4話
「あんな約束、いいんですか?」
少年の家を出て車に乗り込みハンドルを握った麻倉は、嘉内の方を見ずにそう問いかけた。嘉内も麻倉の方は見ず、窓の外を眺めながら「いいんだよ」とぽつりと返す。
「失踪した三科香那ちゃんが見つかる保証なんてどこにもない。ましてや生きて戻ってくる可能性なんて無いに等しいのに。恨まれますよ」
「それでもいいんだ。あの子は見ていて苦しくなるほど自分を責めている。俺を恨むことで自分を責める気持ちが少しでも減るなら、それでいいんだ」
麻倉は横目にそんなことをいう嘉内を見る。車窓を眺めているのでしっかりと表情が見える訳ではないが、窓に僅かに反射した嘉内の口角がうっすらと上がっていることに気がついた麻倉は、眉を顰めてそれからは何も言わなかった。
目的地は近く、車を五分も走らせればすぐについた。古民家といえる程度には趣のある佇まいの建物には、高山と表札が掲げられていた。
申し訳程度に後付けされたであろう呼び鈴を鳴らすも、一向に誰かが出てくる気配はない。留守だったか、と頭を掻いて踵を返した嘉内の背中に「あのぉ、」と声がかかる。
「うちに何か御用で?」
庭の方から首にタオルを巻いて鍬を片手に出てきた初老の男性は、汗を拭きながら二人に問いかける。警察です、と彰少年宅でやったように手帳を示せば、男性は少し目を瞠り、こんな格好ですみませんと頭を下げた。
通してもらった家には昔ながらの、という言葉が相応しいような土間や囲炉裏があり、古き良き風情を漂わせている。
二人を居間で待たせ、汗だくの作業服から清潔感のあるポロシャツへと着替えた高山は、氷で冷やした緑茶を二人の前に差し出すと、それで? と話を切り出す。
「こんなところまで一体どういう御用ですかな?」
「突然の訪問にご対応いただきありがとうございます。実は、最近起きました少女の失踪事件の件で伺いたいことがございまして」
「私が何か事件に関係しているとでもおっしゃりたいので?」
高山の目が鋭く細められる。嘉内は小さく首を振ると、本題を話し出す。
「いえ、高山さんはこの辺りに伝わる神隠しの伝承に詳しいかもしれない、と聞いたもので、その話を伺いに」
神隠し、と伝えれば拍子抜けしたようにポカンと目と口を開いた高山は、やがて小さく息を吐いた。
「そうでしたか……。すみません、実は以前訪れた警察の方に、私が攫ったのではと疑われまして……。またかと思って身構えてしまいました。どうやら私が余所者なのが気に掛かったようで……。当日は私も古い友人に会いに福島の方まで出向いていたのですぐにそんな疑いは晴れたのですが」
「それは……、申し訳ありません。警察は疑うのが仕事ではありますが、そんな偏見で犯人扱いするのは言語道断だと思います。代わりに私たちから謝罪させてください」
そう言って頭を下げた嘉内と麻倉を見て、高山は慌てたように言葉を重ねる。
「頭を上げてください! 致し方ないと思っております。なかなか女の子が見つからず警察の方も焦っていたのでしょう。そういう気持ちは理解できますので……」
そう言われてゆっくりと頭を上げる二人を見て、高山はほっと一息吐いた。
改めて、神隠しの話を聞きたいと言われた高山は、少し考えてからお待ちくださいと席を外し、奥の部屋から両手いっぱいにファイルや書類を抱えてきた。
「実は私がこちらに越してきたのも、この神隠しを調べたいと思ったからなんです」
そう言って差し出してきたファイルには、伝聞や伝承を取りまとめたと思わしき手書きの資料がわかりやすくまとめられていた。
「三十年ほど前でしょうか。私のゼミにこちらの地域出身の子が入ってきましてね。その子からここの神隠しの話について聞いたのです。神隠しというのは伝聞を調べていくと実はその地域の山賊が起こしていたですとか、口減しのために地元住民が神隠しを装ったですとか、そういうのが多かったりするのですが、ここの地域は発祥からして、そういうものとは異なるのです」
そうして指し示したのは、彼が独自に調べ上げたこの地域の神隠しのルーツが記載された場所だ。
「古い文献を確認すると、この地域は今から五百年ほど前、いわば江戸時代の始まりぐらいの時期ですが、頻繁に川の氾濫が起こっていたようです。当時は今と違い治水工事が行われておらず、川も曲がりくねって大変氾濫が起きやすいような状況でした。徳川のお膝元である江戸の城下街とは違い山奥でしたので、治水工事なども後回しにされてきたのです。当時の人が書き残した日記を調べましたが、ある日大雨で洪水が起こった夜、一人の子供が川で溺れ死んだのですが、その夜を境にパタリと、洪水が起こらなくなったと記載があります。大雨が降ると氾濫していた川が大人しくなり、少なくとも五年ほどは酷い氾濫が起こらなくなったそうです。ただ五年後、再び氾濫は起こった。その時大人たちは考えたそうです。また子供の命を捧げれば、神様が助けてくれるのではないかと」
「まさかとは思いますが、それがきっかけで子供を生贄に……?」
嘉内が恐る恐る尋ねると、高山はこくりと頷いた。
「おっしゃる通りです。その一回がある種の成功体験だったのでしょう。もしかしたら、という気持ちがあったのかもしれないですね。その夜、選ばれた子供が生贄として川に投げ込まれた」
あまりにも悲惨な話だ。大人の身勝手で罪もない子供が死ぬ。古い話であるとわかっていながらも胸糞の悪い話であった。傍で話を聞く麻倉も、眉間にどんどん皺が寄っていく。
「そしてまた、洪水はぴたりと止んだ。これも、大体十年ぐらいは起こらなかったそうです。このことを境に、川には神が宿っている、と大人たちは認識したようです。洪水は神の怒りであり、怒りを鎮めるためには子供の命が必要だと」