大量の資料をひっくり返しながら探す高山の様子をしばらく見守る。麻倉は何を思ったのか、テーブルの上に放置されたファイルを手元に寄せてペラペラと捲り、目を通す。すると、不意に軽く目が見開かれる。
「嘉内さん、これ」
呼ばれて麻倉の手元にあるファイルを覗き込めば、過去失踪事件が起きた場所が山の地図にバツ印で記載され、失踪の日時の記入もされていた。
バツ印はやはりと言うべきか川沿いに多く点在している。しかしそれは古い日付のものばかりで、ここ五十年の失踪はどちらかというと川から離れた麓の獣道に移動していた。
「失踪場所が少しずつ移動している?……どういうことなんでしょう?」
「最初は川の上流から始まり、次第に下流へ、それから下流脇の獣道へと移動し、少しずつ集落がある方向で起こるようになってきているな……。まるで山から下山してるようなルートだ」
明らかになんらかの意思が働いたような発生場所の変遷に、言い知れない不安を覚える。
「あぁ、ありました。すみませんお待たせして」
先ほどの印のことについて一人思考の海に落ちようとしていた嘉内を呼び止めるように、高山が朗らかに声を上げる。
紐で綴られた書物を開いた高山は、嘉内と麻倉の間にわかりやすく置いて指を指す。
「こちらが大体百年前の村人の日記になります。実はこの家を買い取ったとき、倉庫にこれが眠っておりまして、少ないですが神隠しに関する記述もありました。これによると、この日記の持ち主の息子さんが神隠しに遭遇し、友人を連れて行かれたようで、その時のことが書かれています」
高山が示す箇所は、少し古い文体で書かれていた。横目に麻倉がいまいち読み解けていないことを察した嘉内は、声に出してそれを読み上げる。
「先日の神隠しの件以来、息子が異様にかごめかごめを恐れるようになった。近所の子が歌っているだけでも恐怖から家に逃げ帰るほどだ。聞けばあの場に居合わせた他の子も皆そうだと言う。理由を尋ねても『連れて行かれるから』としか言わないため、妻と二人で困り果てるしかない。早く息子の心の傷が癒やされてくれるといいのだが……、か」
嘉内の読み上げた文章を咀嚼するように考え込んだ麻倉は、やはりよくわからないとばかりに首を傾げ、高山に尋ねる。
「これ以外にかごめかごめに関する記述はないんでしょうか?」
「そうですねぇ、今のところはこのぐらいでしょうか?」
麻倉の様子を見て少し申し訳なさそうにする高山に対し、嘉内は慌てて頭を下げる。
「すみません、わざわざ探していただいたのに。ほらお前も頭下げろ」
横にいる麻倉の後頭部に手を置き、グッと頭を下げさせる。勢い余ってテーブルと接触したようで、ごちんと鈍い音がしたがまぁ問題ないだろうと嘉内は判断した。見た目からは想像つかないぐらいのフィジカルモンスターなのでこれぐらいで怪我はしない、せいぜいちょっと額が赤くなっている程度だろうと予想する。
ちょっとくぐもった声で謝罪した麻倉は、頭を上げると嘉内の想像通りに少しだけ額の真ん中が赤くなっていた。憮然とした表情に似合わないその赤に思わず笑いそうになった嘉内だったが、今は人前だと言うことを思い出し口元を隠して咳払いすることで留まった。
目の前の高山はコントのような一連の動作を見せられても微笑みを崩さず、いいんですよとのんびり返す。
「そういえば、神隠しでずっと気になっていることなんですけどね」
そう興味を唆られる切り口で話しだす高山に、嘉内も麻倉も先ほど緩んだ空気を引き締めるように口元を結び表情を変えた。姿勢を正し聞く姿勢になった二人を見て満足そうにした高山は、静かにその続きを口にする。
「この神隠し、必ず二人以上いる時にしか発生しないんですよ。一人で山に入ってしまった子供は必ず生還している。用心して複数人で入った時にだけ、神隠しは起こるんです。不思議でしょう?」