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5話 小脇に抱える



 暗闇の中、ヘッドライトの光が二つの人影を捉える。

 キキキーッという耳を擘くようなブレーキの音が響いた直後――


「わあああっ! ごめんなさあいっ……!!」


 自分の叫び声で飛び起きてようやく、私は夢を見ていたことに気づいた。

 ドキドキと胸を突き破らんばかりに鼓動が脈打ち、背筋を冷たい汗が伝い落ちる。


「わ、私、気を失って……えっと、それから……?」


 服装がさらりとした手触りの真っ白いネグリジェに変わり、右膝には包帯が、額には湿布のような物が貼られていた。

 寝かされていたのは、やたらと大きなベッド。病室かと思ったが、アンティーク風の調度が並んだ高級ホテルのような一室を見回してその考えを打ち消す。

 そんな中、ふいに遠くからカーンと鐘の鳴る音が聞こえてきて、私ははっと我に返った。


「そ、そうだ! フェス! 今、何時っ!?」


 自分のスニーカーがどこにも見当たらないため、ベッドの脇に置かれていたルームシューズ風の布の靴を拝借してベッドから下りる。

 太陽の光がさんさんと射し込む掃き出し窓の側には、一人掛けのソファと小さなテーブルがあり、リュックは前者に、スマートフォンは後者に置かれていた。

 慌ててスマートフォンの画面をタップした私は、そこに浮かび上がった時刻を見てその場に崩れ落ちる。


「い、一時……フェス、もう始まっちゃったよぉ……」


 さっきの鐘の音は、おそらく時報だったのだろう。

 参加を予定していた音楽フェスの開会時刻もとっくに過ぎ、もはや本日のキッチンカーデビューは絶望的となった。

 せめて宣伝用SNSに開店延期の旨だけでも投稿したいと思ったが、あいにく電波表示は圏外のままだ。


「はあああ……」


 肺の中が空っぽになるくらい盛大なため息を吐き出した私は、力なくソファに座り直した。

 自分の不注意が招いたこととはいえ、どうしようもなく気分が落ち込んでしまう。

 憎たらしいほど座り心地のいいソファに全身を預けて、もうどうにでもなれー、と一瞬投げやりな気持ちになりかけた時だった。

 カリカリ、と何かを齧るような小さな音に気づいたのは。


「……何だろ」


 気持ちが凹みまくって何もかも億劫になっていたものの、不思議と興味を引かれた私はのろのろとソファから立ち上がる。

 音は、すぐ近くの掃き出し窓の向こうから聞こえていた。

 私が寝かされていた部屋は一階で、窓の向こうは広いテラス、その先には見事な庭園が続いている。状況的に見て、ミランドラさんの屋敷の一室に置いてもらっていると考えるのが妥当だろう。

 それにしても、私がキッチンカーで迷い込んだ脇道からすでに彼の私有地だったというのだから、とんでもない大地主に違いない。

 そんなことを考えながら窓ガラス越しに眺めた庭園の先に、私はふいに人影を見つけた。

 背の高い男性らしきシルエットが二つと、車椅子に乗った人が一人。

 ここからでは距離がありすぎて判然としないが、前者のうちの一人はミランドラさんのような気がした。

 ともあれ、色とりどりに咲く花々に包まれたその光景は、悠然としていて華やかで、どうにも浮世離れして見える。 

  

(私とは、きっと住む世界の違う人達だ……)


