46話 事態を収拾する
「あははは、早い早い! ココ、すんごいねぇ、これ!」
「うわわわ! こ、こんなにスピード出したの! 高速教習以来ですよっ!!」
窓の外の景色がビュンビュンと凄まじい勢いで後ろに流れていく。
助手席のエッダさんはそのスピードにおおはしゃぎだ。
アクセルをべた踏みした私は、もう速度表示は見ないことにした。
ミランドラ公爵邸から森の最奥までは、徒歩だと三十分ほどかかるところ、キッチンカーを飛ばしまくった結果ほんの二、三分で到着。
「――いた! マノンさんとアルヴァさん!」
アルヴァさんを抱えたまま、何やらビカビカとどぎつい光を放っているドラゴン――もといマノンさんに、オーナー達がちょうど対峙しているところのようだ。
私はその緊迫した状況を打ち破らんと、とっさにクラクションを鳴らした。
ビー! ビッ、ビッー!! という、おそらくこの世界の人々には聞きなれないであろうけたたましい音が鳴り響く。
そうして、金色のドラゴンのポカンとした顔が視認できる距離まで近づいた時である。
ピン、と閃いた私は、瞬間的にハンドルの側に付いた切り替えスイッチを捻った。
「くらえっ! ハイビーム!!」
「――ぎゃっ……まぶしっ!!」
上向きになったライトの光をまともに見て怯んだマノンさんが、慌てて両目を手で塞いだ。
その拍子に、取り落とされてしまったアルヴァさんの身体が宙に投げ出される。
危ない! と叫びそうになったが、すかさず駆け付けたロドリゲスさんが危なげなく受け止めてくれたおかげで、私はほっと胸を撫で下ろした。
一方、オーナーの方も一気に事態の収拾に動き出す。
「影ができればこちらのものだ」
目が眩んだせいか、あれだけビカビカしていたマノンさんの輝きが収縮し、しかもライトの光を遮ろうと手を翳したことで、彼自身の身体の上に影ができてしまっていたのだ。
その瞬間を、オーナーは見逃さなかった。
影を渡ってマノンさんの前に躍り出たかと思ったら、そのまま彼の顔を片手で鷲掴みにする。
そうして、最初にボルトちゃんを制圧した時のように、おそらくは魔力を吸ったのだろう。
金色のドラゴンの姿にも驚くべき変化が起きる。
あれほど大きかった身体が、膨らませた風船から空気が抜けていくみたいに、みるみる萎み始めたのだ。
呆気にとられてそれを見上げていた時だった。
助手席からエッダさんが切羽詰まった声を上げた。
「ココ、いかん! とまれ! この先は、人間のお前さんでは……!!」
「えっ……?」
空中でのオーナーとマノンさんのやりとりにすっかり見惚れてしまっていて、気がつけばすぐ目の前に闇が迫っていた。
慌ててブレーキを踏み込んだものの、土でタイヤが滑ってなかなか止まらない。
キキキーッという耳障りな音に眉を顰め、ぎゅっと両目を瞑った。
闇は魔物の国アンドラと繋がっており、人間には通ることができないのだという。
それなのに、前回の新月の夜、私はこの闇の向こうから世界を渡ってきた。
けれども、今宵の闇の先がアンドラであろうと、元の世界であろうと、私はもうミランドラ公国に――オーナーの側に残ると決めたのに……
「――オ、オーナー! オーナぁあああ!!」
この先には行きたくない! どうか、キッチンカーを止めてほしい!
