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4話 執着を抱く



 目の前で崩れ落ちそうになった相手を、彼――ノヴェル・ミランドラは慌てて抱き留めた。

 そのまま右手で膝裏を掬い、左手で背中を支えて抱き上げる。

 大きく破れたズボンから擦りむいた膝頭が飛び出して、どうにもこうにも痛々しい。

 こてん、とノヴェルの肩に無防備に預けられた頭は艶やかな黒髪に覆われ、同じ色のまつ毛がまろやかな頬に影を落とした。


「……」


 唐突に出会い、そして自分の中で急激に存在感を増していく彼女――ココを、ノヴェルはまじまじと見つめる。 

 マノンとサラマンダーの古物商ヨルムも、彼女の顔を覗き込んで口を開いた。


「あーらら、卒倒しちゃった。そんなに怖いかなー? この間抜けなトカゲ面」

「間抜けとはなんだ! 失敬な若造め! だが、こっちの娘っ子は絶対いい子だぞ! この面に驚いておきながら、オレを放り出さなかった!」


 ヨルムが声を弾ませて言う通り、ココはまるで落として怪我をさせてはいけないとでもいうように彼を両腕で抱え込んでいたのである。

 代わりに、さっきから覗き込んでは物憂げな顔ばかりしていた光る板は放り出されたものの、隣にいたマノンが縛られた両手で器用に受け止めたことで無事持ち主に返された。

 気を失って力の緩んだ腕から抜け出したヨルムが、その光る板とココの顔を見比べつつ矢継ぎ早に問う。


「ノヴェルよ、この娘っ子は……人間か? なぜ、森の奥から来た? この光る板は本当に何なんだ? オレに売ってくれんかな!?」

「詳しいことは私にも分からないし、光る板に関しては本人が目覚めてから直接交渉してくれ。ひとまず我が家で保護して傷の手当てをしようと思うが……ヨルムは、彼を頼む」

「えー! なんでトカゲとー? 僕もココと一緒がいいなー!」


 マノンはとたんに文句を垂れ始めたが、ノヴェルは意に介さずさっさと屋敷の方へ歩き出す。

 腕が縛られている上、小さな見た目に反して力の強いヨルム相手に抵抗を諦めたマノンは、ノヴェルの背中を目を細めて見送った。

 

「ふーん……もう、ココ以外眼中にないって感じだねー」



 ミランドラ公国は、三百年前の世界大戦で世界の半分以上を手に入れた大国カルサレス帝国と魔物の国アンドラとの境界に位置している。

 代々のミランドラ公爵は公国の君主であると同時に、カルサレス皇帝を主君と崇め、その命を受けて人間と魔物の秩序を守る番人の役目を務めてきた。

 ノヴェルは当代のミランドラ公爵であり、そんな主人がいきなり見知らぬ娘を抱いて戻ってきたため、ミランドラ公爵邸の使用人達は騒然となった。

 膝と額に怪我を負って気を失っているココを見て、執事は医者や関係各所への連絡に奔走し、メイド長は慌てて客室を整える。

 早朝にもかかわらず、ノヴェルの意を汲んでテキパキと働くのは、彼が生まれた時から側にいる信頼のおける者達ばかり。

 けれども、そのうちの誰一人とも、ノヴェルはこれまで一度も目を合わせたことがない。

 それは、ノヴェルが主人という立場にあるからではなく、全ては彼の生まれ持った特性のせいだった。

 魔物のみならず、人間も動物も植物までも、多かれ少なかれ魔力を有するこの世界では、自分より魔力の大きい相手とは本能的に目を合わせることができない。

 そんな中で、誰よりも大きな魔力を持って生まれてしまったノヴェルの赤い目を覗き込むことは、これまで誰も――親兄弟でも不可能だったのだ。

 彼にとってはそれが当たり前で、憂うようなことなどないと思っていた。

 それなのに――


「私は……本当は、寂しかったのか……」


 ノヴェルは、知ってしまった。

 両目をひたむきに見つめられるときめきも、逆に誰かの両目をまじまじと覗き込む楽しさも、そうして互いの目をまっすぐに見つめて言葉を交わす喜びも、彼はもう知ってしまったのだ。

 生まれて初めてそれを味わわせてくれた存在が腕の中にいるのだと思うと、抑えきれないほどの高揚感を覚える。


「ノヴェル様、お疲れでございましょう。そちらの女性は我々がお預かりしますので、ノヴェル様はどうかお休みに……」

「いや、構わない。このまま私が運ぼう」


 どうにもこうにも手放し難くて、夜通し務めを果たした自身を気遣う執事の申し出も断ってしまった。

 さらには、メイド長が整えた客室のベッドに寝かせても、なかなかその側から離れられないでいる。

 

「ココ……」


 抱いたばかりの執着の名前を、ノヴェルはそっと口の中で転がした。

 夜明け間もない森の中では黒々として見えた彼女の両目。

 今は瞼に隠されているそれが、ノヴェルはどうにも恋しくてならなかった。

 また、ココの両目に見つめられたい。ココの両目を覗き込みたい。そうして、ココとまっすぐに見つめ合って言葉を交わしたい――そう渇望する。


「日の光の下で見る君の目は、どんな色をしているのだろうな」


 着替えさせるからと年嵩のメイド長に促されて、彼がようやくココから視線を引き剥がせたのは、七時を知らせる鐘の音が鳴った後だった。




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