 掃き出し窓を押し開ければ、キイと蝶番が軋む音がして、それが何だか自分の心が軋む音にも聞こえた。

 庭園の先にいる三人も私に気づいたようで、こちらに向かってくる気配がする。

 一方、窓を開け放した私は早々に、カリカリという音の正体を見つけた。


「わわわっ、か、かわいい! えっ、これ――ハリネズミ!?」


 テラスの隅で木の実を齧っていたのは、その名の通り背中にたくさんの針を持つ生き物だった。

 ハリネズミは近年ペットとして人気が高く、SNSにもたくさん可愛らしい写真や動画が投稿されている。ネズミと名が付いているが、実際はモグラの一種らしい。

 どうやら警戒はされていないようで、針は寝かされたままだ。

 そのつぶらな目で見上げられた私は、凹んでいたのも忘れて締まりのない顔になる。


「ええー、かぁわいいー! 想像より大きいけど、かわいいー! 君、ミランドラさんちの子?」


 SNSで見かけたのはせいぜい両手に乗るくらいのサイズだったが、目の前の子は針を寝かせた状態でもバレーボールくらいの大きさがあった。

 フンフンと鼻を鳴らしながら近づいてきたものだから、これはもしや抱っこさせてもらえるのでは? とワクワクしながら右手を差し出す。

 そうして、その黒々とした鼻先が私の指に触れそうになった時だった。



「――何をしている!」



 突然背後から鋭い声が上がったかと思ったら、ハリネズミに触れようとしていた右の二の腕を掴まれて強い力で後ろに引っ張られてしまう。

 中腰だった私の身体はバランスを崩してひっくり返りそうになるも、いつの間にか現れた壁が背中を受け止めてくれた。

 何が何だかわからないまま振り返った私は、たちまち素っ頓狂な声を上げる。


「あれっ……ミランドラさん!? えっ、なんで!?」


 庭園の先からこちらに向かってきていたはずのミランドラさんが、どういうわけか背後に――室内に伸びた私の影の上に膝をついていたのだ。

 ひっくり返りそうになった私を受け止めてくれたのはミランドラさんの胸だった。

 とたん、背中越しに感じる彼の体温やら香りやらを意識してしまって、心臓がバクバクと脈打ち始める。

 それを誤魔化すみたいに、私は左手で胸を押さえて叫んだ。


「び、びびび、びっくりしたーっ!!」

「びっくりしたのはこちらの方だ。なぜ、それに触ろうとした。危ないだろう」

「えっ、危ない? あ、トゲが? トゲトゲしているからですか?」

「トゲがトゲトゲ? いや、火傷をするからだが……」


 何やら会話が噛み合わない気がして、んん? とお互い首を傾げ合う。

 太陽の光の下で改めて見たミランドラさんの髪は、落ち着いたダークブロンド。目は……やはり、赤い色をしている。

 服装は、最初に着ていた貴族風の豪奢なものから、少しだけシンプルになっていた。

 そんなミランドラさんが、私の二の腕を掴んだまま視線を落とす。

 いきなり現れた彼に驚いたのか、私達の足下ではハリネズミが背中の針を鋭く立てて大きなウニみたいになっていた。


「君はまさか、これが何なのか知らないのか?」

「何って、ハリネズミですよね? ミランドラさんが飼ってるんじゃないんですか?」

「飼う? これを飼うなんて話は聞いたことがないぞ。危険すぎるだろう」

「そんな大袈裟な……こう、トゲトゲに触らないように、お腹の下から優しく掬い上げれば……」


 そう言って、私が再びハリネズミに手を伸ばそうとすると、たちまち叱責の声が降ってきた。


「こらっ、私の話を聞いていなかったのか!? 触ってはだめだと言っているだろう!」


 ミランドラさんは私を右腕で抱え込むようにして捕まえると、左腕を伸ばしてテラスの隅に落ちていた小枝を拾う。

 そして、あろうことかそれをハリネズミに向かって放り投げたのだ。

 突然の暴挙にぎょっとするも、私が本当に驚いたのはその後――ミランドラさんが投げた小枝がハリネズミの針に触れた瞬間だった。

 バチバチッ、と大きな音を立てて、目の前で光がスパークしたのだ。


「ぴえっ!?」


 私は思わずミランドラさんの脇腹にしがみつく。

 ハリネズミも弾かれたみたいにテラスから飛び出して行って、瞬く間に茂みの中へ消えた。

 テラスには、真っ黒に焦げてボロボロになった小枝が転がっている。

 何が起こったのか分からず呆然とする私の背中をポンポンしながら、ミランドラさんは小さい子に言い聞かせるみたいに語った。


「まるで、雷にでも打たれたみたいだろう? あれは、シビレモグラと呼ばれている。大人しい性格の魔物だが、あのトゲからビリビリと痺れるような痛みをともなう高熱を発し、ひどい場合は火傷を負わされるぞ」

「シ、シビレモグラ? 魔物!? ビリビリッて……まさかあれ、電流……!?」

「今のは古くからこの庭に住み着いている個体だが、シビレモグラ自体はミランドラの各地に生息している。あれに迂闊に触れてはいけないというのは、この国では幼い子供でも知っているはずの常識だが……さて、君は本当にどこから来たのだろうな?」

「ど、どこから……」


 私の常識では、ハリネズミはハリネズミだし、あんな風にスパークするような動物では――ましてや、魔物なんて架空の生物ではない。

 けれども、今まさに小枝が黒焦げになる瞬間を目撃したからには、ミランドラさんの言葉を冗談や空想だと一蹴できなくなってしまった。

 ここでふと、気を失う直前に聞いた言葉を思い出す。

 ここはどこだと問う私に、ミランドラさんは確かこう言った。

 

『ここは、ミランドラ公国――魔物の国アンドラと国境を接する(はざま)の国だ』


 ここが、日本じゃないはずはない。

 だって私は、ミランドラさん達に出会う一時間ほど前に自宅を出発し、脇道に入る直前までは間違いなく公道を走っていたのだ。

 キッチンカーごと日本を飛び出した覚えはないし、そもそもミランドラ公国とかアンドラとかいう国名も聞いたことがない。

 しかも、魔物なんて……そんなもの、実在するはずがないではないか。

 からかわないでほしい――そう毅然として言い放つつもりだったのだ。

 けれども、実際に私の口から飛び出したのは全く違う台詞だった。


「ミランドラさんも……ま、魔物、なんですか?」

「……違う。ほぼ、人間だ」


 ほぼ人間……って、何!?

 そう突っ込んでいいものかどうか躊躇する私を、いやに熱のこもった赤い目が瞬きも忘れたみたいにじっと捉えて離さなかった。

 


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