2話
少女の失踪届と一緒にいた少年の調書。どちらも読み終えた嘉内は難しい顔をして天を仰いだ。背もたれに体重をかければ、よく使い込まれた椅子は軋んだ音を出す。
「ちょーっと、厄介すぎないかこの案件……」
天を仰いだままそう呟けば、隣にいた麻倉は嘉内が机に放り出した失踪届と調書を拾い上げ、読み上げる。
「失踪したのは三科香那ちゃん。年齢は十歳、小学四年生。午後五時頃、共に下校していた同級生の倉持彰くんと小学校近くの山の麓にある獣道を通行中に失踪。彰くんの証言によると周囲に人影はなかったものの、ずっと複数人の子供の声でかごめの唄が聞こえてきていたと。所轄の生活安全課が総動員で山を捜索するも見つからず、誘拐の線も考えられたが犯人からの脅迫電話もなし、ですか……」
「経緯から考えて通常部署で扱える案件ではないと判断されてウチに回ってきた訳だけど、とはいえ久しぶりにハードな内容だな。最近は化け猫相手とか浮遊霊相手とか、そこまで人的被害が出ていないものばかりだったが」
「今回の失踪事件が起こった地域では、過去にも何度か失踪事件が起こっているようですね。そして誰も見つかっていないと……」
確かに厄介ですね、と無表情に嘉内の言葉を繰り返した麻倉は資料を嘉内の手に返した。
この部署が新設されて二年、麻倉がそこに配属されてきてからは約半年。嘉内のいうように確かにここ最近はこういう事件は少なかった。麻倉にとっては嘉内と邂逅した時の出来事以来とも言える大掛かりな事件だ。
この部署で取り扱う失踪事件というのは主に二つに分類される。すなわち神が関わっているかいないかだ。基本的に神がらみの案件は宮内庁管轄だが、向こうの手が足りずこちらでも対応できると踏まれた案件に関しては回ってくることがある。嘉内としては出来るだけ関わりたくない案件だ。神が関わっていないものは怪異や呪い、心霊の類になるが、人を失踪させられる程強力ということになるので、神案件に匹敵するほど厄介なことが多い。どちらにしろ嘉内としては遠慮したい案件だ。
手に戻ってきた資料をぼんやりと見つめながら、やりたくねぇ……と嘉内がぼやくと、背後からスパンっ! と小気味いい音と共に後頭部へと衝撃が走った。
「いっっってぇ‼︎」
「痛くなるように振り下ろしたんだから、当然ね」
たんこぶが出来たのではないかと思うぐらいに痛む頭を抱え、涙目になりながら振り向いた嘉内の目線の先には、丸めた資料を手に持った室長の渡辺が仁王立ちしていた。
痛みに呻く嘉内をよそに、麻倉と渡辺は何事も無かったかのように挨拶を交わす。嘉内がジト目でその様子を見ていると、それに気付いた渡辺は笑顔で嘉内を叩いた資料を手渡してくる。
「やりたくないなんて言わないの。気持ちはわかるけど、嘉内くんにやってもらわなきゃ困るのよ」
「はいはい、わかりましたよ……。これは?」
「一応先行して宮内庁側で神に関する案件かどうかは調べてもらった調査資料よ。神の残滓や神域化の兆候はなし。かなり昔に土着信仰はあったようだけど、実際にあそこに神がいた訳ではないわ」
渡辺からもらった資料をめくりながら話を聞いていた嘉内は、ある一文を目にして手をとめた。
「口伝え? 失踪に関する口伝えがあったのか……」
「そうね、そこについては時間がなくて詳しく調査できなかったのだけれど、その地域での口伝えがあったらしいわ。確か一緒にいた少年も、祖母から山に注意しろという話を聞いていたというから、それかしらね」
資料を見つめながら考え込んだ嘉内は、徐に立ち上がると、麻倉に資料を手渡す。
「ちょっと出てくる。行くぞ麻倉」
「あぁ、嘉内くんちょっと待って」
部署から出て行こうとした嘉内を呼び止めた渡辺は、胸ポケットから煙草の箱を取り出す。
「もう少なかったでしょう? 持っていって」
差し出されたそれを手に取ろうとした嘉内だが、横から麻倉が素早く奪い取った。
「おい」
「これは俺が預かります。あまり使ってほしくないので」
憮然とした表情で言い放ち、自身のポケットに仕舞い込む麻倉に嘉内は呆れるが、渡辺は楽しそうに笑い、うんうんと頷く。
「確かに麻倉くんに預かってもらった方がいいかもね。今度からは麻倉くんに渡すわ」
「勘弁してくれ……」
あからさまに肩を落とす嘉内の背中を笑いながら渡辺が叩く。そんな二人のことなどお構いなしに、麻倉は先に行きますよと怪異対策室から出ていくのだった。