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37話 爛々とする



 競技会こと奥様運び競争は、サラマンダー古物商店の裏庭に作られたコースで行われる。

 裏庭とはいっても野球場ほど広大ですり鉢状になっており、中央に大きな池があるのに加え、生垣やオブジェといった障害物になりそうなものも盛り沢山だ。

 さらには、ボルダリングや綱登りのための高い壁なども設置されている。

 とはいえ、私が最も衝撃を受けたのはコースではなかった。


「――ええっ? 俵担ぎとかおんぶとかじゃダメなんですか? どうして!?」

「どうしてもこうしても、俵担ぎだのおんぶだのじゃあ情緒がなかろうが」


 主催者ヨルムさんの独断により、パートナーは互いの顔が見える運び方でないといけないというのだ。

 一番望ましいのは、お姫様だっこだという。

 私はそれを聞いて赤くなった顔を、競技中はヨルムさんに預けることになったワットちゃんとボルトちゃんのお腹に埋めて叫んだ。

 

「ひええっ、は、恥ずかしい! 私、お姫様抱っこしてもらうのとか、生まれて初めてなんですけど!!」

「いやいや、お前さん。オレを初めて見てひっくり返った時、そのお姫様抱っこでノヴェルに運ばれたんだけどな?」

「それ初耳! オーナー、そうだったんですか!?」

「そうだったんだな、これが」


 どうやらオーナーにお姫様抱っこされるのは人生二度目のようだが、しかし一度目はまったく記憶にないのでノーカウントでお願いしたい。

 周りを見れば、アルヴァさんはロドリゲスさんに、エッダさんはドットさんに、トニさんもメルさんにすでにお姫様抱っこされている。

 ちなみに、エッダさんは幼女姿で明らかに体重が軽いことから、公正を期すため、ドットさんの前面には重しがぶら下げられていた。

 彼ら以外の組も次々にスタンバイが完了していく中、オーナーは往生際の悪い私の手からワットちゃんとボルトちゃんを取り上げ、ヨルムさんに預けてしまう。

 そうして、進行方向に向かって右向きに私を抱き上げた。

 たちまち手のやり場に困っておろおろする私を見つめて、オーナーが優しく諭すように言う。

 

「ほら、ココ。ちゃんと私の首に腕を回しておかないと危ないぞ。途中、片腕だけで抱かねばならない場面もあるだろうからな」

「は、はいいい……でも、あの……」

「君が望むものを手に入れられるよう、私は最善を尽くすと約束しよう。だから、ココ――私を信じて身体を預けてほしい」

「オーナー……」


 こんなにまっすぐな目をして信じてほしいなんて言われて、否などと返せるはずがない。

 それに、過度に意識することこそが恥ずかしいような気もしてきた。

 私はおずおずと両手を持ち上げて、オーナーの首に回す。

 いつになく顔が近くなってやっぱり恥ずかしいが……


「大丈夫――絶対に、離さない」


 そう言って目を細める彼に、ドキリと胸が高鳴った。

 コースは裏庭の外周から中心にある池へ渦を巻くように作られている。

 池の真ん中に突っ立つ巨大な壁を頂上まで上り、反対側に置かれた木箱の上のトロフィーを取れば優勝である。

 しかし、ゴールに辿り着くまではさまざまな障壁が立ち塞がり、参加者達はその全てを攻略しなければならない。

 ちなみに、パートナーを落としたらその時点で即失格らしい。

 いよいよ、スタート地点に一同が並び始める。

 自然と高まる緊張に、私はオーナーの首に回した腕に力を込めた。

 額に、彼の頬が触れる。ほのかな香水の匂いと、布越しに伝わる体温、鼓動。

 そんなものを意識すると平常心ではいられなくなりそうで――いやもう、とっくに平常心ではいられなくなっているので、私はせめてオーナーの顔を見ないように努める。

 周囲に視線を巡らせれば、すり鉢状になった庭の斜面に大勢の人々が集まって、こちらを見下ろしていた。

 見覚えのある顔も少なくはない。

 チーズケーキクレープができるきっかけをくれた領事館のメイドさん達やエッダ班の女子隊員達。

 日常的にお世話になっているミランドラ公爵邸のメイドさんやコックさんの姿もある。

 それから、この競技会の存在を教えてくれた人物の姿も、オーナーの肩越しに見つけた。


「あっ、紅茶屋の……」

「……」

 

 ふいに、私を抱く腕に力が込められ、オーナーの頬がぎゅっと額に押し付けられる。

 彼の肩の向こうは見えなくなり、私の視線は今度は右側の斜面に移った。

 そこで、燃えるような赤毛が視界に入り、アミさんも観衆の中にいることに気づく。

 ところが……


(あれ、マノンさんは……?)