そんな思いで叫んだ時だった。
「ココ!!」
力強い声で名を呼ばれたかと思ったら、ガツッ! という音とともに、つんのめるようにしてキッチンカーが止まった。
ゴチンッとハンドルに額を打ち付けつつも、おそるおそる目を開けると……
「……オーナー」
オーナーが、ボンネットに片手を置いて立っていた。
その瞬間、私は既視感を覚える。
そう、確か初めてこの場所でオーナーと出会った時――手前にいたマノンさんを引っ掛けた後、その向こうにいたオーナーにまで突っ込みそうになったところで、キッチンカーは今みたいにつんのめるようにして止まったのだ。
あの時は、ブレーキがギリギリ間に合ったのだろうと思っていたのだが、今なら分かる。
オーナーが、こうやって止めてくれたのだ。
フロントガラス越しに、目が合った。ほっとして、私はまた泣きそうになる。
「はあ、肝が冷えた……まったく、ココと一緒だと退屈しないねぇ。とりあえず、このキッチンカーを後ろに下げられるかい? あまり、この闇の近くにはいない方がいい」
「は、はいっ……」
エッダさんに言われて、私は慌ててギアをバックに入れる。
ゆっくりとキッチンカーをバックさせて、なぜか横転していた幌馬車の後ろで止めた。
パーキングブレーキをかけて電源を止め――とたん、私の身体はブルブルと震え出した。
「ココ、どうした!? お前さん、真っ青じゃないか!!」
助手席ではエッダさんがぎょっとした顔をしている。
彼女をオーナーのもとまで送り届け、アルヴァさんが無事ロドリゲスさんに保護されたのを見て安堵した代わりに、ここまで使命感が押さえ込んでいたトラウマが一気に吹き出したのだ。
まるで全身が心臓になってしまったみたいにすさまじい動悸に見舞われ、息をするのさえ苦しくなる。
ついには頭痛まで始まって、意識が遠のきそうになった――その時だった。
「ココ、大丈夫か!?」
「うう、オーナー……」
運転席の扉が開いて、オーナーが顔を出す。
私はシートベルトを外して、彼に飛び付いた。
「わあん、オーナー! 私……やっぱり、車の運転むいてないです!!」
「うん、そうかもしれないな……だが、何も問題はない。私が、どこへだって連れていこう」
オーナーが、私をぎゅっと抱き締め返してくれる。
やれやれ、と背後でエッダさんが苦笑いする気配がした。
キッチンカーの前では、横転していた幌馬車を起こし終わったドットさんとヨルムさんがニヤニヤしていた。
アルヴァさんを抱いたロドリゲスさんも歩いてくるのが見える。
オーナーの温もりとみんなの無事な姿に、安心して泣きそうになった時だった。
「――これで、勝ったつもりでいるんじゃないぞ!!」
その場に響き渡ったのは、マノンさんの声――にしては甲高い声だった。
まるで、声変わり前の子供のようだ。
それもそのはず。オーナーに魔力を吸われたマノンさんの身体は、なんと子犬ほどまで縮んでしまっていたのである。
ちょうど、ヨルムさんと同じくらいだろうか。
ここでまた、私は既視感に襲われる。
今のマノンさんのシルエットを、前にどこかで見たような気がするのだ。
必死に記憶の糸を手繰る私を抱いたまま、オーナーがその小さなマノンさんに向かい合う。
「さっきお前から吸い取った魔力……いやに混じりっ気が多いと思ったが、他の者の魔力を利用して大きく見せていたのか。もしかして、人型の姿もそうか? その子供の姿が本来のお前だな」
「う、うるさいっ! 子供って言うな!!」
「子供でもなんでもいいから、これ以上面倒を起こさずアンドラに帰ってくれないか」
「だーかーらっ! これで終わりじゃないって言ってんの!」
小さな足でタシタシと地団駄を踏みつつ、マノンさんは拳を振り上げて言った。
「僕は、いわば斥候役だよ。一足先にミランドラに入り込んで、あんたらの様子を観察していたんだ。まあ、手柄を独り占めしようとして僕自身は失敗したけど……とにかく! 今夜はアンドラから増援が来る手筈になっている。人間なんて束になってかかったって敵わない、僕の兄や姉達がね――!」
その言葉が終わるや否やのことだった。
オーナーとエッダさんが、ドットさんとヨルムさんが、ロドリゲスさんとアルヴァさんが、ばっと弾かれたように一点を見た。
彼らの視線の先――アンドラへと続く闇を見て、ようやく私も異変に気づく。
闇の奥から、何かがやってくる。
「オ、オーナー……」
自然と身体が小刻みに震え出し、私はぎゅっとオーナーにしがみついた。
私を抱く彼の腕にも力が籠る。
その端整な横顔がいつになく緊張しているように見えて、私は不安になった。
やがて、その場にいるマノンさん以外の全員が息を呑んで見守る中、ぬっと闇から現れたのは、闇そのもののような黒い影。
それは、巨大な獣の前足のように見えた。




