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36話 客寄せパンダになる



 カーンカーンと時計塔の鐘が午前十時を知らせる。

 私がミランドラ公国に来て二十五日目目。

 蚤の市が開かれる本日は、次の新月を迎えるまでの最後の公休日となった。

 主催はサラマンダーの古物商だが、その他多くの商店が協賛として出店している。

 『Crepe de Coco』も、ミランドラ公爵家が協賛として名を連ねていたおかげで主催者ブースの隣にスペースをもらって営業できることになった。

 午後に予定されている競技会まではクレープを売ってガッポリ稼がせてもらうつもりだ。

 この日は、オーナーもオープンからキッチンに立ってくれた。それにしても、である。

 

「ヨルム……もしかして、私が競技会に出ることを吹聴したか?」

「したに決まってんだろ。今をときめくミランドラ公爵様が参加するってんで、今年は例年を上回る客入りよぅ。ノヴェル様様だな!」


 元の世界でオープン初日を迎えるはずだった野外音楽フェスも、出店していればこんな感じだったのだろうか。

 蚤の市は、予想以上の盛況となっていた。

 オーナーこと現ミランドラ公爵が競技会に参加する情報が出回ったことが大きな理由らしい。

 悪怯れる様子のない主催のヨルムさんに、オーナーはクレープの生地を焼きつつやれやれとため息を吐いた。


「オーナーはさながら客寄せパンダですねぇ」

「うん、パンダ、とは?」


 ちょうどスマートフォンに昔撮った赤ちゃんパンダの写真があったのでオーナーに見せていると、ヨルムさんがカウンターによじ登ってくる。

 彼はくりくりっとした大きな目で私を上目遣いに見て言った。


「ココちゃああん。その光る板、ちょおっと貸してくんないかなぁ?」

「可愛い顔してもだめですよー、ヨルムさん。これはおもちゃにされると困るんです」

「そんなこと言わず、頼むよぅ。でかいのと小さいのと、二つもあるだろ? なあ、一個売ってくれよぅ。言い値で買うからよぅ」

「だめだめ。猫撫で声で言っても、だめなものはだめでーす」


 でかいのことタブレットも、小さいのことスマートフォンも、この世界には代わりがないので安易に譲ることはできない。

 きっぱりと断る私に、ケチッ! と口を尖らせたヨルムさんがカウンターの上で胡座をかいてしまった。

 トカゲの置物みたいで可愛いのだが、接客の邪魔になるのでできればどいてもらいたい。

 そんなことを思っていると……


「営業妨害はおやめください、ヨルム班長」


 そう言って、ヨルムさんをカウンターから下ろしてくれた人がいた。

 パンツスーツのようなパリッとした格好の、赤毛の女性である。

 あっと声を上げた私に、彼女は小さく苦笑いを浮かべて言った。


「その節は、どうも。見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」

「いえいえ! 私の方こそ、あの時は軽率に口を挟んですみませんでした――アミさん」


 現れたのは、エッダ班の国境警備隊員――キャンベル焼き菓子店の一人娘、アミさんだった。


「あの時散らかした厨房を、あなたが片付けてくださったと母から聞いて……。早く謝らなければと思いつつ時間が経ってしまい、申し訳ありませんでした」

「そんな……わざわざ、ありがとうございます!」

「父と喧嘩するとお互いすぐに頭に血が上って収拾がつかなくなるんですけど、あの時はココさんの言葉で目が覚めました」

「あはは……いえ、恐縮です……」


 あの時、親子とはいえ互いの人生に口出すべきではないとか、勝手にオーナーを理由にすべきでないとか偉そうなことを言いながらも、その裏では真正面からぶつかり合える父親がいるアミさんに嫉妬を覚えていた私は気まずくなってしまう。

 そして、唯一そんな本音を打ち明けた相手であるオーナーはというと……


「えっ、ミランドラ……あんた何? それ焼けるの? うそ、上手じゃん。僕にも焼いてよ。バターと砂糖いっぱいのやつ」

「焼くのは構わないが、列に並んでこい」


 バックドアから覗き込んだマノンさんに絡まれていた。

 私の視線に気づいたマノンさんが、にっこり笑ってひらひらと右手を振る。


「ココー! きちゃった!」

「マノンさん! ミランドラ公爵邸から出歩けるようになったんですか!?」

「だって、ココがなにやら試合に出るって聞いたんだもーん。ココの勇姿を見るために、僕は尊厳を捨ててきたんだよ」

「尊厳……?」


 アミさんの服装が蚤の市に遊びにくるようなラフなものではないと思ったら、マノンさんの監護役――つまり仕事中だったらしい。

 彼女の左手首とマノンさんの右手首にはそれぞれ腕輪が嵌められている。

 それらは対になっており、一定以上は離れられない仕様らしい。

 人型の魔物にリードを付けるのは憚られたために発明され、代々のミランドラ公爵が魔力を込めて精度を高めてきた魔道具なのだとか。

 とんだファンタジーアイテムである。

 そんな腕輪がぴったり嵌った右手を鬱陶しそうに眺めていたマノンさんだったが、ふいにその人差し指でピッとオーナーを指して言う。

 