 魔道具の腕輪のせいで、監護官のアミさんからはさほど離れられないはずのマノンさんの姿をどうにも見つけられない。

 しかし、私がそれをオーナーに告げる前に、ワットちゃんとボルトちゃんを左右に侍らせたヨルムさんが、スターター台代わりの木箱の上に立った。

 ちっちゃな魔物が三体並んで、あまりにも可愛らしい。

 

「各々方、準備はいいか! 始めるぞ!」


 さっと振り上げられたヨルムさんの、ぷにっとした右手に釣られて空を見上げる。

 上空では風が強く吹いているらしく、すごい勢いで雲が流れていた。

 ふいに太陽が雲間に隠れ、裏庭全体が陰る。

 日陰でも魔物の血を引く者達の目は光を放っていたが、私を抱き上げたオーナーのそれが最も鮮烈だった。

 やがて、再び日の光が地上に降り注ぐ。

 と同時に、ヨルムさんの右手が勢いよく振り下ろされた。


「始めっ!」


 横一列に並んでいた各チームが一斉にスタートを切る。

 わああっ、いけーっ、と観衆から声援が飛んだ。

 レース中は魔力の使用は禁止されているものの、やはり体格的にも体力的にも優れているのか、先頭集団は魔物の血を引く者で占められていた。

 中でも、オーナーとメルさんがトップを走る。

 トニさんはメルさんの腕の中から観衆の声援に手を振り返す余裕があったが、私はオーナーの首筋にしがみついているのがやっとだ。

 最初の直線コースの先には、巨大なオブジェが待ち受けていた。それをアスレチックのように上ったり飛び越えたりして通り過ぎれば、今度はロープ一本での崖登り、粗く張られた吊り橋、縄梯子と続く。

 オーナーはそれらを私を左腕一本で抱いてどんどんと攻略していった。

 

「ひええ、オーナぁあああ! 絶叫マシンみたいいい!!」

「絶叫マシン、とは? いや、口を閉じていないと舌を噛むぞ」


 私はただただオーナーにしがみついて、上へ下へと目が回りそうになるのを耐えるしかない。

 彼と密着しているドキドキと、絶叫マシンに乗った時のようなドキドキが合わさって、心臓は今にも壊れてしまいそうだった。

 対して、オーナーの表情には余裕があるどころか、むしろ楽しそうだ。

 赤い目は爛々とし、形の良い唇には笑みまで載っていた。


「さあさあ、ロドリゲス! 気張ってちょうだい! しっかりノヴェルを煽るのよ!」

「はいはい、老体に鞭打って頑張りますから、アルヴァ様はじっとしていてくださいね」

「ドットー! こらぁ、この犬っころ! しっかり走らんか! ノヴェルのやつめ、まだまだ余裕だぞっ!!」

「いやいや、ばーちゃん! あんなノリノリの長に、そもそも勝てる気なんかしねーんだけど!?」


 アルヴァさんとエッダさんは元気いっぱい。彼女達を運ぶロドリゲスさんとドットさんは大変そうだが、それでもオーナーやメルさんにぴったりと付いてきた。

 迷路みたいに作り込まれた生垣の通路をジグザグに進み、綱登りを終えたら池のほとりまでジップラインで一気に滑り落ちる。

 人数分用意されたロープにオーナーとメルさんが飛び乗ったのは同時だったが、ジップラインは体重が重い方が加速が付きやすく有利である。


「悪いな、公、ココ。お先に失礼する」


 ここまでほぼ互角のスピードだったのだが、体格の勝るメルさんチームが頭一つ抜け出た。

 けれども、勝負の行方はまだまだ分からない。

 この後、池を中心まで進んで、そこに聳え立つ高い壁を越えなければならないからだ。

 オーナーは足が地面に付く前にロープから跳び降りると、息つく暇もなくザブザブと池へ分け入っていく。

 ロドリゲスさんやドットさんもそれに続いた。

 この頃には、パートナーを落としてしまったり、障害物を攻略できなくなかったりして、後ろの方のチームはほとんどが脱落してしまっており、実質先頭集団四組での優勝争いとなっていた。

 ところが、最後の壁まであともう少しというところでまで来た時である。


「……っ」


 どういうわけか、オーナーの足がぴたりと止まってしまった。




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