48話 満面の笑みを浮かべる
ふいに、アンドラとを繋ぐ闇が揺らいだ。
ガツガツと馬の蹄が地を蹴る音と、カラカラと車輪の回る音が次第に近付いてくる。
けれども、今度は誰も警戒してはいなかった。
こちらに向かってくるのが誰なのか、知っていたからだ。
「なんじゃあ、お前さんら。まだ解散してなかったんかい?」
闇から飛び出してきたのは、ヨルムさんが御者を務める幌馬車だった。
魔物達を送還して蜻蛉返りしてきたのだろうが、それにしてもやけに早い。
どうやら、ミランドラ公国とアンドラでは時間の流れが違うらしかった。
「なんだか知らんが、あっちで王子や王女どもに寄ってたかって止められて、山盛り土産を持たされたんだが……ロドリゲス、なんぞあったか?」
「ほう、王子殿下や王女殿下の皆々様が……」
「〝悪ふざけをして申し訳ありませんでした〟だとさ」
「おやおや、殊勝なことです」
末っ子マノンさんをけしかけた兄王子や姉王女達は、よほどロドリゲスさんが怖いのだろう。
素直に謝ってお詫びを送ってきたところを見ると、この後いつまで待とうとマノンさんの言う増援がやってくることはなさそうだ。
マノンさんもそう悟ったのだろう。
「くそっ! あの兄や姉どもを信じた僕がバカだったよ!」
ギョロギョロと辺りを見回した彼の赤い目が、私の腕から降りていたワットちゃんを捉える。
かと思ったら、いきなりバッと両手で抱えて宙へと飛び上がった。
みゅーっというワットちゃんの悲鳴に、私は慌てて空を仰ぐ。
「ちょっ、ちょっと!? マノンさん、何をする気ですかっ!?」
「こうなったら、僕一人でやってやる! ココ! このモグラの命が惜しければ、ミランドラに僕に言うことを聞かせなっ!!」
「えええーっ!? 他力本願が過ぎますっ!!」
「うるさいなっ! 利用できるものは利用するんだよっ!!」
とはいえ、マノンさんの行動に慌てたのは私だけで、オーナーや他の面々は呆れた顔をして彼を見上げている。
それに余計にカッとしたらしいマノンさんは、私にとんでもない無茶振りをするのだった。
「ココ、早く! 色仕掛けでもなんでもして、ミランドラを屈服させなよっ!!」
「い、色仕掛け!? オーナー、私の色仕掛けでどうにかなっちゃったりしますか?」
「うん、そうだな。まず、ココの考える色仕掛けがどんなものなのか、心底興味がある。やってみなさい」
「いやいやいや! 誰がイチャイチャしろって言ったよ!?」
オーナーは焦るどころか、にっこりと微笑んで私の肩を抱く。
それに目を三角にしたマノンさんが、甲高い声で叫んだ時だった。
「あんたら、本当にこのモグラがどうなってもい……ぎゃっ!?」
バリバリっと音を立て、青白い光がワットちゃんの背中でスパークしたのだ。
それを抱えていたマノンさんの身体がビクビクッと震えたかと思ったら、そのままボトッと地面に落ちてしまった。
「わああっ、マノンさん!? ワットちゃんも! 大丈夫ですかっ!?」
私が慌てて駆け寄れば、マノンさんは地面に蹲ってブルブルと震え、ワットちゃんはその横でふんすふんすしている。
どうやら、ワットちゃんの電気でビリッとやられたようだが、マノンさんが火傷も失神もしていないところを見ると相当手加減されたのだろう。
「マノン、無駄な足掻きはやめろ。私も、これ以上の面倒は避けたい」
オーナーが冷ややかな声でそう告げると、マノンさんの震えが止まった。
そうして、一つ大きなため息を吐き出したかと思ったら、バーンと両手を広げて仰向けで寝転んだのだ。
「あー、くそ! 煮るなり焼くなり、好きにすればいいだろう!!」
ぽっこりと膨らんだお腹の真ん中には、おへそがある。
ドラゴンだけど胎生だったのかな、などと思いつつ私は彼の側にしゃがみ込む。
そして、そのお腹をなでなでしながら口を開いた。
「ねえ、マノンさん。つかぬことをお聞きしますけど」
「……何だよ」
「先日の蚤の市での奥様運び競争――最後の池のところで、オーナーの足を引っ張ったでしょ?」
「うっ、な、なんのことだか、わからないけど……」
明らかにギクリとしたマノンさんに、私はやっぱりとため息を吐く。
あの時、コアラスタイルでオーナーにしがみついていた私から見えた、こっそり池から上がって茂みへと消えたヨルムさんに似たシルエットの主は、マノンさんだったのだ。
この小さなドラゴンの姿なら、監護官のアミさんと繋がっていた魔道具の腕輪だって簡単に抜けたに違いない。
私が一連の説明をすると、その場に居合わせた全員が呆れた顔をした。
オーナーも、しゃがんだ私の隣に膝をついて、地面に寝転んだマノンさんを見下ろす。
「いったい何の意味があって邪魔をしたんだ」
「べ、別に……あんたが、ココの前で恥かきゃいいって思っただけだし!」
それを聞いたオーナーは、私を真似るみたいにマノンさんのぽんぽこりんのお腹を撫でた。
「そうか、それは残念だったな。せっかく邪魔をしたのに、結局私が優勝してココから褒美のキスまでもらってしまって」
「うぐぐ……く、くそうっ!!」
手足をジタバタしさせて悔しがるマノンさん。
それを見て満面の笑みを浮かべたオーナーは、ちょっとだけ大人げなかった。
そうこうしているうちに、空が白み始める。
あんなに濃かった森の奥の闇も、ゆっくりと解けていくようだ。
朝が近づき、アンドラへと通じていた道が消えていくのをまざまざと感じる。
それを無意識に見つめていた私の前に、視界を遮るみたいにオーナーが立った。
「――ココ」
彼が、両手を広げる。
その胸に飛び込んで、オーナーの温もりと香りに包まれたとたん、心の片隅にほのかに浮かんでいた郷愁は呆気なく解けていった。
新月の夜が、明ける。