「にしてもさ、ミランドラ――なんなの、その格好。あんたも尊厳捨てたのかい?」

「……いや」


 何を隠そう。本日、完全オフなオーナーの格好は、シンプルなズボンにTシャツ――そう、ついにこの日、私はオーナーに『Crepe de Coco』のスタッフTシャツを着せるミッションを完遂したのである。

 フリーサイズなので私だとブカッとしているが、オーナーが着るとピッタリフィットでいい感じ。

 何より、オーナーがそれを着てキッチンに立ってくれていることが嬉しくて、私は自然と笑顔になる。

 それを見て、オーナーとマノンさんが何やらコソコソ言い合っていた。


「見ろ、あのココの笑顔を。お前が私の立場だったとして……あれを裏切られるか?」

「いや……うん、無理かな。ミランドラ、あんた偉いよ」


 やがて、アミさんがマノンさんを引っ張って列に並びに行く。

 すると、今度はバックドアの方によじ上ったヨルムさんが、オーナーに顔を寄せた。


「なぜ、エッダ班の娘っ子が? 魔物の監護役はロドリゲス班の担当だろう?」

「本人の希望もあって先週からロドリゲス班に出向している。エッダ班より魔物との遭遇率の高いこちらで経験を積みたいそうだ」

「魔物の遭遇率じゃドット班の方が上だろうに。親父の元部下の下には付きたくねえってか? 偉大すぎる父を持つと子は悩ましいもんだな」

「彼女は少々真面目すぎるきらいがあるからな。ロドリゲスくらい落ち着きのある上司の方がいいだろう」


 ふうんと気のない返事をしてから、ふとヨルムさんが呟いた。


「ノヴェルの子も苦労しそうだな」


 オーナーがこの時どんな顔をしてそれを聞いていたのか――

 彼の背中からそれを窺い知ることはできなかった。


 


 時計塔の鐘が午後二時を知らせる。本日のメインイベントである競技会の開催時刻となった。

 ところが、オーナーとともに無限シナモン獲得に意気込む私の前に、思わぬ障壁が立ち塞がる。

 

「ノヴェルがぶっちぎりで優勝したら面白くないから、好敵手役で参戦するわ!」

「と、おっしゃるアルヴァ様に駆り出されました次第です」


 競技を盛り上げる気満々のアルヴァさんと、苦笑いを浮かべるロドリゲスさん。


「障害が大きければ大きほど、恋は燃え上がるもんさ! 全力で煽ってやるから任しておきな!」 

「許せ、ココちゃん! 長に勝てたら、ばーちゃんが営む酒屋のツケをチャラにしてくれるっつーんだよ!」

 

 それから、何だか競技以外のことに情熱を燃やしているエッダさんと、彼女に買収されたらしいドットさんのペアだ。


「アルヴァさんとロドリゲスさんはいい感じの仲なのかなーとは思ってましたけど、まさかエッダさんとドットさんが恋人同士だとは知りませんでした。オーナー、ご存知でしたか?」

「ん? いや、うん……」


 コソコソ囁く私に、オーナーはなぜか目を泳がせた。

 ともあれ、アルヴァさんロドリゲスさんチームとエッダさんドットさんチーム以外にも、競技会への参加を表明するカップルは十組ほどあった。

 賞品は無限シナモンだけではないため、そちらが目当ての者も多いだろう。

 女性の方が男性を担ぐ予定のチームもあった。

 そんな中で、競走相手としても、また無限シナモンを欲する者としても、最大のライバルとなりそうな存在が私達の前に立ち塞がる。


「まさか、公と競う日がこようとは。相手にとって不足なしだな」

「――メルか。受けて立とう」


 オーナーと静かに火花を散らし合うのは、キャンベル焼き菓子店の店主メルさんだった。

 焼き菓子店でもシナモンを使った商品は多いため、私と同じ理由で無限シナモンを狙っているのだ。

 メルさんはもちろん、愛妻トニさんを担いでの参戦である。

 片や、史上最強のミランドラ公爵と謳われるオーナー。

 片や、狂戦士ベルセルクの末裔で筋骨隆々としたメルさん。


 無限シナモンを賭けた仁義なき戦いが今、幕を上げる。




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